WEB本の雑誌

« 2001年2月 | 2001年3月 | 2001年4月 »

3月31日(土)

『炎のサッカー日誌&toto日誌 2001.3』

 足の指から感覚がなくなって6時間。ついさっきまで、大粒の雪も降っていた。いくら防寒着を着込んでも、足元のコンクリートから伝わる冷気からは逃れることができない。
 しかし、身体の震えは寒さからではなかった。

 そう、我が浦和レッズが491日ぶりにJ1で勝利した、歓喜の身震いなのだ。

 なーんて「Number」の文章みたいに格好つけてみたけれど、ようは大雪のなか何時間も待って、席を取り、鼻水を垂らし、何度も靴を脱いで足の指を揉みほぐし、持参した魔法瓶からコーヒーを飲んで、やたらにトイレに行き、クールな兄貴が一層クールになり、我が浦和レッズを応援しただけのこと。
お高くとまって、楽チンで試合を見られるのは記者席の人達だけだろう。ああ、記者パスが欲しい。けど、金を払わないで試合を見るなんて面白くもなんともないだろうなあ・・・とも思う。

 とにかくこの日は寒かった。駒場スタジアムの脇に咲いている桜と舞い散る雪が、異様な違和感のなか、それでもきれいで心を打つ。うーん、今日は何だか妙に文学的な文章になってしまう。こんなんじゃ興奮のサッカー原稿が書けないじゃないか。

 身体の冷たさを消し去り、熱い血液を全身に送り届けてくれたのは、またもや大将福田。そしてこの日、我が浦和レッズは数年ぶりに、素晴らしいサッカーを見せてくれたのである。苦労人土橋が攻守に渡りベストパフォーマンスを見せれば、ここのところ調子の悪かった石井までも復調する。両サイドの内館&路木も積極的に攻撃参加。全選手から勝ちたいという気持ちが伝わってくる。

 こんな日のために僕は年間シートを買っているんだ。年間約30試合、いつこんな素晴らしいサッカーをするのかわからない。おまけに復活福田のゴール。だから全部行くしかない。浦和レッズの場合、こんな試合を見られるのは、totoに当たるより確率が低いような気がするけれど、それでもこんな試合を見られたら、人生のどんなことよりも幸せを感じてしまう。

 福田の勝利インタビューを聞きながら、涙が止まらない。クールな兄貴も福田のアップが映っているオーロラビジョンを見つめながら手を叩いているし、隣にいる吉田さんは・・・。
また泣いているのか。
これだからレッズサポをやめられない。例え、雪でも家を飛び出し、狂人に見られても。

『toto日誌』

 黄色い看板がすべてtoto売り場に見えてきた。宝くじ売り場のロトはもちろん、BOOKOFFの看板も、カメラ屋のDPEも、「注意」と工事を知らせる看板もみんなtotoに見えるのだ。その度にしばらく予想してしまって仕事にならないではないか。

<杉江の買い目>
浦和  VS 福岡  勝ち&負け(当)
市原  VS 柏   柏の勝ち(当)
東京V VS 清水  清水の勝ち(当)
磐田  VS F東京 磐田の勝ち(当)
名古屋 VS 横浜M 名古屋の勝ち(外)
C大阪 VS 鹿島  鹿島の勝ち(外)
神戸  VS G大阪 勝ち&負け(当)
広島  VS 札幌  札幌の勝ち(外)
山形  VS 水戸  山形の勝ち(当)
横浜C VS 大宮  大宮の勝ち(外)
甲府  VS 大分  大分の勝ち(当)
新潟  VS 川崎  川崎の勝ち(外)
鳥栖  VS 仙台  勝ち、分け、負け(当)

結果 13試合中的中8本

 うーん、これだけ引き分けが出るといくら勝っても当たらない気がしてきた。というかこんな当たり前の買い方では、目指す1億円はとてもとても。それにしても穴狙いで買うなんてサッカーを知らないとしか思えないし、あんまりそれを狙い過ぎると目黒さんの競馬みたいなことになって大ケガしてしまいそう。
 とにかく1度は当ててみたい。2等でも3等でもいいから僕は威張りたいんだ。こうなったらガンガン金をつぎ込むしかない。

 試合後、こんな風に興奮していたら、クールな兄貴に一言言われる。
「おまえさあ、ずーっと当たらなくて年間何万円も使うなら、いつも高くて買えないって言っている指定席の年間シート買った方がいいんじゃない。そしたら今日も寒くないし。」

 夢のない奴は嫌いだ。

収支 マイナス1200円
総計 マイナス1800円

3月30日(金)

 いつもより2時間早く起きて、開通したばかりの埼玉高速鉄道に乗車。市ヶ谷へ向かう。今日の夜行われる花見の場所取り。

 8時頃、JR沿いの土手に着く。桜は満開で花見には最適な状態。しかし、すでにここかしこにブルーシートが敷かれていて、寒そうに寝転がっている新入社員らしき人達がいた。

 就職して初めの仕事は花見の場所取り・・・ってよく言うよなあと思いつつ、ふっと足が止まる。僕はもうすぐ30歳なのだ。なんでこんな年になってまで、花見の場所取りなんてしているんだろう。でも、もう少しよくよく考えてみると、自分で言い出したことだったのだ。我がことながら呆れてしまう。

 まあ、ここまで来たら出版業界の浜崎伝助を目指すしかないか。サカバカ日誌の杉江です・・・か。

 その後、どうにか場所を確保し、ブルーシートを広げ、張り紙を貼る。桜の下から書店さんへ出動。なかなか良い一日。

3月29日(木)

 下版徹夜明けの編集部は、ナチュラルハイ状態。僕が会社に出社すると、発行人の浜本が複式呼吸の大声で「おはようございま~す」と叫び、松村はくねくねと踊るように社内を走りまわり資料を探している。もちろんずっと独り言を言っている。その奥で机に突っ伏して半狂乱の目をして付け合わせをしているのは編集補助の渡辺で、唯一まともなのは状態なのは校正の市村さんだけ。
 
 こういう状態の会社に出社したときは早く逃げるに限る。思いつきでとんでもないことを言い出すに決まっているのだ。あわててカバンに荷物を詰めていると
「5月号の杉江の原稿にある池袋のジュンク堂なんだけど、ほんとは在庫何冊あるんだろうね?」
「公称160万冊って言ってましたよ。」
「いやそうじゃなくて実際の話。」
「そんなの棚卸でもしないかぎり、わかるわけないですよ。」

 ここで浜本の目がギロリと光る。完全に狂った目だった。時既に遅し。
「あのさ~、今度杉江、片っ端から数えてみない?ジュンク堂の在庫。5月号でやった歩数じゃなくて。朝から行って、1冊1冊数えて行くんだよ。そんで2時間くらい過ぎて元に戻ると『ああ、数が違う~』って泣くの?絶対面白いよ!」

