WEB本の雑誌

« 2001年9月 | 2001年10月 | 2001年11月 »

10月31日(水)

『炎のサッカー日誌』

 仕事を終えて、駒場に向かう。
 前回の試合が埼玉スタジアムだっただけに、なんだか通い慣れた駒場競技場を見るとホッとする。ここは間違いなく我が家(ホーム)だ。

 さて、我が浦和レッズ、実は2ヶ月も勝利から見放されているのである。どうも最近、僕は情緒不安定だと思ったらそういうことだった。おまけに1stステージはそれなりの戦績でまさか今頃J2争いをするなんて考えていなく暢気なもんだったのに、いつの間にJ2降格ダービーに顔を出している。最悪…。今日はかつてから一方的にやられ続けている憎き清水エスパルス。ほとんど望みを捨ててスタンドへ。

 ところがところが、開始1分。わがまま小僧エメルソンがゴール!ビックリしつつ、観戦仲間のKさんやOさんと飛び上がる。応援もヒートアップし、腹式呼吸で「うらーわレッズ」と吠える。その後も攻めまくりのレッズは、前半終了間際44分、ムラの激しい山田が絶好調のゴール!!

 2対0でハーフタイムを迎える幸せ。タバコがうまい、ビールがうまい。こうなったら何でもうまい。レッズが勝利し続ければ僕の偏食も治るんじゃないか。

 後半は、ある意味予想通りエスパルスにやられ続ける。しかしギリギリの状態でどうにか守りきり、終わってみれば2対1の勝利!!! 結局へたくそな腹式呼吸は失敗に終わり、またまた、のどから血が出る始末。数日間は営業にならないだろうなと思いつつも、ガラガラ声で「We are Reds」と叫んでいた。これでJ2落ちは99%ない…だろう!!

 帰り際、Kさんの息子さんの一言。
「勝つってこんなに嬉しかったんだね」

 僕はレッズの勝利以上に幸せなことがこの世にあるとは思っていない。

10月30日(火)

 来月発売の新刊『なまこのひとりごと』の営業。このタイトルの決めるのに、編集部の金子と激しく対決し、結局僕の敗北に終わった。

 金子がいうには、僕の挙げるタイトルはどれも直接的で、詩的センスがまったくないらしく、実用書としてならいいけれど、文芸書ではダメだという。それはそれで当たり前のことで、営業としては単刀直入に本の内容がわかればいいと思っているからだ。だから今回僕がゲラを読んですぐさま挙げたタイトルは「脱サラ→農業(ここに×を書き)漁業」というものだった。

 声に出すと同時にボロボロに論破され、あえなく撃沈。そうはいってもじゃあ、なぜ「なまこのひとりごと」なんだと金子に問いただすと、金子は涼しい顔で「このセンスわからないの?ちょっとそういう人に説明してもなあ…」などともったいぶる。

 きっと、深い意味はないんじゃないかと思う今日この頃。

10月29日(月)

 とある書店に行き、バックヤードで店長さんと話し込んでいた。その店長さんの机の脇に、10数冊の本が積んであった。最近、書評で取り上げられた面白そうな本ばかり。

 店長さんがその本の山を指さし、
「コレ、何だかわかる?」と突然聞いてきた。
 僕はてっきり、書評本コーナーを新設したのかと思って答えたが、店長さんは苦笑いを浮かべ一言。
「万引きだよ。」

 その後は店長さんと万引きの話になった。店長さんが言うには、最近の万引きは非常に悪質で、可愛い気がないという。今回の盗まれた本を見ればわかるとおり、書評で取り上げられてちょっと高額な物を狙うらしい。それは自分が読みたいんじゃなくて、一番「売り」易い物を選んでいる証拠で、また常習犯が非常に多いとも話す。

 最後に店長さんが言ったひとことが重くのしかかる。
「出版社は、万引きだろうが、現実に売れようが、関係ないんだよね。結局、売上が立つわけで、全部書店がかぶるんだよね。」

 前にも書いたけれど、万引き対策を早く業界全体で取り組むべきだと僕は思っている。

10月26日(金)

