WEB本の雑誌

9月28日(金)

 銀座のA書店Oさんからご注文いただいた『笑う運転手』を直納。これで3度目の注文となり、増刷したかいがあったというもの。それにしてもウエちゃんが銀座で売れるとは…。

 ウエちゃんついでで書いておくと、なんと『笑う運転手』がラジオドラマになることが決まりました!! 関西地方のみの放送になると思いますが、毎日放送の『ありがとう浜村淳です』で10月15日(月)~19日(金)朝9時40分から50分までの間に放送されるそうです。あの浜村淳が『笑う運転手』を朗読するなんて、ハマリまくりなんじゃないでしょうか。とにかく関西地方の読者の皆様お楽しみに!

 さて、話は銀座のA書店に戻り、直納の『笑う運転手』をOさんに渡したところ、「私も杉江さんに渡す物があるの。」と言われ、何だろう?と疑問に思っていると、1枚のポップと1本のポップ立てそして2組の軍手を差し出された。

「今日、鈴木輝一郎先生がいらっしゃったんです。いつも新刊が出るとこの一式を持参して訪問してくれるんです。うれしいですよね。そんで、今日、これから本の雑誌の営業さんが来るって鈴木先生にお話ししたら、杉江さんの分として置いていかれました。どうぞ。」僕は、Oさんに差し出されたその1式を何気なく受け取りつつ、次のお店へ向かった。

 ところが電車に乗っている内に、むくむくとイヤな予感が沸いてくる。これはもしかするともしかして、鈴木輝一郎先生に一杯食わされたのではないだろうか?と。僕が頂いたこの1式、会社に持って帰っても意味がない。本の雑誌社に鈴木輝一郎先生の顔写真入りポップを立てたところで何の意味があるのだろうか? ダンディー好きの事務員浜田がヨダレを垂らして喜ぶだけで、新刊『吠えず芸せず咬みつかず』の売上には関係ない。

 ということは、これは僕がこれから訪問するであろう書店さんに立てて来るように!という意味ではないか。きっとそうだろう…。ああ、なぜに僕が河出書房新社の新刊のポップ立てをしなきゃいけないんだ。他社の面白本をお薦めすることはよくあるけれど、わざわざポップを立てに行くなんて初めてのことだ。

 その後、一応、任務だけはまっとうしようと、次に訪問した神保町のS書店でOさんに渡そうとした。ところがOさんが平台を指さす。おお、すでに同じ物が立っているではないか。
「鈴木先生がやってきて、もう頂いてます」とのこと。
 ……。

 結局、帰りがけに寄った、新宿の三省堂書店古江さんに渡し、堂々とポップが立てられることとなった。古江さんはなぜに僕がそのポップを持っているのか不思議そうに笑っていた。

 鈴木輝一郎先生、わたくし炎の営業こと杉江は、任務はまっとうしました。

9月27日(木)

 午後から取次店N社のMさんがやってきて、ネット注文分のメールでの受発注について打ち合わせ。読者から頂いた注文を翌日にはN社に入れられるよう、ただいまシステムを構築していて、これが出来ればN社系のネット書店では素早く本をお届けできることだろう。

 それにしても、僕のように毎日いろんな書店を訪問していると、世間一般で常識的に言われている「本が手に入らない」という現実をつい忘れてしまう。A書店になければ、隣駅のB書店。それでもなければ沿線ターミナルのC書店へと足を延ばせば、ほとんどの本が手に入るし、一日でも早く手に入れたいならD書店!なんて考えてしまう。

 しかし読者=お客さんは、余程のことがない限りそこまでしない。行ったお店になければ、もうその本は「ない」ものになってしまうし、ならば「買わない」という結果になることが多い。欲しいと思った瞬間に「ある」か「ない」かの差は非常に大きいのだ。僕としても本以外の物を買うときのことを考えれば同じことだろう。

 本の雑誌社の本は、置いてある書店が限られている。この現状を打開した方が良いのか、それともこのままの方が良いのか、いろいろと考えてみるがなかなか結論がでない。なぜなら、多くの書店に置かれるほど、返品の恐怖がわき起こってくるからだ。その辺は非常に難しい。

9月26日(水)

 本の雑誌社には派閥があって、それは「目黒派」と「反目黒派」に別れる。こう書くとビックリされるだろうから、先に訂正しておくと、これは、会社としての派閥ではなく、読書の派閥のことなのでご安心を。まあ、言い換えれば「北上次郎派」と「反北上次郎派」になるということ。