 するとその話を踊りながら聞いていた松村が追い討ちをかける。
「それいい!杉江さんそのままジュンク堂に埋もれちゃうの。ずーっと1冊、2冊・・・って。ジュンク堂の怪談話。あははは。」

「あははは」じゃないんだよ。
 しかし冗談がそのまま本気になるのがこの会社の怖さなのだ。今まで何度も被害にあってきた。こんな話を聞いていると勝手にページを取られ、取材日を決められたりするんだ。僕は逃げるように会社を飛び出した。

 ・・・・・・。
 夕方会社に戻ると朝の大騒ぎが嘘のように静かになっている。ふっと編集部を覗くと、床に布団を敷いて、熟睡しているではないか。まったく人騒がせな人達だ。深い眠りとともに、朝言っていったとんでもないことをすっかり忘れてくれることを願うばかり。

3月28日(水)

 都内の営業を終え、飲み会へ。
今日は、赤坂のB書店Hさんに誘われ、各支店の店長さんたちの飲み会に参加させて頂く。都内に数件あるこのB書店は、僕の好きなタイプの書店さんなので、非常に楽しく酒を飲む。

 酒を飲むと打ち解けてくるもので、いつもは出版談義なんてしないHさんが真剣に「こうしたらいいんじゃないか!」と話しているのを聞いてビックリ。他の支店の店長さんも、その意見に賛同したり反論したりしている。何だかうれしくなってしまった。やっぱり酒席というのも必要なんだなあと反省する。

 というのも僕はあまり書店さんと酒を飲む機会がない。誘われれば行く程度なので月1くらいか。別に主義主張があってそうしているわけでもなく、また酒が嫌いというわけでもない。ただ誘うのが恥ずかしいだけなのだ。

 書店さんと話をしていて、この人の話をもっと聞いてみたいとか、一緒に酒を飲んでみたいと思うことは多い。しかし、どうしても「今度飲みませんか?」の一言が恥ずかしくて言えないのだ。何でだか自分でもわからない。よくよく考えてみると友達を誘うことも少ない。

 気軽に誘っている営業マンを見ると「スゴイなあ」と思わず感心してしまう、って感心している場合じゃないんだ。恥ずかしがりの照れ屋営業マンなんてどうしようもない。
 
 酒の席で、今日のように新たな発見はいっぱいあるはずだし、勉強になることも多いだろう。それにやっぱり人を知るのは楽しいことだ。

 きっとこれから、赤い顔をして汗を垂らしながら誘うんだろうなあ・・・。

3月27日(火)

 笹塚K書店のSさんが異動になってしまった。今日そのことを突然Sさんに切り出され、僕は呆然となり、ひざから一瞬にして力が抜け崩れ落ちそうになってしまった。Sさん自身も少しだけやるせない感情を顔に出し、「それもね、今度は売り場じゃなくて本部なんだよね。仕方ないけど・・・」と話を続ける。ということは、もう仕事で会う機会がほとんどないということか・・・。一段と僕は感情を取り乱してしまった。

 本の雑誌社に入社して、初めて名刺を渡した相手がこのSさんだった。営業前任者と引継ぎをかねて、まずは一番お世話になっている地元の本屋さんへ行こうと訪問したときのことだった。僕は文芸書の営業というものがどんなものなのかまったくわからず、ただただコチコチに緊張して、お店のドアを開けた。

「今度本の雑誌社で営業になりました杉江です。前も出版社に勤めていたんですが、専門書だったので、わからないことばかりです。ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします。」と頭を下げ、名刺を差し出した。そんな僕にSさんは、
「このお店には遊びに来るような感覚で来てよ。いいんだよ、そんな頭を下げなくて」と優しい言葉をかけてくれた。

 その後、地元にあるということと、Sさんと非常に気心もしれたということもあって、どこの書店さんよりも顔を出す機会が増えていった。いろんなお店を訪問した帰りにK書店に顔を出し、今日あったことをSさんに話すのを楽しみにしていた。もちろん、地元にあるのだから、会社の帰りに本を買いに立ち寄ることも多かった。そんな時はSさんに「杉江くんこんな本を買うの?」と冷やかされることもあった。

 もちろんSさんはただ優しいだけではなく、仕事に対しては厳しかったし、本の知識、売ることへの考え方など、尊敬できる書店員さんだった。僕はわからないことがあればSさんに聞き、教えてもらうことも多かった。

 そんなSさんが異動になってしまった。それも今度の部署は売り場ではないため、僕は仕事で会う機会がほとんどなくなるだろう。無性に淋しくなって、その後一日中ぼんやりしてしまった。

 とある飲み会で、出会った出版営業の人がこんなことを言っていた。
「私は前の仕事がゲームのプログラマーで、毎日機械を相手に仕事をしていたんですよ、何だかそれに虚しさを感じて、人とと関わる仕事がしたいと。で、営業になりました」

 僕はいま、これとまったく反対の気持ちになっている。人と知り合うから、そしてその人を好きになってしまうから、これほど心を揺さ振られてしまうのだ。だったらいっそ機械や物など人を相手にしない仕事に就けば、安定した気持ちで仕事ができるんじゃないか。

 僕は尊敬できる人に出会うと、とことんその人を好きになってしまう。別にべったり私生活に踏み込むわけではないけれど、今日はあの人に会える、明日はあの人に会えるといったことを喜びに営業をしている節がある。仕事だから割り切ってクールに付き合えばいいのに、どうしてもそれが出来ない。

 こんな性格の人間は、もしかしたら営業マンには向いていないんじゃないかと深く真剣に考えている。

3月26日(月)

 編集補助の渡辺くんとパートの石山さんがそろってお休み。どちらも風邪をひいてしまって高熱が出たと電話が入る。そんなところに地方小出版流通センターのKさんから電話が入り、Kさんも先々週40度の熱が3日続き、インフルエンザだと思っていたら、全然違う病気で、実はかなり危なかったという。うーん、恐ろしい限りだ。

 いったい営業マン一人の会社、いや単行本編集も一人しかいないし、雑誌編集も一人、会社で一番大切な経理も一人。当たり前だけど、発行人も編集長もひとりしかいない。そんな会社で誰かが倒れ、長期休業にでもなってしまったらどうなってしまうのだろうか。 
 そうだ、発行人浜本が入院したとき、みんな慌てたんだ。誰かが引き受けようとしても仕事自体わからないし、自分の仕事で手いっぱいだから、そんな余裕もなかった。だから松村が病院で寝ている浜本にダンボール二つも持っていたんだ。うーん、デスクワークならそれでいくらかこなせるかもしれないけれど、営業は無理だ。