 池袋のA書店Kさんの送別会に出席。入社3年25歳の早すぎる決断。残念でならない。

 とはいっても、この業界にいることを強く薦める魅力も思い浮かばず、よくよく考えてみたら、自分もいつまでもこの業界にいていいのか、わからなくなってしまった。出版業界はそれほど危うい業界で、将来の自分の人生というものを冷静に見つめてしまっては、とても勤まらないような気がする。

 僕が尊敬するベテランの書店員さんに
「杉江くん、そんなに若いのにこの業界にいていいの? 私達はそろそろ定年だからいいけど、杉江くんの年齢はまだまだやり直しがきくよ。早く足を洗うっていうのも手だと思うよ」と言われたことがあった。

 そう言われればその通りで、けれど、いくら考えて頭でわかったとしても、どうしてもこの仕事を辞められない。結局、好きで楽しいことから逃れるのは非常に難しい…。

 まあ、僕は、適当にメシが食えて、本とレッズの年間チケット(3万円)さえ買えれば、それで充分だ。

10月25日(木)

 この日、僕が非常に楽しみにしている新刊が出る日だった。それはジョージ・P・ペレケーノスの新刊で『曇りなき正義』(早川書房)。新刊案内でこれを発見し、おお、今年もペレケーノスが読めるなんて大喜びし、手帳の★マークまでつけてチェックをいれ、どれだけ待ち望んだことか…。

 ところが書店を営業しつつ文庫の棚を覗いてみるが、いっこうに並ぶ気配がない。バックヤードや仕入にまでお邪魔したが見つからず、同社の他の新刊が搬入になっているのにどういうことだ?と棚陰で身もだえする。

 こういうときは深夜プラス1の浅沼さんに確認するしかないと、無理矢理押しかけ、入店早々
「ペレケーノスの新刊を売り惜しみせず、僕に下さい」と吠えた。
 ところが浅沼さんが驚くべき言葉を吐く。
「搬入になっていないよ。発売延期になったんでしょ。」

 ……。
 非常にショックを受け、浅沼さんとはそのまま言葉も交わさず、足取り重く会社に帰る。ああ。

 この日、この時の気持ち、きっとこの欄をお読みの本好きの方ならきっとわかってもらえるでしょう。とほほほ。
 
 後日談)結局、ペレケーノスの新刊は、とある賞にノミネートされたため、その発表まで発売が延期になったらしい…。何だか納得いかない今日この頃。

10月24日(水)

 営業を終え、すぐさま神宮球場へ向かう。
 我が愛すべきヤクルトスワローズ対大阪近鉄バッファローズの日本シリーズ第4戦を見るためだ。

 どうも、社内に「僕が直帰するときはサッカー観戦」という勝手な解釈が生まれており、何だか納得がいかない。僕だって真面目に働いているときがあって、定時以降に営業しているときもある!と声を大にして言いたい。が、しかし、まあ現実として直帰3回のうち1回の割合でサッカーなだけに強く言えない。

 こういう生活(仕事の仕方)をしていると、周りの人からそれで平気なのか?と聞かれるが、会社生活は第一印象が大事なので、初めからそういう人間だと思われれば勝ちだと思う。これから就職する人には是非知って欲しい真実。

 僕は前の会社でも同じような生活をしていて、あの頃はもっと平日の試合が多かっただけに、水曜日はほとんど直帰していた。そういう人間だと思われれば意外と許される。おまけにオリンピック代表の試合などは時差の関係で平日の昼間にあって、上司のHさんを涙目になって見つめていた。するとHさんは「いいよ、秋葉原にでも行って街頭のテレビを見てこいよ」と言ってくれたりした。

 その頃、僕はまだ世の中が全然見えていなかったので、何て優しい人がいるんだと感激したが、その後会社に戻ると山のように仕事を渡され、またとんでもない出張に行かされもした。飴とムチがワンセットだということをそのとき初めて知った。これもこれから就職する方に知って欲しいもうひとつの真実。

