『言語学バーリ・トゥード』川添愛

●今回の書評担当者●丸善博多店 脊戸真由美

  • 言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか
  • 『言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』
    川添 愛
    東京大学出版会
    1,870円(税込)
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 SNSの炎上に電話詐欺の手口。ホストの甘い囁きに誘導尋問。人は日々、言葉で操作されていて、けっこうな額のマネーと信用を失っている。震災が起きると、嘘の投稿がもれなく混じるノールール・デスマッチ。「言葉にすれば嘘に染まる」と、もんたよしのりも歌っていた。

 ビジネス書には「なぜ◯◯はXXなのか」というタイトルが多い。川添愛によれば、この構文に当てはめて提示されると、あたかも一般常識のように見えてしまうからだという。

 言葉は危険物であり、川添愛はアブナイ言語学者である。言語学者という生き物は、議論するとき、殺りに行く(相手の説を潰す)獣になるという。横溝正史の世界か。鵺の鳴く夜はおそろしい...ちなみにタイトルの『バーリ・トゥード』とは、何でもありという格闘技のジャンル。最新著書である『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書)をめくると、先生が茸になっていく挿絵「この先生きのこる」は、いかにもDDT(色モノ選手が多いプロレス団体)に所属してそうなビジュアルだ。

 プロレスでは、常軌を逸した行為が普通に行われる。試合中に仲間を裏切る。客が座ってるパイプ椅子を奪い、凶器で使う。複数で一人を攻撃。平社員が社長を殴って給料をもらう。道義的におかしい。
 伝説もたくさんある。新日本プロレスの選手が宿泊先で泥酔。大乱闘に発展し旅館を破壊。翌朝、宿の従業員とともに後片付けを手伝ったのが藤波辰爾だったという。まさに、強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない世界なのだ。
 選手によるマイクパフォーマンスも見どころで、橋本真也による「時は来た、それだけだ」は、今もパロディとして使用されている。

「人と話していると、どんなふうにリアクションすればいいか分からなくなることがある」p88

 わたしも川添愛と同じで、熱々おでんを口に含むと無言で吐き出す、志の低い人間だ。しかし書店というのは、しばしば高度なリアクションを求められる。

 異国の人が差し出すスマホには、「エッチの雑誌は探しています」というデカ字の表示。うちのタマ知りませんか?くらい屈託のない目で見つめられるので、お国柄なのか、日本語訳が間違っているのか、と理解に悩む。ちなみに当店の外国人客の多さは、高野秀行さんお墨付き。サイン本作りに来られた時の感想だ。

 流行はお客さんに教わる。「ちいかわ」は、ちーかま?と聞こえたし、「しいたけ占い」は花占いのように、椎茸を何かして占うのかと思った。川添愛と同じく、ザルで水をすくって、別のザルに水を溜めてるような脳ミソだが、まわりに助けてもらい、なんとか日々こなしている。

「言葉というのはどんなに気をつけて発しても曖昧さは残るし、こちらの意図していない解釈をいくらでもされるものだ」p78

 上島竜兵の「絶対に押すなよ!」が意図するところは、意味とは反対の(押せ)である。今のAIには理解できない。しかし、AIではない書店員も、お客さんの意図がわからない。ブックカバーはおかけしますか?と尋ねると「一応」もしくは「どっちでも」という答えが一定数、返ってくる。その場合は(かけて欲しい)と汲んで、カバーを用意する。けげんな顔をされるときもあるが、文句を言われずこれまできた。

 本屋もわりかしノールール・デスマッチな四角いジャングルだ。お客さんが倒れて救急車を呼び、AEDを取りに走る。万引き犯が暴れて大捕物がはじまる。終わりがみえないクレーム...本を投げられたこともある。椅子を奪って凶器にしたいくらい、言葉にならないこともあるが、「キレてないですよ」と冷静を装い、燃える闘魂で本を並べ、レジに向かう。あとはリングで決着をつけよう。ふしぎな問い合わせもやってくる。そして、本屋を引退するその日「時は来た、それだけだ」と満を持してつぶやく。その時は後ろで笑いをこらえる蝶野役を、誰かお願いしたい。

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丸善博多店 脊戸真由美
丸善博多店 脊戸真由美
この博多の片隅に。文庫・新書売り場を耕し続けてウン十年。「ザ・本屋のオバチャーン」ストロングスタイル。最近の出来事は、店がオープン以来初の大リニューアル。そんな時に山で滑って足首骨折。一カ月後復帰したら、店内全部のレイアウトが変わっていて、異世界に転生した気持ちがわかったこと。休日は、コミさん(田中小実昌)のように、行き先を決めずにバスに乗り山か海へ。(福岡はすこし乗るとどちらかに着くのです)小銭レベルの冒険家。