 こんなことを考えているといきなりあることを思い出した。それは入社面接のシーンで、やたら目黒さんが「身体は丈夫ですか?」と聞いていたのだ。僕は一度も保険証も使ったことがないことを話し、「バカがつくほど丈夫です」と答えたのだ。それを聞いた目黒さんは、それまで何も書き込んでいなかった手元の資料に「○」と書き込んだのだ。

 そうか!わかったぞ。僕が本の雑誌社に入社できたのは、営業能力とか本の知識が買われたからじゃなくて(そんなものまったくないけど)ただただ身体が丈夫だったからなのだ。とほほほ。

3月23日(金)

 この日誌で何度も書いているP書店を訪問したら、ちょうど2階の売り場を整理しているところだった。何だか僕はこういう場面にひょっこり顔を出すことが多く、この日誌を読んでいるある書店さんから、「杉江さんが行くお店はやたら閉店とか縮小が多いですよねぇ、うちももしかして・・・」なんて恐れられたことがあった。それじゃまるで書店の死神だぁ。

 うーんでもほんとタイミングが良すぎるなあ。この日誌を書き出した一番最初の新橋の書店さんも閉店で棚を壊しているところだったし、とても仲の良かったWさんのお店も2ヵ月で閉店。ここには書かなかったけれど閉店してしまった町田のY書店さんを訪問したときもちょうど本の整理をしているときだった。他にもいくつか思い当たる節がある。他の営業マンは果たしてこんなに遭遇するもんなんだろうか?聞いてみたい気がするけれど、実は聞くのが怖い。

 さて、今日P書店を訪問したら、2階はほとんど片付いていて、H店長も少しさっぱりした様子だった。
「25年分ってすごいね、ビックリするようなもんがいっぱい出てきたよ。バブルのころいっぱい送られてきた出版社の販促物なんて山のようにあるし、いまじゃ古本屋で高い値がついているような本までさあ。いやー、この整理を考えると怖くてなかなか踏ん切りがつかなかったといのもあるんだよね。」

 前回訪問した際に、心配していた体調もだいぶ戻ってきているようで、H店長の顔色がすこぶる良くなっている。
「とにかく1階だけになってしまったけれど、これからもうひとガンバリするよ、時間を見つけて、神田村にも仕入れに行きたいしね。」

 頑張りましょう!H店長。そして僕は決して書店さんの死神ではないことを証明して下さい。

3月22日(木)

 営業を終え、夜は飲み会。
 深夜プラス1の浅沼さんを囲んで出版社の面々が集まる。とは言っても仕事のことではなくて、だただた気の会う業界人で気軽に酒を飲むだけ。非常に楽しいひととき。

 S社のTさんとは営業ルートが結構重なり、その話のなかで
「杉江さんのネタで話をすると盛り上がるんですよ、食わず嫌いが多いとかサッカーバカだなんて・・・」

 くー、うれしいような悲しいような。そうか、そういうことで僕が話していないことを横浜の書店さんが知っていたのか・・・。おかしいと思っていたんだよなあ。なんで刺身が食えないとか、牛乳は飲んだ方がいいですよなんて言われるのか。そうかそういうことだったのか。まあ、今度は僕がTさんの話題をばらまこうと固く決意をする、が、Tさんは僕のように好き嫌いもないし、とてもしっかりした人なのだ。さすがにウソはまずいしなあ・・・。

 飲み会の話題はもっぱら宮部みゆきの新刊『模倣犯』(小学館)。昨日出たばかりなのに、どこまで読んだとか、仕事をサボるなとか、絶対先を言うななどなど。結局浅沼さんが一番進んでいて、口を押さえるのが大変だった。それにしても、これほどみんなが話題にできる本があることに喜びを感じる。宮部さんは唯一残った国民作家なんじゃないかなあ。

3月21日(水)

 埼玉を営業、といっても今日はJリーグはない。だから真面目に仕事として埼玉へ向かったのだ。こんなことを改めて偉そうに自慢する営業マンなんていないか・・・。
 でもちゃんと書かないと関西方面のタクシー運転手に疑われてしまうのだ。ウエちゃん!僕はちゃんとtotoの予想の合間に仕事をしていますよ。

 さて。
 埼玉や千葉や神奈川を営業していて、いつも思うことだけれど、都内の新宿や渋谷などといった超都心に比べて流れている時間が違うような気がするのだ。同じ1時間、2時間といっても何だかゆったりしているようで、河に例えるならば、超都心は急流で、そこを少し離れると淵になって流れが弱まり、さらに遠くに行くと大河の流れになるという感じか。

 僕はどちらかというとゆっくり流れている方が性にあう。だから埼玉や千葉にいるとほっとする。でも心のどこかで取り残されたような気分にもなってしまう。東京以外で働くことを考えると思わずしり込みしてしまう。これはきっとそう思い込んでいるだけのことで、いざそうなれば馴れるのだろう。ただやっぱり怖い。これは一種の「都心病」とでもいうのか・・・。
 ああ、こんなことを考えるなんて、何だか疲れているのかなあ。

3月19日(月)

 今日はちょっとした取材があるので、スーツではおかしいと私服で出社。何だか遊びに行っているような気分になってしまいデスクワークに集中できない。よくよく考えてみると、本の雑誌社でスーツを着ているのは僕だけで、他の人達は普段着で出社していたのか…。うーん、金もかからないし、楽でいいだろうなあ。「営業マンにはスーツ手当支給を!」と発行人浜本へ向かって叫んでみたが、まるで聞いていない様子でパソコンをぱちくりやっている。ならば春闘に突入だと遠吠えしてみたが、誰も賛同してくれない。

 午後から助っ人の横溝くんをカメラマンに従え、取材にでかける。慣れない仕事なので非常に疲れ、そのまま、帰りは焼き肉屋で一杯。彼は今春から某大手出版社へ就職が決まっていて、今は学生から社会人への過渡期の不安を抱え込んでいるようだ。配属が営業になる可能性が高いらしく「杉江さん、これからもよろしくお願いします。」などと深々と頭を下げて来るではないか。いやいや、来年からは先輩とか上司とかそういう身分を捨てて、出版仲間として楽しく付き合おうと握手する。何だか楽しくなってきた。

 久しぶりに心を鷲掴みにされ、揺り動かされるような小説に出会ってしまった。こんな気分にさせられたのは10年ぶりくらいであろう。最後の数ページを京王線の新宿駅からJR埼京線のホームに向かうまでのコンコースで読んでいたのだが、涙があふれて止まらなかった。もうやめてくれ、もう勘弁してくれとページをめくるのを躊躇するほど、感情が一気に押しあふれてくる。