 まあ、そんな生活をしていても、いくらか良心というものが残っていて、直帰→スポーツ観戦ということに少しだけ罪を感じる。今日も一度会社に戻って、神宮球場に向かおうか…とかなり悩んだ。そのことを事務の浜田に言ったところ

「いいですよ、そんなこと気にしなくて。6時までしっかり営業すれば一緒ですから!」
と信じられないくらい優しい言葉をかけられた。思わず涙。ところがもう一言付け足される。

「まあ、杉江さんが会社にいてもいなくても一緒ですから…。」

 こんな人間は会社にあまり必要とされない…というのも、これから就職する人に知って欲しい真実である。

10月23日(火)

 今日は『三茶日記』の搬入日だ。それなのにくっきり晴れてしまった。搬入日は雨という定説が数カ月ぶりに崩れた。いつも合羽を着て、本が濡れないようにビニールで覆い、たまに入り口のタイルですっころんだりして、とにかく雨の搬入は大変だったのだ。

 おまけにこの合羽、事務の浜田の手製で、いわゆる東京都23区推奨ごみ収集袋(炭酸カルシウム30%混合)に穴を3つ開けただけのもの。いったい近所の人はうちの会社のことを何だと思っているんだろうかと不安になる。

 晴れるということは大事なことだと思わず、青空を眺め幸せな顔をしていると、事務の浜田がポツリと漏らす。

「杉江さん、実は搬入日に雨が降った本は売れているんです。『真空とびひざ蹴り』も『笑う運転手』も増刷がかかっているし、『日本読書株式会社』も在庫がほとんどないんです。だから雨が降った方が良いんじゃないかと…」

 そう言われると営業マンは弱い。売れるのが一番という人生を送っているため、藁だろが、少ない頭髪だろうが何でもすがりたい。

 雨が降る日に合わせて発売するために、発売日をずらすことを世間は許してくれるのだろうか? いや、そんなことは関係なく『三茶日記』は売れるでしょう。

10月22日(月)

 「これ見る?」と浜本から書類を渡され、なかを確認すると、先日当ホームページで行われていた読者アンケートの結果だった。そこにはランキング表のように「よく見るページ」の結果が出ていて、僕のページは少年マンガ誌のやり方であれば、今頃あっけなく連載が終了していたことでしょう。ああ。

 このように日記を書き出して1年。正直言って何のために書いているのかわからなく、ただただ、こういうページを作ったから書くようにと、ある日突然、本の雑誌的命令を下され、書き続けているだけのこと。もちろん人気があるに越したことはないのだろうけど、そもそもホームページの内容からいって僕のページはおまけでしかなく、逆にこれが人気だったらかなり問題だ。

 まあ、そうはいっても誰も読んでくれないというのは非常に淋しく、たまに読んでくれた人からメールが届くと何回も読み直し、励まされ、書き続けていくことの唯一のモチベーションになっていたりする。ありがとうございます。

 ちなみにこの読者アンケートで一番不評だったのが、『さざなみ編集日記』で、「もっとしっかり更新するように!」とのコメントが多数あった。浜本&松村&金子は大いに反省するように!!

10月19日(金)

 夜、会社を出るまで、僕はある一言を待ち望んでいた。何度も何度も浜本の机の周りをうろついてみたが、うるさがられて終わり、過去の話なんていうのもしつこくみんなに振ってみたが、下版前のクソ忙しい状況で、誰もかまってくれない。なんて淋しい会社なんだと僕はあきらめ帰ることにした。

「お先に失礼します。」
それでもまだ、未練を残し、みんなの顔を覗いてみるが、誰も目線を合わせず
「お疲れ」の言葉を放り投げるようにして、外に追い出されてしまった。

 僕が何を望んでいたのか? どんな言葉を望んでいたのか?