 目黒派の筆頭は、事務の浜田。この人はとても奇特な人で、目黒考二がGOサインを出した本以外まったく読まない人なのだ。読書経歴は完全に目黒と一緒。オースン・スコット・カード著『消えた少年たち』(早川書房)で涙し、浅田次郎の『鉄道屋』では「角筈にて」で号泣し、志水辰夫をずーっと愛読している。周りは非常に心配しているが、浜田自身は「わたしは目黒さんに一生ついていく」と言っているので仕方ない。

 次に続く目黒派が発行人の浜本。この浜本も目黒が「イイ」と言ったものはほとんど読んでいる。ただその読後の判断は別で「目黒さんはイイっていうけど、オレは……」と話すことが少なくない。

 では、反目黒派の筆頭は誰か?
 これはもう進行の松村と単行本編集の金子の2人。
 この2人はスゴイ。

 例えば川上健一著『翼はいつまでも』(集英社)を僕と浜本が同時に読んで、社内で「傑作だぁ!」と叫んでいたときがあった。そしてみんなに読むように薦めていたとき、この二人はまったく同じ言葉をつぶやいた。
「それって、目黒さんがお薦めしていた奴でしょ、じゃあ、いいや。」
 なんとなくわかるようなわからないような感じだが、まあ、読書というのはそれだけ幅があるというものなので仕方ないだろう。

 ところで僕はというと、そろそろ目黒派を脱したいと思っているところだ。目黒さんの薦めた本を、またどうせ目黒絶賛的な話だろうとバカにしつつ読んでいるが、いつの間にかに目黒考二になっていて、感動の涙を流している。そしてその涙を拭きながら「チクショー、また目黒さんにやられた」と後悔しているのだ。

 このことを目黒さんに話したら、「杉江くん、素直になりなさい」と肩を叩かれた。

9月25日(火)

 3連休明けで営業に出ると、「歩き方」を脳味噌が忘れてしまっているようで、ふわふわと頼りなげな歩き方になってしまう。情けない。

 営業中に村上龍の新刊を見つけあわてて購入。『最後の家族』(幻冬舎)。村上龍は新刊が出ると必ず購入する作家のひとりで、僕はかなり熱心な読者だろう。ただ、問題なのは、当たりと外れというか、力作とそうでないものがあまりにハッキリしていて、ガックリすることも少なくないことで、それでもしつこく読み続けるのは、唐突にとんでもなく面白いものを書いてくれる期待感からだ。

 さて今回の『最後の家族』は…と思いつつ、帰りの電車の中でペラペラ最初の数ページを読み始めたところ、これは!これは!とはやる気持ちが抑えられなくなる。早く先が知りたい、どうなっていくのか?とにかく傑作の匂いが充満していた。

 結局、家に帰っても読み続け、あっという間に読了してしまった。今、僕の頭のなかは痺れまくっていて、感動と興奮と、そして考えなくてはいけないことが山盛りである。どうして涙が出てきたのかうまく言葉にできないけれど、何度も何度もこみ上げてくる涙をこらえきれず、ティッシュで拭った。ありがちな感動話を村上龍が書くわけもなく、村上龍らしいメッセージと新たに手に入れた情報がしっかり書き手のなかで消化され、小説として構築されている。何だかものすごく偉そうに書いているがとにかくすごい小説だと僕は思う。

 『最後の家族』という少し悲観的なタイトルには、逆説的な意味合いが含まれているだろう。それは今までの価値観での家族の崩壊を意味しているが、この小説のラストでは、村上龍が考える新たな価値観のなかでの『最初の家族』が描かれている。その家族像は、少し淋しくて、でもカッコイイ!

 これだから村上龍はやめられない。

9月22日(土)

『炎のサッカー日誌』

 待ち合わせ場所の駅のホームに立っていた母親が、一段と小さく見えた。いつの間にか白髪も増えて、シワも増しているように感じた。「老い」という言葉が突然浮かんだ。何年ぶり、いや何十年ぶりかで、二人で電車に乗った。毎日一緒にいれば、話すことがないのはわかるけれど、久しぶりにこうやって向き合っても特別話すことがないことに気づいた。電車に揺られている間、ずっとレッズの話をしていた。
「今日はお母さんが大好きな山田が出場停止なのよ、次に好きな内舘は怪我だし。でね、アントラーズの相馬も好きなんだけど、多分病み上がりだから出ないよね。残念。」