 その本のタイトルは『ボルトブルース』秋山鉄著(角川書店)。大学を中退し、就職したもののすぐさま会社が倒産。何もすることがなくて、ただただ、無気力に支配され酒を飲んでぶらついていた主人公が、失業給付金の打ち切りとともに現実へ立ち向かう話だ。ハローワークで知り合ったおじさんの一言によって、バイクで北海道を旅することを夢見、そこへ行けば何かが見つかるような気がして、その資金集めとして、自動車工場の期間労働に参加する。そこで、いろいろな人と出会い、いろいろなことを考える……。

 もしかすると何でもない小説なのかもしれない。他の人が読んだら、ふーんで終わってしまう小説なのか・・・。しかし僕にとってはたまらない1冊になってしまった。

 なぜなら僕も、予備校を2ヶ月で辞め、「これからどうしたらいいんだ」と悩み、原チャリで日本一周すれば何かが見えて来るんじゃないかと考えたクチだからだ。てっとり早くその資金を稼ぐために、僕の場合自動車工場ではなく、大手スーパーの集中精肉加工所で日勤夜勤交代制の仕事をした経験がある。まさに僕とこの小説の主人公が「=」で結ばれてしまったのだ。

 こんな読書体験は過去に1度しかなく、そのもう1冊は、『学問のススメ』清水義範著(光文社)だった。こちらは予備校に通う3人組を主人公にした受験青春小説だけれど、このなかの一人が僕と同じような考えを持ち、予備校を途中で辞めてしまうのだ。これを読んだときは、まさに僕もその渦中にいて、家族や友達からボロクソに言われていたときだったので、ものすごく救いになったのをはっきり覚えている。

 あの頃の、絶対忘れてはいけない熱い気持を思い出させてくれた『ボルトブルース』に深く感謝しつつ、僕は新宿駅埼京線のホームで涙をぬぐった。

 僕の原チャリ日本一周は、想いのなかだけで終ったけれど、それ以上のことを精肉加工の現場で働いている人達に教わった。能書きだけではなく、「生きる」ということの深い意味を。そして僕は、働くことを決心したのだ。

3月17日(土)

『炎のサッカー日誌&toto日誌 2000.02』

 明けましておめでとうございます。サッカーファンにとっては、ホーム開幕日が一年の始まりであって、大晦日は天皇杯最終日。その間の約3ヶ月は、ほぼ冬眠生活。

 しかしそんなしょぼくれた日々とも今日でおさらば。これからシーズン終了まで、命がけで我が浦和レッズを応援し、希望と絶望の日々を送るのだ。人生にこれほど楽しいことはない。そしてこれほどつらいこともないのである。ヒリヒリドキドキ胸が焼けこげる日々が続くのだ。

 Jリーグが始まって早9年。ほんとのことを明かすと僕自身そろそろ飽きてくるんじゃないかと考えていた。今まで、会社だって、趣味だって、とにかく何でも3年くらいで飽きてきた。僕にはその3年の法則が確立されていて、何か夢中になってやっていても、どうせ3年だろう・・・と自分自身で少し冷めた気持になっている。レッズにしても体力的に自由席に並ぶのに疲れ果て、ゴール裏で飛び跳ねる気力も無くなった。そろそろかなあとオフの間にちょっとだけ考えていたのである。

 ところがところが、いざ開幕となれば、シーズンチケットの1枚目をむしり取り、朝一で自転車をかっ飛ばしている自分がいる。熱々のコーヒーを入れたポット、小さいけれどしっかり見える双眼鏡、寒さ対策のブランケット、並びで敷くシート、観戦必需品をバッグに詰めて疾走している。
サッカーは何年観ても飽きないようだ。もうこうなったら僕は、死ぬまで駒場に通いたい。できることなら駒場で死にたいとも思う。ああ、ほんとバカだ。でもこんな気持を理解したいと思う人(いないだろうなあ)や同じような気持の人がいたら、是非『ぼくのプレミア・ライフ』ニック・ホンビィ著(新潮文庫)を読んで欲しい。サッカーがなければ生きていけない人たちの想いがいっぱいつまった最高の1冊。

 競技場に着いて早速並びの列にシートを引く。冷やかしがてら売店を覗くと今年の新ユニフォームが売っている。本日はまだ生産が追いつかないため限定販売だった。早速整理券をもらって購入。12,800円。ビリビリと袋を破って、去年までの悲しい思い出がいっぱい詰まったユニフォームを脱ぎ捨てる。良い思い出をいっぱいつくろうぜ!と新エンブレムを握って祈りを込める。

 さて試合の方は、前半ボロボロで、レッズから移籍した大柴に入れられる最悪の展開。C大阪のスピード、身体の寄せ方、スキを逃さない上手さを見ていて、去年まで我が浦和レッズがJ2にいたことを深く実感し、淋しく競技場を見つめる。0対1。

 後半またもや大柴に決められ0対2。ああ、もう最悪だ、とあきらめかけていたところに、我らが大将福田正博がピッチに姿を現す。その瞬間に駒場が熱く燃えるのがわかる。2万人のサポータが一丸となって「福田コール」を絶唱し、僕も息も絶え絶えで大コール。久しぶりに福田がピッチを走り回る姿を見て、何だか涙があふれてとまらなかった。やっぱりレッズは福田なんだ。

 するとすると、その福田が往年のキレを取り戻していて、いきなりシュート。惜しくもDFに阻まれはしたけれど、一気に流れが変わり、2対2まで追いつめる。僕は狂ったように「福田コール」をしていた。カッコ良すぎるぜ、福田。

 結局、延長戦にもつれ込んだものの、そのまま引き分け。勝てたような気もするし、負けていたような気もする不思議な試合展開。まあ、レッズお得意の帳尻合わせといえないでもないけれど・・・。
 それでもやっぱりJ1は面白い。去年一年間J2なら勝って当たり前と思いつつ競技場に通うのとは大違いだ。ついに今年が始まった。

『toto日誌』

 今回からtotoに関して、考え方を変えた。シングル1本勝負をやめて、マルチの複数買いに。なぜこんな気持になったのかというと、不確定要素の強い試合というのが、13試合中で4、5試合しかないのだ。他の試合はほぼ順当に決まる可能性が高い。となれば、この不確定試合にマルチを使えば、かなり高確率で当たるような気がしたからだ。

<杉江の買い目>
札幌対柏=勝、分、負(当)
浦和対C大阪=勝、負(外)
市原対名古屋=名古屋の勝ち(当)
東京V対鹿島=鹿島の勝ち(外)
清水対福岡=清水の勝ち(当)
G大阪対横浜M=G大阪の勝ち(当)
神戸対F東京=神戸の勝ち(当)
広島対磐田=磐田の勝ち(当)
水戸対大分=大分の勝ち(当)
横浜C対仙台=仙台の勝ち(外)
甲府対湘南=湘南の勝ち(当)
京都対新潟=新潟の勝ち(当)
鳥栖対川崎=川崎の勝ち(当)