 それは、今日が、僕が本の雑誌社に入社して丸4年を終えた記念日だった。朝、出社したときには、その4年前の初出社のことを思い出し、慣れの怖さを知った。また、この4年間、何も出来なかった情けなさも噛みしめた。来週の出社、5年目突入からは、再度気持ちを引き締めて仕事に取りかからなくてはと決意もした。それなのに、そのことに誰も気づいてくれなかった。せめて「4年間、お疲れさまでした。これからも頑張ってくれ!」なんて言葉が欲しかった。

 十号通りを歩きながら、人に過剰な期待してはいけないということを改めて考えていた。

 うん? 僕が丸4年記念日ということは、編集の松村も同日入社だから彼女にとっても記念日だったんじゃないか。まさか…、松村だけ今頃労われているんじゃないだろうな。

10月18日(木)

 相変わらず雨が降り続くなか、今月23日に搬入になる新刊『三茶日記』の見本を持って取次店を廻る。

 『三茶日記』。この本の装丁が素晴らしい。こういうのを自<社>自賛というのかもしれないが、ほんとにビックリするくらいカッコイイ。本らしい本であり、また著者の坪内さんの人柄や、日記という作品性、その他すべてをうまく象徴した装丁に仕上がっていると思う。装丁家の多田さんありがとうございました。

 中身のレイアウトも単行本編集の金子が凝ったおかげで、上々の出来。こういう本は、営業のし甲斐があるというもので、さあ、これからもうひと頑張りしようと決意する。

 ジュンク堂池袋店にて坪内さんのトークショーも開催しますので、是非是非どうぞ。

10月17日(水)

 神保町のS書店を訪問し、『笑う運転手』の追加注文をもらう。そのとき、店長のHさんから6階でも置いているから顔を出してみて、と言われ早速階上へ。いやはやS書店の階段はキツイのなんの。息も絶え絶えで6階に辿り着き、吹き出した汗をハンカチで拭う。

 なぜこの階に?と疑問を感じつつ、棚を拝見するとS書店が誇るマニアックな自動車の棚に平積みされているではないか! 思わず感動し、担当者のIさんにお礼。
「出たのに気づくのが遅かったから、ちょっと売り逃しているかも…」
「いえ、どうもありがとうございます。」
「ホームページで読んでいて、関西のパワーに圧倒されました。」

 妙なところで、妙なつながりがでてくるネットの世界。このようにして本屋さんがとうHPを見てくれていることに深く感謝。

10月16日(火)

とある書店さんの話

「売れないから何を減らすかって人を減らすしかないんだよね。うちみたいな店でも前は社員が3人いて、それぞれ担当を振り分けてやっていたんだけど、今はオレ、ひとりになっちゃった。そんでさ、一番しわ寄せが出るのが結局、棚で、全然触れなくなっちゃって、閉店後にぼんやり自分のお店の棚を見ていて、つまらない棚だなって感じるんだ。すごいつらいよ。でも、毎日朝早くから出社して終電まで働いているのに棚を触るところまで手が回らないんだ。毎日毎日自分に言い訳してるよ。えっ、何が一番面倒か? そりゃ返品を作ることだよ、先月なんて狂ったように配本があって、それもほとんどいらない本で即返の嵐だったよ。でも取次店はさ、決算だからって全然仕切ってこないんだよね、頭に来るよ。とにかくそういうストレスも大きいけど、本屋に勤めて本に触れられないストレスが一番キツイよ。」

 出版業界は相変わらず悪い循環を繰り返している。突破口がどこかにあるのだろうか?

10月15日(月)

 高円寺の高円寺文庫センターを訪問。ここは変わった書店さんで、業界でかなり有名なお店だ。どう変わっているのか説明するのが難しいので、文庫センターのHPから紹介文を引用。(http://plaza17.mbn.or.jp/~kbc/)