 こっちがビックリするくらい、いつの間にか母親はサッカー通になっていた。レッズの選手はサテライトまで全部覚えているし、日本代表の選手もすらすらと名前が出てくる。それ以外でも各チームの主力選手はだいたい覚えているらしい。今、母親のお気に入りの選手はサンフレッチェ広島の藤本だそうだ。
「なんで好きなんだ?」と聞いたら「ゴールを決めたあとに阿波踊りを踊るバカさがあんたに似ている」と言われた。

 今まで母親がレッズを見るときは、いつも指定席だった。どちらかというと大人しい席で、押し黙ったように観戦する場所だ。大声を出すと周りの人がビックリして振り返る。僕にはとても我慢できない観戦場所だが、年老いた母親のことを考え、その席を案内していた。
 ところが今年になって4試合生観戦した母親があんな場所じゃ物足りないと言いだした。今度はあんた達と同じ場所に連れて行ってくれとせがむ。騎馬戦で絶叫していた魂は健在のようで、僕はうれしかった。

 国立競技場に着いて、先に来ていたKさんとOさんと合流する。ゴール裏、ほぼ正面。レッズバカが集まる場所。母親の希望通りの場所だった。母親を見て驚いたKさんが前の人に話し、座って観戦できるように立つときは少しだけずれてくれないか?と伝えてくれた。話されたサポーターは素直に了承してくれた。母親は当然立って観戦する覚悟をしていたが、Kさんと他のサポーターの気持ちがありがたかった。

 試合は開始早々アントラーズにゴールを決められ、ここのところのレッズの悪さが出る最悪の展開。これは0対3くらいは覚悟しないと行けないと腹をくくる。それでもKさんとOさんと大声を張り上げコールを続ける。僕たちには応援することと信じることしかできない。
 前半はそのまま終了した。最後の方に良い形がいくつか作れたのが、希望の元だった。母親は頭から振ってくる声援に驚きつつも、一緒になって拍手を繰り返していた。

 後半が始まり俄然レッズペースになる。サッカーは突然形勢が変わるから面白い。何が理由なのかわからないけれど、アントラーズのDFが慌てだし、中盤でボールが取れるようになっていく。

 こちらの興奮も同様で、一気に応援がヒートアップしていく。何度も何度もチャンスを潰し、その度に悲鳴と落胆と絶叫がこだまする。

 そしてついに…。後半途中出場の我らが美男子・永井が目の前のアントラーズゴールにボールを蹴り込む。ユラユラと揺れるゴールネットに包まれるボールを見ながら、我を忘れてKさんとOさんと抱き合う。これで同点。絶叫、歓喜、興奮。Oさんの肩越しに母親の姿が一瞬見える。そこには絶叫する母親の姿があった。母親は僕を見て、ガッツポーズをした。62才のガッツポーズを僕は生まれて初めて見た。

 肌寒くなった国立に、試合終了のホイッスルが鳴り響いた。結果は、涙のVゴール負け。納得はしないが、満足感のある試合だった。

 帰りの電車のなかで母親が突然言い出した。
「お母さん、正直言って、あと何十年も生きられるわけじゃないのよね。10年、15年がいいところよね。動けるのはあと10年かな。そういうの最近考えちゃうのよね。出来るなら面倒をかけないように死にたいのよね、今日のVゴールみたいにポックリとね。」

 悲しいけれど、それは僕自身もときたま考えることだった。父親も母親も、もう若くはない。そのことはわかっているが、何となく淋しい。

「ほんと面倒かけたくないのよ」としつこく申し訳なさそうに話す。
「いいんじゃない、最後くらい面倒かけても…。オレ、かなり面倒かけたからね。」
「ああ、そうだね…。あんたには死ぬほど面倒をかけられたね。それよりさ、レッズ、お母さんが生きているうちに優勝するかな?」

WE ARE REDS.

9月21日(金)

 会社に着いてまずすることは、メールのチェックといくつかのホームページを確認すること。そのひとつが「銀河通信」の安田ママの日記で、毎朝の楽しみとなっている。ところが本日営業に行く予定だったのに、日記には風邪気味と書かれているではないか。大丈夫なんだろうか?と心配しつつ、千葉方面へ。

 安田ママのお店を訪問すると、いつも通り元気な姿で棚差をしていた。
「身体だいじょうぶですか?」
「あっ、平気、平気」と笑う。
 ほんとに笑っている場合なのだろうかと心配になるが、いつ見ても安田ママのエネルギーには驚かされる。普通だったら書店の仕事だけでもだらっとなってしまうのに、子育て、家事、読書、おまけにネットへとフルパワーで体当たりしているのだ。どう考えても一人の人間とは思えない。