 おぉ、やってしまった一番後悔のでかい3本外し。あと1本当たれば、初の払い戻しだったのではないか。それにこの買い目。実は浦和対C大阪や東京V対鹿島は危ないと思っていたんだ。それなのに助っ人の河合くんの一言で取りやめてしまったのだ。
「杉江さーん、まさかマルチを使うと言っても、何本も買うわけじゃないですよね。せめて500円くらいで当てないとサッカーバカが廃れますよ」なんて言うからだ。
いつもいつも河合君は余計なことを言って僕の足をひっぱるんだ。チクショー。

 えっ?河合君は1000円以上買ったって?ふざけるなよなあと怒りに震えそうになったけれど、それでも当たっていないらしい。まあ、それなら許そう。ああ、悔し。

収支マイナス600円
通算マイナス700円

3月16日(金)

 totoのことで頭がいっぱい。柏と札幌は怪しいとか、東京Vもやりそうな気がするなんてことを延々考えこんでいる。事務の浜田が出荷や伝票についていろいろ聞いてくるが上の空。金曜夕刻の目黒さんの気持がわかる。

 赤坂見附のB書店を訪問する際、途中の携帯電話屋で行列を発見する。いったい何だ?と思ったらtotoの購入で並んでいる。おぉ、こんなに混んでいるのか。いきなり1億円が出てしまい、俄然注目度が上がってしまったようだ。これは早めに買わないと時間切れになるんじゃないかと焦りだす。

 遅い昼飯を食いながら、あわててマークシートに記入。今回からは、シングルでの一発勝負をあきらめ、マルチで当てに行く作戦に変更。僕は大きな勘違いをしていた。シングルとマルチで配当が違うのかと思っていたのだ。実はそうではなく、ただ単に煩雑な記入を楽にしているだけだったのだ。この間1億円当てた人は、なんと20万円分も購入していたとか。うーん、20万はさすがにキツイ。

 渋谷Y書店さん近くでtotoを購入し、頭を仕事に切替る。
 H書店のHさんが「こんど引越しして通勤2時間になるんですよ~」となぜか笑っていう。不思議に思いながら「大変ですね」と答えると
「でも、これで1日1冊は通勤で本が読めますね」と笑う。

 本好きの恐ろしい発想転換。

 さてさて、会社に戻ったら、編集部の金子がうろちょろし、社内中のパソコンをいじっている。本の雑誌社も一応電脳化していて、ひとり一台程度パソコンが設置されている。すごい!と思われるかもしれないが、実は、その半分以上が各自持ち込みなのだ。僕はiMACを買う前に家で使っていた古いマックを持ってきて自分の机に置いているし、金子も同様で、仕事用に改造したMACを使用。
 それは発行人浜本も一緒で、自慢のデスクトップは2000年冬モデルとかいうスキー板みたいなVAIOなのだ。

 まあ、そんなことはどうでもよくて、今日金子がウロウロしていたのは、そのパソコンをすべてつなげようとしていることだった。ああでもないこうでもない、とぶつぶつ言いながらも夜にはなんとすべてつながってしまって、浜本宛てに書類なんかをパソコンで送れる。社内LANの完成!

 しかしいったい、こんな小さな会社で何の意味があるのだろうか?「おーい」と言えば聞こえるし、コピーすればいいものじゃないのか?しかし優しい本の雑誌一同は、一生懸命な金子を前にして誰も聞けなかった。

3月15日(木)

 中央線各駅停車の旅。市ヶ谷から西荻窪までチョボチョボと移動を繰り返す。遠方から攻めるというのが営業の基本らしい。例えば、中央線の営業だったら、一気に八王子まで移動し、立川、国分寺、吉祥寺など徐々に都心ににじり寄る。これだったら、予定が最後まで終らなかったとしても次なる日に近場に再度出かけられるというのだ。

 僕はつい最近までこんな良い方法を知らなかった。近場から営業して、徐々に遠くへ行っていた。その理由は、帰りに座れて、ぐっすり眠れるからだ。

 うーん、完全に僕は馬鹿だ。確かにおっしゃるとおりで、遠近方なら、かなり余裕が生まれる気がする。あぁ、なんで3年間も気づかなかったんだ。

3月14日(水)

 東京Y書店さんの隣に建っている新光証券でテレビの撮影をしていた。暴落し続ける株価の電光掲示板を前にして、それを見みつめるサラリーマンというよくあるニュース映像のようだ。僕も映ろうと思い、1万2千円を切った株価を眺め、呆然と苦悩と虚脱を一心に背負った素晴らしい表情を演じたつもりだったが、結局カメラのランプは光らないまま。ああ、残念。もちろん株なんてまったくわからないけれど。

 銀座のK書店Yさんにtotoの1億円が当たって辞めちゃったのかと思ったと言われる。そんな簡単に当たりません、と悔し涙で訴える。そのYさん
「売れ筋の本を頼むでしょう。出版社に在庫が少ないものは、営業マンとかいろんな方法を使って、手に入れるよね。でも、そんなことをするから、町の小さな書店に本が行かなくなるのかな…て胸が痛むのよね。店の売上は確保しないといけないし、でも、全体に見ると良くないことなのかもとかいっぱい考えちゃうのよね。」と。
 こんなことを書店さんに考えさせちゃいけないと僕は思う。出版社と取次店がどうにかする問題なんじゃないのか。

 次の銀座F書店の隣にまたまた人だかりが出来ている。今度はドラマの撮影か、誰がいるんだ?と慌てて寄っていくとカメラはいない。単なる美容院の前で人がいるだけ。ということはこの外にいる十数人の人は、髪を切る順番を待っているのか。人気のあるカリスマ美容師でもいるのだろうか?そちら方面(おしゃれ方面ということ)にまったく関心のない僕にはわからない。

 新橋、浜松町と営業し、最後は田町のT書店。僕が挨拶するなりKさんに
「杉江くんの本平積しているよ」と言われる。何だろうと思って平台を覗くと
『Goalへ 浦和レッズと小野伸二』小斎秀樹著(文芸春秋)。おぉ、それはもう読みました!なぜか会社に送られてきて、誰よりも先に奪い取ったのだ。まあ、他には誰も興味を示さなかったけれど。
 僕は1章の我らがレッズ福田正博のコメントを読んだだけで、大泣きしてしまったほど。ものすごく良い本だ!