「まずは文庫センターの紹介をさせて下さい。
西荻窪にある信愛書店の支店として、89年に
高円寺にオープン。90年にはより駅近くへと
現在地に移転して営業しています。
30坪足らずの小さな書店で場所は高円寺。
ならば若い人に多く来てもらおう、面白い店に
しよう、毎日でも行きたくなる本屋にしよう。
広さではとても大型書店にはかなわないから、
僕らの感性で、高円寺ならではの本屋にしよう。
ロック音楽書、ブルースハープ。
漫画はガロ系、Tシャツ・フィギュアにカード
僕らの感性で、高円寺ならではの本屋にしよう。
雑誌は『BURST』が人気だからタトゥ専門
洋雑誌を揃えよう。文庫も書棚が少ないならと
お気に入りを単行本・雑誌・ビデオと羅列した。
赤瀬川原平・岡本太郎・寺山修司・に町田康。
書籍はサブカル書店の名に恥じない充実ぶりで、
早い入荷とサイン本の多さはちょっと自慢自慢。
かくて面白おかしな本屋の出来上がり。」


 といった感じで、この自薦紹介文に偽りなく、ほんとに個性的で、合う人には合う、面白書店になっている。日本中にこういった骨のある本屋さんが増えるともっともっとこの業界も面白くなるだろう。

 それにしても浅沼さんのいる『深夜プラス1』にしても、それから他の専門書店にしても、その品揃えや仕入れに苦労している話をよく聞く。「個性的に!」とよくこの業界で叫ばれることがあるが、出版社と流通がほとんどそれに協力していないのは、なぜなんだろうか。

10月13日(土)

『炎のサッカー日誌』

 埼玉スタジアムのこけらおとし。サッカーでは史上最高に6万人が埋めた真っ赤なスタンド。

 涙で語りたい素晴らしい状況だった。

 けれどレッズは最低な試合をし、僕は言葉を失った。

 何も書く気がしない。

10月12日(金)

 取次店を廻り、ちょうど飯田橋で昼飯となったので深夜プラス1の浅沼さんをお誘い。その浅沼さん、ズカズカと道を歩いていき、なんとステーキ屋に入っていくではないか。何もこの「狂牛病」で大騒ぎしている時期にステーキを食わなくても…、と思うものの仕方ない。浅沼さんに続いてお店に入る。

 そうは言っても一口食い始めたときから「狂牛病」のことはすっかり忘れ、美味を堪能。おまけに本の話で盛り上がり、次に読むべき時代小説をレクチャーしてもらう。僕は、今年から時代小説にはまったくの初心者なので、浅沼さんの教え通り、隆慶一郎を読み、山田風太郎へ流れ、今は発行人浜本の座右の書、司馬遼太郎の『峠』にどっぷり浸かっている。

 浅沼さんの一言。
「杉江くんはいいよなあ。まだまだ金鉱がいっぱいあって…。山のように未読の傑作が。」
 
 学生時代、一切本を読まなかった僕はいったい得をしているのか損をしているのか…。よくわからないけれど、とにかく面白い本がいっぱいあって幸せだ。

10月11日(木)

 搬入日に雨が降るというのが定説になりつつある。

 思い起こせば、『真空飛びひざ蹴り』の搬入時も大雨で、『笑う運転手』のときは、台風が直撃した。そして『日本読書株式会社』のときも雨。その間に出ている『本の雑誌』の搬入日もすべて雨だったと事務員浜田は手帳を見ながら言う。まるで僕が雨を降らせているかのような恨めしそうな顔をして…。それにしてもなぜ手帳に天気が書いてあるんだろう?

 浜田といえば、先日こんなことがあった。
 僕が渡した大切な伝票を紛失したと大騒ぎ。
「キィー、どこへいったの? クー、ないよ~」とお得意のカ行言葉で絶叫し、机のあっちゃこっちゃをひっくり返していた。なかなかその伝票がないと、「もしかして杉江さんが渡した気になって、ほんとはまだ持っているんじゃないですか?」なんて他人のせいにする始末。

 こういうとき、普通の会社の上司というのもはどうするのだろうか?「いい加減にしろ!」などと怒鳴り、その後はぐちゃぐちゃと他のことも引っ張り出して叱るのだろうか。そういえば、前の会社でそういうことをされた記憶もある。しかし、そんな人間にはなりたくない。

 でも何か言わないと示しもつかないだろう。デキた上司というのはいったいこういうときにどういう態度をとればいいのだろうか。うーん、困った。「上」になるのはなかなか面倒なことだし、おまけにこの会社は普通の会社ではないことを忘れてはいけない。