 安田ママ双子説…というのを総武線に乗りながら、真剣に考えてみたが、あまりのバカらしさに自分が情けなくなる。

 安田ママいつもありがとうございます。安田ママの頑張る姿を見ていると、こちらも元気が出てきます。とにかく身体には気をつけて、出版業界を少しでも盛り上げて行きましょう。

9月20日(木)

 助っ人学生を相手にプロ野球談義をしていた。僕は今まで書かずにいたが、熱狂的ヤクルトファンで、レッズの駒場だけでなく、神宮球場でときたま東京音頭を踊っているバカ野郎である。だから今のところ幸せなのだ。

 話し相手の助っ人武田さんは和歌山出身で、熱烈な阪神ファンである。「優勝なんてどうでもいいんです、今年は赤星が新人王と盗塁王を取るかに注目です」と今どきの女子大生とは思えない鋭い野球ファンである。

 セ・リーグの話を終えてパ・リーグへ。すると突然武田さんが
「近鉄の優勝です!」とキッパリ。
「あっ、やっぱり関西人だから近鉄なんだ?」と質問すると、
「違うんです、近鉄には興味がないんですけど、母が近鉄百貨店のバーゲンを期待していて、そこで布団を買うって楽しみにしているんです。だから近鉄が優勝しないと困るんです」

 なるほどね、と関心していたら、今まで黙って聞いていた高橋さんが
「じゃあ、わたしはダイエーが優勝しないと困る」と飛び込んでくる。
「なんでよ?」
「だって、お母さんがダイエーのバーゲンでブラジャーを買うって張り切っているんです。」

 野球談義がいつの間にかバーゲン談義になっていた。武田さんと高橋さんはいつまでも布団とブラジャーで言い争っている。こういうのも親想いの娘というのだろうか?

9月19日(水)

 昨日の気持ちを引きずったまま、とぼとぼと営業に出かける。小田急線沿線の遠い書店さんを訪問するがなんと休業日! おお、残念無念。まあ、来月再訪しようと考え直し、その後、かつて本店勤務で異動となったTさんを1年ぶりに訪問しようと、乗り換えをして大和駅に向かうが、なんとこちらも休業日!! 思わず頭を抱え、駅前のベンチにへたり込む。

 町田に戻り、Y書店さんを訪問すると、担当者が異動になっていて、新たな文芸担当者Hさんと名刺交換。とても気さくな方でこれからが楽しみ。

 別れ、新たな出会い。
 こうやってまた時間は過ぎて行くんだろうなあと小田急線のなかでぼんやりする。

9月18日(火)

 仲の良かった書店員さんが今週いっぱいで退職となり、その送別会に参加。本人の意向で少人数で行われたその送別会はとても暖かい会で、過去にあったエピソードを大笑いして話しつつも、誰もが心の底で退職が残念がっているのが手に取るようにわかる。「ほんとに辞めちゃうの?」と何度も聞かれ、Kさんは苦笑いしていた。
 僕自身も何だか気が抜けてしまったような気分で、ぼんやりKさんの顔を見つめていた。

 営業という仕事は、人と出会う仕事であり、またこのようにして別れる仕事でもある。僕は今、こういうことに少し耐えられなくなりつつある。Kさんと別れたあと、突然、心の奥から悲しみがわき起こり、深夜池袋駅のホームで思わず涙してしまった。何だかつらい仕事だ。

9月17日(月)

 2週間ほどまったく更新せずにいたのには、理由があって、僕はてっきりこの連載が8月いっぱいで終わりだと考えていたのだ。だからうまくまとまる最終回を書いていた。ところがそれを遠くで見ていた浜本がいきなり一喝!

「すぎえ~、終わりじゃないぞ~、日記というのはお前が生きている限り続くんだ」
「あれ?だって初めの約束で1年と言ってなかったですか?」
「いつそんなこと言った?証拠はあるか?何か契約したか?オレの判子は押してあるか?」と立て続けにどこかの悪徳なキャッチセールスみたいなことを言われてしまう。
 なんだかこの会社にはタヌキとキツネが住んでいるようだ…。

 というわけですっかりこの2週間の出来事は忘れてしまったので、今日から日誌を再開します。これからもよろしくお願いします。

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 当WEB連載から初の単行本となったウエちゃんの『笑う運転手』が売れていて、あっという間に品切れとなってしまった。各書店の在庫を調査しつつ、浜本と二人「これならいける」と判断を下し、増刷決定! 無名の著者の本にしては充分な売れ行き…思わず「笑う営業マン」になってしまう。もっともっと売れれば喪黒福造になれるかな…。