 するとKさんがこの本も良く売れているんだよと次に教えてくれたのが
「オランダサッカー強さの秘密」糀正勝著(三省堂書店)こちらは知らなかったのですぐさま購入。おまけにその他2点も面白そうなサッカー本を教えてくれ、次回に買いますから取って置いて下さいとお願いする。

 これだけ営業で廻っていても、知らない本がいっぱいある。こんな本が出ていたのかと驚くことも多く、もし今日Kさんに教えてもらえなかったら、このサッカー本も知らないまま絶版品切なんてことになっていたのかもしれない。Kさんに深く感謝。

 しかしまたもやKさんにスカパーを薦められて悶絶する。いい加減根性を決めて入ろう。仕事なんて・・・。

3月13日(火)

 昨日の月曜日は勝手に代休。
 本の雑誌社には有休なんて制度がなく(あるのかもしれないが誰も知らないし、期待をしていないので聞いていない)、休みは年末年始や夏休み以外、カレンダーの色が違うところしか存在しない。まあ、それでも出版社勤務で休みがあるだけマシ。

 今回は無理矢理代休を取り、せっかく八丈島まで行ったんだから、浮き玉だけじゃなくて観光もしたいと延泊してしまった。レンタカーを借りて、島内を一周。時間があったので八丈富士にも登る。1280段の石段は、浮き玉筋肉痛の身体にはきつかった。それでも頂上から見る太平洋の景色に感動。やっぱり山はいいなあ。

 4月号の編集後記にも書かれてしまったけれど、僕は食べ物の食わず嫌いが半端じゃない。ナマ物(特に魚介類)、野菜類、乳製品、それ以外にもいっぱいある。自分自身でなぜ食えないのかわからないものもあるけれど、とにかく食べたくないものがいっぱいなのだ。幼い頃、食事の時間が一番つらい時間だった。

 八丈島旅行では予想していた通り、食べられるものがまったくなかった。海沿いの旅行はつらい。椎名が大推薦する獲れたてのカツオなんて死んでも食えないし、島寿司と呼ばれるものもヅケになっていてもやはりナマ魚なので食べられない。新宿ガブリ団のOさんがやたらに薦めるうまいらしいチーズもダメ。結局、野外パーティで食べたのは、鳥のから揚げ10個。うーん、我ながら馬鹿だなあ。

 こういう僕の好き嫌いを知ると、みんながみんな同じことを言う。
「杉江さん、人生の半分は損しているよ。」
その気持はわからないではないけれど、僕から言わせれば
「レッズ(サッカー)を観ないなんて、人生の全てを損しているよ。」になるのだ。
違うかなあ。

 休んでいるうちに、『私はハロン棒になりたい』(青木るえか著)の見本が出来あがっていたので、取次店へ持っていく。N社、T社で番号札を取って並ぼうと思ったら、それほど混んでいなかった。なんだか淋しい気持になる。

 夜は棚の会(取次店・出版社・書店などの集まり)主催の読書会に参加。今回は『本は誰が殺すのか』の著者佐野眞一さんを囲んでの討論会。参加者が予定の70人を越え、予備席までいっぱいだった。この本への注目度はやっぱり高い。面白い話が聞けて満足。とにかく、基本的なシステムの再構築が必要だと僕は思う。

3月10日(土)

『炎のサッカー&toto日誌 2000.01』

 始発電車に乗り込み羽田に向かう。ついにJリーグ開幕。そして我が浦和レッズは、なぜかよくわからないけれどブラジル体勢に一新し、一年ぶりにJ1へ復帰する日なのだ。今日は、引退間近の名古屋ストイコビッチ城を焼き落とし、一気に天下を取るのだ!やっとこの日がやってきたのだ。

 しかし…。しかしである。羽田空港で僕を迎えてくれたのは、相棒のトオルではなく、池林房のマスター太田篤哉さんであった。柔和なお地蔵様のような顔で「おはよう杉江くん」なんて言われてしまった。

 なぜだぁ!なぜなんだぁ!なぜ僕はこの大事な日に、名古屋でなく八丈島に行かなきゃならないんだ。それも五角形と六角形のきれいに幾何学模様のボールではなく、発砲スチロールもどきのバランスの悪いボールを追わなきゃならないんだ。

 そうなのだ。このJリーグ開幕の日が、浮き玉△ベースボール八丈島大会にぶつかってしまったのだ。僕はもちろん名古屋へ向かう予定で、それもチケットを取ってくれるという素晴らしい人に巡り会えたのに、そのことを新宿ガブリ団の監督(太田篤哉さん)に言えず、そのままずるずると八丈島に向かうことになってしまったのだ。ああ、情けない。

 試合開始のホイッスルが鳴る頃、僕はなぜか八丈富士から吹き下ろす冷たい風に身もだえし、「キックオフ」ではなく「プレイボール」と言われていた。名古屋へサッカー観戦に行った有楽町ゴジカラ団のYさんから逐一メールが入るのがせめてもの救い。(うん?どうしてこの人達は八丈島ではなく、名古屋にいるんだ?)そして、前半は0対0との連絡を受け、遠く離れた八丈島から「うら~わレッズ!」の声援を送る。

 しかし、結果は0対2であえなく敗北。行かなくて良かったのか、それとも僕が行かないから、こんな結果になったのか…。(そんな訳はないけれど、ファンという物はこういう独りよがりな想いを楽しむものである。)ああ、浦和レッズよ!とにかくサッカーマガジンの予想なんて吹き飛ばして、どんな大会でもいいから、今年こそ優勝しようぜ!

 さて、浦和レッズが負けようと、今年からはサッカーバカを楽しませてくれるもうひとつのお楽しみがある。そう「totoくじ」なのだ。なんと第1回から1億円が出ているではないか!それも2人。僕は…。

「杉江の買い目」<シングル>

鹿島:広島=鹿島の勝ち(当)
柏:清水=柏の勝ち(当)
F東京:東京V=東京Vの勝ち(外)
横浜M:神戸=神戸の勝ち(当)
磐田:市原=磐田の勝ち(当)
名古屋:浦和=名古屋の勝ち(当)
C大阪:札幌=C大阪の勝ち(外)
福岡:G大阪=福岡の勝ち(当)
水戸:仙台=仙台の勝ち(当)
湘南:横浜C=横浜Cの勝ち(外)
京都:山形=山形の勝ち(外)
鳥栖:新潟=引き分け(当)
大分:大宮=大分の勝ち(外)

 サッカーバカの自認しているつもりが、5本も外してしまった。これじゃ看板に偽りあり、になってしまうではないか。13本中8本じゃ、61%の的中率でしかない。うーん、せめて2本外しの3等くらいは確保したかった。

 せっかく鍵になる引き分けを、的中したのに、こんなんじゃ意味がない。横浜Cはメンタルな部分で絶対勝つと思ったし、2年連続ぎりぎりで昇格を逃した大分も今年にかける意気込みが違うはずだった。東京Vだって、昔の選手を集めて、実はやるんじゃないかと期待していたし、それにそれにどうして札幌がC大阪に勝つんだろうか?やっぱりサッカーは、攻撃力よりも守備力が大事なのか。

 ああ、1億円が僕の手から滑り落ちてしまった。いや、次回こそ当ててみせる。仕事なんてどうでもいいから、資料を集めよう!