 結局、妙案が浮かばず、僕は「ちゃんと見つけましょう」とおバカな一言を放ってワープロに向かった。

 しばらく時間が過ぎて、それでも浜田は机のなかや足下などをひっくり返していた。まだ見つからないらしい。僕は売上管理表の打ち込みを終え、プリントアウトにかかった。

 そのとき、プリンターから「ガシャガシャガシャ」という音が聞こえ、我がマッキントッシュから警告音が鳴った。「プリンターの紙詰」と表示されたので、カートリッジを引き出す。

 すると、すると、なんと浜田が1時間以上も探していた伝票がくしゃくしゃになって出て来るではないか!

 思わず瞬間的に怒鳴なりつけようかと思ったが、ぐっと言葉を飲み込む。「デキた上司」そして浜田のためになる一言を発しなくてはならない。うーん、どうしたら良いんだ? とにかく机の下で相変わらずガサゴソやっている浜田に発見したことを伝えか。

「浜ちゃん、これ」 
「あっ、どこにありました? やっぱり杉江さんが持ってましたか?」
「違うよ、プリンターのなかに紙と一緒にまざっていたみたいなんだよ」

 浜田はきょとんとして一言。
「最近、この会社に小人が多いんですよ、コロボックルって言うんですか?あれがいるんですよ。また悪さをしたんですね、ああ、困った、困った。」

 凄すぎる言い訳に僕は何も言えなくなった。やっぱりここは普通の会社ではない。

10月10日(水)

 9月の書店さんの売上が非常に悪いらしい。何軒かのお店で聞いたところ、前年どころじゃないという恐ろしい言葉。対前年70%(30%ダウン)なんて声も聞く。

 本来、商売はニッパチ(2月、8月)が最低で、その反動で3月、9月が好調になるはずであり、また、それにプラスして、出版業界も多くの会社が決算を向かえ、駆け込みの新刊が山のように発行されている。そのなかには売れる本も多くあるはずで、また文芸書に限って言えば、年末のベストを睨んだ大物のミステリが出そろう月でもある。順調なはずの9月がドーンと落ち込むなんて…。

 主な原因はふたつ。

 ひとつは台風が直撃したこと。
 どんなに駅から近い書店でも、あるいは濡れずに地下などで行けるお店にしても、雨の影響は出る。やっぱりみんな家路を急ぐし、雨の中重い本を持って帰るのは嫌らしい。とある書店員さんの言葉で「本屋をつぶすにゃ、刃物はいらぬ、雨さえ続けば…」なんてのがあるほどで、こればっかりはどうにもならない。

 ふたつ目は、何といってもアメリカで起きた同時多発テロの影響だ。
 やっぱりこんな大変なことが起きると、お客さん(読者)というものは、ついついテレビに向かってしまうようで、その分、本を読む時間は減っていく。まあ、確かに本など読んでいるどころではないだろうし、あの圧倒的な現実に太刀打ちできる本などそうそうないか…。

 とにかく早く平和になって、お客さんが本屋に戻ってきてくれることを祈るばかり。

10月9日(火)

「杉江くん、営業に関してちょっと相談があるんだけど」と大阪帰りの浜本に突然呼びだされる。

 僕はその重い言葉を聞いて、思わず微笑んでしまった。それは僕が長年言い続けてきた「ひとり営業」のつらさが、ついに伝わったと思ったからだ。きっと浜本はこう続けるだろう。「杉江くん、営業ひとりはやっぱりキツイと思うんだ、だから来年からもうひとり雇おう」と。僕はニヤニヤしながら浜本に擦り寄っていった。

 ところが続いて浜本の口から飛び出して来た言葉に思わず耳を疑う。いや思わず、耳をふさいだ。
「杉江く~ん、大阪って近いんだよ~。今日ね、のぞみに乗ったら2時間半で着いちゃった。それに結構安いんだよ。チケットショップだったら2万ちょっと。だからさ、来年から大阪行っていいから。」

