『線は、僕を描く』砥上裕將

●今回の書評担当者●宮脇書店青森店 大竹真奈美

 真っ新なページ。
 まだ何も描かれていない、ただただ目の前に広がるその空白は、自由で、孤独だ。
 無限の可能性の中から言葉をひとつ、またひとつと選び、掛け合わせていく。言葉を以って、あるいは言葉を越えて、心を描いていく。その言葉自体も、線の連なりでできていると気づかせてくれたのが、この作品だった。

 本作は第59回メフィスト賞を受賞。2020年本屋大賞ノミネート作品である。今期の横丁カフェで、本屋大賞ノミネート10作品のうち、既に4作品が書評されているが、二次投票受付期間中の今、もう1作品ご紹介するのであれば迷いなくコレだ。

 本作は、両親を亡くし、喪失感に苛まれる日々を暮らす青年が、水墨画に出会い、その世界に魅了され、少しずつ人生を再生していく青春×芸術ストーリー。

「水墨画ぁ〜?」と思ったあなた、ご安心あれ。読み終えた時にそれは「っ水墨画!!」に変わっているはず。もしかしたら私のように書道道具を掘り起こそうとガサゴソしだすかもしれないし、なんなら硯で墨をすり始める人もいるかもしれない。少なくとも私は、どこかで水墨画の展示会がないか調べたし、YouTubeで水墨画の動画を検索して観たりした。そのくらい水墨画という世界に魅せられてしまう、そんな魅力のある作品なのだ。

 2017年本屋大賞を受賞した『蜜蜂と遠雷』は、音がみえる、音楽が聴こえる小説と言われたけれど、『線は、僕を描く』は、墨の香りがする、絵が見える小説だ。

 実際にそれを実感するような体験をした。読後しばらく経ったある日、たまたま学祭で書道パフォーマンスを見かけ、墨の香りを感じたその瞬間に、この本の記憶が鮮明に呼び起こされたのだ。それは読書中に胸いっぱいに吸い込んでいた香りそのもので、想いが満ち溢れ、思わず涙が込み上げたのだった。

 白と黒。光があり、影がある。影の存在自体が光を象徴する。それこそが本当の希望のように思う。心から溢れた水滴が、闇の濃度を淡くする。線は流れるように生命を描く。白の余白が凛と意味を持つ。白と黒で彩る、鮮やかな世界がそこにある。

 水墨画家である作者が、自ら水墨画に向き合い、丹念に修練してきたことを、惜しみなく存分に言葉で表現している。それを読書を通して体験できるなんて、こんな贅沢なことはない。
 水墨画という芸術の線上に、人生に大切なことが豊かに描かれている。心にとまった言葉に線を引くと、この本は線だらけになるだろう。そしてそこに生まれたその線を、多くの人に届けたい。そう願わずにはいられない。

『僕は、線を描く』ではなく『線は、僕を描く』のだ。真っ白な虚無感の中にいた主人公が、命と共に、生きているこの瞬間を描くことで、線で描かれ少しずつ再生されていく。その様を多くの人に見届けてほしい。すべての人にここに「今」があるのも、各々が命を描き、紡いできたからだ。自然に心を重ね、そして紡ぎ描かれた生命を、これからもずっと大切に未来へと繋いでいきたい。

 自由と孤独に綯交ぜになりながら、真っ新なページに紡いだこの言葉たちが、線となってあなたの心にも届きますように。

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宮脇書店青森店 大竹真奈美
宮脇書店青森店 大竹真奈美
1979年青森生まれ。絵本と猫にまみれ育ち、文系まっしぐらに。司書への夢叶わず、豆本講師や製作販売を経て、書店員に。現在は、学校図書ボランティアで読み聞かせ活動、図書整備等、図書館員もどきを体感しつつ、書店で働くという結果オーライな日々を送っている。本のある空間、本と人が出会える場所が好き。来世に持って行けそうなものを手探りで収集中。本の中は宝庫な気がして、時間を見つけてはページをひらく日々。そのまにまに、本と人との架け橋になれたら心嬉しい。