<後日談>

 顧問となった目黒さんが、1Fへ降りてきて
「杉江外れたんでしょう?だって浦和レッズ負けたもんね」と笑われる。いや、違う。金がかかれば博打なのだ。変な思い入れは一切捨てないと当たりはしない。それを教えてくれたのは目黒さんの思い入れたっぷり競馬予想なのだ。いつも余計な思い入れで外れているじゃないですか。僕はしっかりそれを見て学習してきたのです。博打に情は禁物ですよ、目黒さん。

収支 -100円

3月9日(金)

 朝、直行して、倍増オープンとなったジュンク堂池袋店へ行く。その広さなんと2001坪。今までの常識を越えた広さに思わず圧倒される。はたして書店はいったいどこまで大きくなるのだろうか?そういえば今年初めにオープンした立川のオリオン書房ノルテ店もすごい。850坪もあって、これがなんとワンフロアのお店なのだ。エスカレータを降りて、思わず僕は呆然と立ち尽くしてしまった。壮観の一言。

 それにしても…。
 大きくなるお店の一方で、小さくなるお店もあるのだ。2フロアで営業していたお店が売り上げ不振でワンフロアへ。あるいは規模を縮小して他の部分で別の商売をするなどなど。営業でうろついていると、お店に入ったときの雰囲気が突然変わっていて、思わずビックリすることがある。それは大体、縮小したときのことだ。

 ここ数年、約1000件ずつもの書店さんが毎年閉店しているそうだ。それでいて書店床面積は増えているらしい。まあ、大きな書店がドーンと出店し、小さな書店がその数を上回る勢いで閉まっているということだろう。

 このことが、読者のためになるのか、ならないのか、僕にはよくわからない。

3月8日(木)

 事前注文の短冊を持って取次店を廻る。
 御茶ノ水のN社に行ったらビックリ!なんと書籍仕入の窓口に番号札ができているではないか。うれしいなあと思いつつ「41」番の札を手に取る。これで今までみたいに順番を抜かされたり、自分の前の人を覚えていたりしなくて済むんだ。

 こんなことを書いても一般の人にはまったく理解できないでしょうから、ちょっとだけ説明を。取次店(いわゆる問屋さん)に仕入窓口というのがあって、書店さんで販売されている本は基本的にここを通って流通しています。新刊が出来たらそれを持っていき、ここでどれほど売れるか検討され仕入部数が決定します。そして全国の書店さんへ出荷されていくことになります。まあ、これは基本的パターンなので、そうじゃない場合というのももちろんあります。

 で、この仕入窓口というのが、銀行の窓口のようになっていて、担当者がズラリと並んで、出版社の人間がひとりひとりそこへ本を持っていくようになっているのです。今まで、ここで待っている出版社がたくさんいたため、順番がわからなくなってしまったことがよくありました。それが今回この「番号札」が導入されたためスッキリ解消した次第です。って何だかほんと素朴な喜びだなあ。

 その後は飯田橋に移動し取次店T社へ向かう前に、深夜プラス1の浅沼さんと昼飯。今日は浅沼さん推薦のラーメン屋で味噌ラーメン。うまい!それはともかく浅沼さんは今月末に出版される『模倣犯』宮部みゆき著(小学館)の仕入でだいぶ頭を痛めている様子だった。相変わらず小さいお店にはなかなか売れ行きの良い本が来ないのだ。ああ、こういうことを改善する良い方法はないのだろうか?と僕も頭と胸を痛める。

3月7日(水)

 3月16日(金)搬入の新刊『私はハロン棒になりたい』(青木るえかさんデビュー作)の事前注文〆切日。

 このタイトルを編集部から提案されたとき、営業マンである僕は猛烈に反対した。その理由は「ハロン棒」が競馬用語の為、誤解されてしまって競馬棚に入れられてしまう怖れがあるからだ。せっかくの日常面白エッセイ集なのにそれでは非常に困る。

 しかし編集部は、頑なにこのタイトルにこだわりをみせた。そして僕の鋭い意見に対して、発行人の浜本が反論してきたのである。

「だったら杉江くん、うちの『午前零時の玄米パン』(群ようこ著)は料理本の棚に行っちゃうし、『てやんでぇ!』(大月隆寛著)は江戸弁のコーナーに行っちゃうかもしれなかったってことだよ。でもそんなことはなかったし、『超能力株式会社の未来』だって超常現象の棚に入れられることはなかったよ。」と言われてしまったのである。

 江戸弁のコーナーって何だ?と思わず突っ込もうとしたけれど、まあ、作っている本人達がこのタイトルにそれほど想いを込めているなら仕方ない。おまけにこういうときだけ異様に結束する本の雑誌編集部(浜本、松村、金子)相手にとてもひとりでは太刀打ちできないので渋々了承せざるえなかった。いつか「営業部」を作って挽回したいと夢を見る。

 〆切日は、注文を取り切れていない書店さんを廻るので無謀なジグザグ営業にならざるえない。JR、私鉄、地下鉄と『人間駅すぱーと』となって首都圏を大移動。

 途中、高田馬場のH書店さんでJ出版のTさんとお会いする。ワンポイントリリーフでの職場復帰だったため、今月末には退社する予定だとか。今日も次なる新人さんへ急ピッチの引継をしているところだった。淋しい限り。

 渋谷へ移動し、S書店のOさんを訪問。
「3月号を見てうれしくなっちゃいましたよ。杉江さんがついに編集後記で登場なんですもん。私、DMの杉江さんのコラム大好きなんですよ。」と、とんでもない誉め言葉を頂き、思わず顔が真っ赤。
 まあ、この『炎の営業日誌』と一緒でほんの一握りの人が読んで面白がってくれているのだろうけれど、それでもこういう一言は大きな励みになる。

 この後の営業ルートはとても書けない。なぜなら営業マンとして口に出来ないほど滅茶苦茶な移動をしてしまったからだ。もっと計画的に動かないとなあと深く反省する。

3月6日(火)

 前に一度書いたことのある、高田馬場S書店を訪問。ここはお店の客層と「本の雑誌」が噛み合わないと考えていたので、長いつき合いであるM店長に会うためだけに訪問していたお店だ。

 しかし先週訪問した際にM店長からアルバイトのTさんを紹介され、一気に話が変わる。このTさんは文庫の担当をしていて、実は本の雑誌の大ファンらしい。あろうことか僕の名刺まで大事そうに取り扱ってくれるし、話を聞いてみたらこのHPまでしっかりチェックしているとか。
 おまけに、なんとサッカーファンだという。そうか、そういうわけで妙にサッカー本が揃っていたのか。思わず納得する。ただ、残念なのはアントラーズファンだということ…。