 絶句したまま立ちつくしている僕に再度追い打ちをかける言葉が続く。

「1泊していいよ、安いカプセルホテル探してね。3000円くらいかなあ…。そんで大阪・神戸・京都・名古屋、全部廻ってきてね。じゃあ、よろしく。」

 ウソのようなことが現実となり、そしてそれが常識となるこの本の雑誌社。来年僕はきっと大阪の街で呆然としていることだろう。浜本を呪いつつ…。

10月5日(金)

 Y書店のNさんから「もしかすると辞めるかもしれない」と話されたのは7月の終わりだった。ちょっと詳しく話をしてくださいと無理矢理、喫茶店に連れ出し、アイスコーヒを頼んだが、ハンカチに吸収される汗と同じくらいのスピードで飲み干す、暑い暑い季節だった。
 Nさんは34才で、僕とほぼ同年代。そういうこともあってか、妙にウマがあい、訪問する度、仕事を離れたことでも気軽に話し合っていた。出会ったときは、渋谷店の店長で、今は水道橋店の店長に赴任し、約1ヶ月。

「なんだか本気で仕事に向かえなくなっちゃったんだよね。そういう自分がイヤだし、またそんな姿を後輩に見せるのもつらいしね。まだ気持ちも考えもハッキリしていないんだけど、辞める可能性があるってこと伝えておこうと思って。」

 「イヤ」という言葉を吐くとき、Nさんは本気で自分を憎むような顔をした。その顔を見て、僕はまたNさんを好きになった。自分にウソがつけない人なんだと。

 そのNさんからお盆明けの8月中旬、電話があった。
「急なんだけど、結局、今月いっぱいで辞めることになりました。」
「……。」

 しかし僕はいつものように悲しんだりはしない。Nさんとは仕事を越えたつき合いが出来ていると自信があったからだ。もう会えないなんてことはないという自信が…。

 延び延びになっていたそのNさんの送別会が本日飯田橋で行われた。そこにやってきた出版社の営業マンは、5社6名。これを少ないと取るのは簡単なことだが、濃さが違う。全員、Nさんと人間的なつき合いをしてきた営業マンで、50代もいれば、40代もいる。会社の大・小もバラバラだし、名刺の肩書きだってお偉いさんからヒラまでいて、全員Nさんを通じて知り合い、互いに腹を割って話せる集まりとなっていた。そしてみんなの中心にあるのが「本」であった。

 送別会の最後に一番年長のS社のAさんが言った。
「次の集まりは、12月にしよう。みんな年末で忙しいだろうけど、この集まりだからどうにかしよう。」

 そしてNさんに向かって続けた。
「Nさん、これは仕事とは関係ないんだから。オレ達とNさんのつながりだよ。ちゃんと来てくれよ。」

 Nさんは「もちろん」と大きく頷いた。

 僕は、この仕事に就けたことに、そしてこのような出会いがあったことに深く感謝した。

10月4日(木)

 府中のK書店を訪問。久しぶりに担当のHさんと会え、思わず長話。K書店は、京王線沿線に多数の店舗を持つチェーン書店で、どこも駅前の好立地だ。しかし、Hさんはこう話す。

「黙っていてもお客さんは来るかもしれないけれど、好立地だからといって甘えていちゃいけないんですよね。棚をしっかり作って、いろいろとやっていかないと。」

 確かにその通りで、営業で廻っていると、何でこんな良い条件なのに、受け身な棚をやっているんだろう?と疑問を持つことが少なくない。仕掛ければすぐにでも反応がでそうなものなのに、商品構成は配本まかせ。思わず棚前でジレンマを抱えてしまい、もちろん話もかみ合わない。

 ただ、今日、Hさんの話を聞いていてわかったのは、好立地というのは両刃の剣であるということ。人間やっぱり楽をしたいので、何もしなくてもある程度売れるならそのまま身を任せてしまう。そういえば中学のときの体育教官が「自分に厳しく」なんて言っていたけれど、そんなことなかなか出来っこない。