 まあサッカー話はともかく、Tさんは、文庫の棚にしっかり本の雑誌関連のものを並べてくれていて、実はそれが良く売れているという。ということは僕の「ここは客層が違う」というヨミは完全に外れていたようだ。恥ずかしいなあ。

 脇でこの話を聞いていたM店長が、いきなりフェアの企画をぶち立ててくれる。
「やってみようよ、杉江くん。本の雑誌と仲間達のフェア。」
「えっ、いいんですか?」
「担当者がやりたがっているフェアだし、やっぱり仕事は楽しくやるのが一番なんだと思うんだよね。楽しくて売れるが一番、次は楽しくて売れない…かな(笑)。まあ、とにかくやってみようよ。」

 というわけで、今日の打ち合わせの結果、「本の雑誌と仲間達フェア」を高田馬場<三省堂書店>で開催することになった。こうなったら僕もできる限りのことはしようと思い、早速会社に戻ってサイン本の手配をする。さあ、面白くなってきたぞ。

 夜は、気持ちよく書店さんと池林房で飲む。

3月5日(月)

 朝、会社に出社し、休みのうちに届いていたFAXを整理する。ペラペラと担当者ごとに振り分けていると、思わず指が止まった。通しで13枚ほど送られてきたそのファックスは、僕が今一番好きな作家Kさんから届いた原稿だった。

 そのKさんとは、ある書店さんを通じて知り合うことができた。営業マンと作家という一見つながりがありそうで、実はほとんどない関係のなか、それほど頻繁ではないけれど、フッとした機会にメールを交わすような交流が続いていた。それは仕事のつながりというよりは、個人的なつながりだった。

 そんな関係の中、僕は活字中毒者でもあるKさんの「オールタイムベスト10」を読みたいと思っていた。この想いはきっと「本の雑誌」の読者にもつながるのではないかと考え、昨年の暮れにKさんへ原稿をお願いしてみたのである。

 こんなことを営業マンがしてもいいのか、失礼にあたるのではないか、とかなり悩みつつ、それでもお願いすることに踏ん切ったのは、どうしても読みたい、そして知りたいという気持ちが勝ったからだ。

 するとKさんは、非常に多忙なのにも関わらず快く了承してくれ、すぐさま掲載号も決まり、正式な原稿依頼となったのである。

 そして今日。
 そのKさんからの原稿が届いた。

 僕は、一読目を感動で頭がボーっとしびれたまま何も理解ができずに読み終えた。二読目もまだ震えていて、しっかり文章を読むことができない。3読目で少し自分を取り戻し内容を頭で追え、4読目でその原稿の面白さ、素晴らしさに打ち震えた。

 そして僕は、原稿を持ったまま、涙がこぼれ落ちそうになった。

 営業マンの僕の依頼を快く引き受けてくれ、そしてこれだけしっかりとした原稿を書いてくださったKさんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになってしまったのである。Kさん、ありがとうございました。

 ちなみにこの原稿は5月特大号に掲載します。読者の方々に少しでも楽しんで頂ければ、僕はまた涙を流すことになるでしょう。是非、お楽しみに!

3月2日(金)

 渋谷を営業し、銀座へ移動。
 A書店のOさんがひどい風邪をひいていた。早く家に帰って布団に入ることをお薦めする。

「でも、まだ仕事がね…。」

 皆さん、無理は禁物です。
 本の雑誌社の皆さん、少しは無理もしましょう。

3月1日(木)

 久しぶりの雨。

 この日誌を書き出してから、良く聞かれることは
「毎日外に出て、書店さんを廻っているんですか?」ということ。
 僕の答えは
「はい、毎日書店さんを廻ってます。」
 すると大体ビックリされる。

 雨の日も風の日も雪の日も、営業マンは外に行かなきゃ仕事にならないので、会社を飛び出さざるえない。僕が本の雑誌社に入社してから約3年半。一日中外に出ず、社内に籠もっていたことは1日だけと記憶する。それは確か身体の具合がよほど悪かったときか、デスクワークが溜まってしまったときだった。

 決まってその質問のあとは
「大変ですねぇ。」という言葉が続く。
 でも毎日外に出ている身としては、その逆に「よく会社に一日いられるなあ。」と感じてしまうのだ。僕も最初はつらかったけど、やっぱり人間は何でも慣れるもんなのだ。

 さて、今日も雨の中、傘をさして営業に出かける。チビには大きい傘が似合わない。商店街のウィンドゥに映る自分を見ると、ひとりだけビーチパラソルをさしているようだ…。まあ仕方ない。

 調布のP書店さんを訪問すると、Sさんが
「杉江さん、僕、異動になっちゃった。今度は名古屋支店なんですよー。」
 思わず唖然。

 春は気候としては徐々に暖かくなり過ごしやすくなるから好きだけど、季節としては別れが多いから嫌い。せっかく仲良くなれた書店さんと別れなきゃいけないこともあるし、我が社の助っ人卒業生ともお別れしなきゃならない。ああ、春なんて大嫌いだ!

 出会いと別れなんて簡単に言うけれど、気持ちはそんなすぐ割り切れるもんじゃない。しばらくの間ぽっかり心に穴が空いてしまって、そのお店を訪問する度に思い出に浸ってしまうのだ。何気ない会話、何気ない仕草、そんなことをひとつひとつ思い浮かべ思わずぼんやり。今日も何だか淋しくてやりきれない気持ちになってしまった。Sさんには「いつか名古屋へ行きます。そのときは手羽先と味噌カツと味噌煮込みを食いましょう。」と約束し、深々と頭を下げて「今までありがとうございました」と感謝を伝える。下を向いたら思わず涙がこぼれそうになってしまった。

 その後、府中のK書店に行き、ここも先月限りでAさんが異動になってしまったお店。ただ、こちらは新宿店への異動だったから良かったけれど。

 さて、新担当者の方がどんな方なのかと緊張しつつ名刺交換。そのHさんと話をしてみるとものすごい本好きだったので一安心。いや一安心どころか妙に話があってしまい思わず長話。

 ああ、このようにして、また新たな出会いが生まれることに感謝。
 しかしまたいつか別れが来るのか…、と思うとやりきれない。

 「出会いと別れ」。いつか慣れるときが来るのか…と思っていたけれど、さすがにこればっかりは慣れそうにない。いや、こんなことが「慣れ」になってしまったら、僕は営業をやめるだろう。
 なぜなら人として最低じゃないか!

« 2001年2月 | 2001年3月 | 2001年4月 »