 K書店さんにはHさんをはじめ多くの強者がいる。この強者書店員さんたちが、駅前の好立地でしかも本気で「本屋づくり」をしているのだから、これほど強力なものはないだろう。

10月3日(水)

 渋谷を営業。S書店のM店長さんと長話。M店長さんとは古いつき合いで、前にも書いたが、僕が専門書版元にいた頃からのつき合い。高田馬場店からここ渋谷店に異動になったのが今年の8月。どこのお店に異動になろうとも、こちらはひとり営業マンなので追いかけるようについていく。

 さて、このM店長さんとの話でとても印象深かったのは、ある日の店舗ミーティングで部下の店員さん達に向かって話したというこの一言。

「自分たちが、たとえ休みの日でも来たいというお店を作ろう!」

 基本的で当たり前のことだけれど、ついつい仕事としてやっていると忘れてしまうことだろう。でも考えてみたら、店員さんもその枠を外せば、お客さんと同じ「人」である。自分たちが楽しめなくて、お客さんが楽しいわけがないというもの。一歩引いて客観的に自分のお店を考えるのは大切なことだ。

 棚や平台の並べ方に少し手を入れてみる。飾りを付けてみる。ポップを立ててみる。商品構成を変えてみる。売り場とは不思議なもので、手を入れれば、少なからず反応が出る。じっくり見ているとは思えないお客さんも、実は鋭く観察しているのだ。それが書店員さんのモチベーションとなる。これが廻り出せば好循環になるだろう。素晴らしいコンセプト。

 興奮気味に会社に戻り、僕も大声で叫ぶ。
「みなさん!自分達が読みたいと思う本を作ろうじゃないですか!」

 奥で作業していた浜本が、そんなことはやっているよという顔で一言つぶやく。
「でも、勝手に浦和レッズの本は作らないように!」

 ……。

10月2日(火)

 ひとり営業マンの定期巡回の営業範囲というものはどうなっているのか?
 僕の場合、営業の端を列挙していくと千葉、柏、大宮、所沢、立川、本厚木、横浜などになる。広いのか狭いのか他に比べる相手がいないのでよくわからない。とにかくこの範囲を前営業マンから引き継ぎ、4年間やってきた。

 しかし、ここに来て少しこれを考え直そうと『ひとり営業会議』を行った。

前向き杉江(前)「もうちょっと遠くに行って販路を広げるというのはどうでしょうか?」
後向き杉江(後)「いや、いまの状況でもあっぷあっぷなんだから、ここは大人しくこのままにしておいた方がいいんじゃないの」
前「でも、もっと多くの書店を見たいし、書店人とも知り合いたいと思うんです。もしかしたらその町で『本の雑誌』を読みたいと思っている78才の遠出ができないおばあちゃんがいるかもしれないし」
後「でも、いきなりこんな小さな版元が行って、相手にされるか?ダメなんじゃないの」

 延々そんなことを自問自答していたが、とにかく営業マンは「外に出てなんぼ?」の仕事であると考え、今まで行っていた端よりもうひとつ先の都市へ足を運ぶべきだ!と弱気な自分を蹴飛ばし結論を出した。

 この日は東海道線に揺られ、新たな書店へ向かった。僕の周りでボックス席を埋めるのは、みんな小田原や熱海に向かう観光客だった。これはこれで楽しそうだ。

10月1日(月)

 池袋のA書店を訪問すると前文芸担当のKさんが退職するという。また淋しい話だ。

 Kさんが入社してきたのは約3年前。いきなり大型書店の文芸担当となり、初めは四苦八苦していた。しかし元々本が好きなのと飲み込みの早さでぐんぐんと立派な書店員となっていき、こちらとしても「これから」が楽しみだった矢先の退職で、思わず呆然となる。

 また、偶然ながらKさんと僕は同じ町に住んでおり、通勤の際に駅で顔を合わせることもあった。そんなときは、日頃の仕事の話を忘れ、地元話に花を咲かせていた。

 「本が好きなんで、多分またどこかでお会いできると思いますよ」その一言を信じて、しばしのお別れである。

« 2001年9月 | 2001年10月 | 2001年11月 »