『炎のエース日誌その1』
前の会社に入社してすぐ編集部の吉田さんが寄って来て
「君は野球できる?」と聞いて来た。
そう聞いている吉田さんの体型はどう考えても野球ができそうじゃなかったけれど、入社早々だったのでそんなことは口にせず、素直に「習ったことはありませんが、草野球ならできます」と答えた。
でもひとつだけこだわりがあって、それはそのスポーツで一番目立つところがやりたいということ。例えばサッカーなら点を取るフォワード、ポートボールなら台の上。そこにしか、そのスポーツの面白さはないと考えていた。だから
「野球をやるなら、僕はピッチャーしかやりません。」と一言付け加えた。
実はこの高飛車な言葉には、もうひとつヨミがあって、普通の会社のチームであれば、きっと一番偉い人がピッチャーをやるか、経験者が投げることになるだろう。もしそれならばせっかくの休日に野球に誘われることもなくなるはずだ、というあざといヨミだった。
ところが、それを聞いた吉田さんはなぜか笑顔で
「そうか、わかった、サンキュー。」
と頷きつつ自分の机に歩いていった。
なぜ、素直に了承してくれたのか、初めて試合をしたときにわかった。なんとこのチーム、まともな野球経験者がゼロで、少しは草野球をやったことがある人も身体中につきまくった脂肪のせいでまったく動けないのだ。
ボールが飛べばドタドタと走り、例えグラブにボールがおさまったとしても踏ん張ることが出来ず、そのままそちらへ流れていきファーストに投げられない。そして実は誰一人としてピッチャーマウンドからホームベースにボールが届く人がいないのだ。僕の高飛車な提案は、吉田さんの思う壺だったということか。
うーん、騙されたと気づいたときには、時既に遅く、なんとフェアグランドに打たれた打球はすべてエラーにつながる。内野ゴロ3つでとっくのとうに終っているはずのイニングもなぜか満塁の大ピンチ。アウトを取るために唯一残された道は三振あるのみ。しかし、僕のピッチャーだってただ目立ちたいだけのインチキなのだ。
とりあえずストライクゾーンにボールが行くけれど、別にスピードがあるわけではなくちょうど打ちごろの球なのだ。たまにかかるカーブはどうやって投げたのか自分でもわからない。延々と敵の攻撃が続き、まさに漫画の世界。
どうにかこうにか初試合を終え、僕が投げた球数はゆうに150球を越えた。内野でアウトが取れればそれどほひどい試合にはならかったはずだとはらわたも煮え繰り返る。一番エラーした人にグローブを投げつけようと思った。しかし、なぜかみんな楽しそうだった。
「サンペーの外野フライ見た?ふらふらして、ボールから逃げるようにグローブだしたら入ってやんの、笑っちゃったよ」
「違うの、あれは取りにいったの」
「うそつくな!」
ビール片手にみんな大笑い。僕もいつの間にかその輪に加わり、笑いながらビールを飲んでいた。
このへっぽこ野球チームは1度も勝てないくせになぜか解散もせず、僕のように会社を辞めても野球には参加する人間もいて、毎年、出版健康保険野球大会に参加していた。練習なんて一切しないから、年齢を重ねるごとに弱くなるのは当たり前で、最下位クラスFクラス(なんとこの大会には、出版社・書店・取次の200チームくらいがエントリーしており、AからFものクラス分けがあるのだ!)で出場するが、一回戦敗退を繰り返す。そして宴会だけは盛り上がるという草野球の典型的なチームだった。
去年に至ってはなんと初のコールド負けをきし、僕の投球もまもなく30歳を迎えるということで一段とヘロヘロ化し、人生初の満塁ホームランを打たれる始末。ピッチャーがいなくなったらもうダメだと解散の噂も立ち上っていた。
チーム創設ちょうど7年目の今日。
2001年出版健保野球大会、第2回戦(くじで1回戦はシード)。
いつも通り、試合前からビールを飲んでまったくやる気がない。どうせ勝つ訳ないんだからいいんだけれどと僕も一口啜った。
プレイボールと同時に対するN社にあっけなく先制点を取られた。2回にも2点を取られ敗戦ペース。しかし今日はどこかが違う。いつもならそのままずるずると大量点を取られるはずが、なぜか内野ゴロでアウトが取れる。ファインプレー連続のサードを守る星野さんは酒浸りでボロボロのはずなのに、気持ちは原辰徳でどうにかグラブをさばき、アウトカウントを増やしていく。その度に我がチームは大歓声。こんなことで盛り上がるチームも少ないだろうけれど、とにかく「野球」らしくなっていることに大喜び。
そして、なんと3回は無失点で切り抜けた。
「3対0だぞ!まだまだ行けるぞ!」いつの間にかビールを片づけた吉田さんが吠えている。その言葉に後押しされるかのごとく、突如バットがボールに当たり出す。このチームはどこまでいっても他力本願。打ったというより、ボールがバットに当たって来たという方が正確なのだ。なんとビックリすることに、その奇跡が連続して起こり、3点奪取!これで3対3の同点。こんなことはかつてなかったことだ。
こうなると突然、僕への精神的負担が大きくなる。意味もなくマウンドを足で掘り、ロージンバックを指に塗りたくる。いつもはレッズの選手にボロクソ言っているのに、なんだ僕の方が全然ダメなんじゃないかと反省するが、根性なしは変わらない。まさかこんな目立つことになるなんて考えてもいなかった。隙を見てトイレにも行った。思わず吐いた。
その後は互いに「0」が続き、3対3の同点のまま最終回へ。
相手の最後の攻撃。
僕はマウンドで吠えた。根性なしの最大の武器は逃げ足の早さと開き直り。今回は逃げられそうにないので、開き直ることにした。命までとられるわけじゃないんだ!と意味のない言葉を吠え続けた。桑田の気持ちが少しだけわかった。
三振。サードゴロ。ファーボール。三振。
さあ、これで負けはなくなった。連敗記録は6でストップ。この大会は引き分けだと「じゃんけん」になる。そんなことはしたくない。
我がチームの最終回は9番打者から。
小兵嶋野が内野エラーで出塁。続く、唯一の左打ち田村が内野ゴロでランナー入れ替わりでワンアウト1塁。そしてなんと足を負傷しているその田村が盗塁成功。ランナー2塁。若太りの中原はキャッチャーフライでアウト。ツーアウトランナー2塁。
そして見かけスラッガーの宮崎。
ベンチは応援することを忘れしばし沈黙。
思い切り振りったバットにボールが当たる。サードゴロと思ったらレフトに抜ける。
セカンドにいた田村が足をひきずりながら走る。
サードベースを蹴る。
レフトからホームへボールが投げかえされる。
そのボールはホームベースから大きくそれる。
田村がホームを踏む。
審判が腕を広げる。
いつもは走れないくせにこのときばかりは、みんな生還した田村めがけて猛烈なダッシュで突進した。4対3のサヨナラ勝ち。
「バンザーイ!!!」
チーム結成以来初めての勝利。やはり勝利後のビールは格別だった。
追伸*僕はきっとこの秋に転職します。
転職先はパンチョ伊東がコールしてくれるはず。(って今は違う人か…)
「ヤクルトスワローズ6位指名、杉江由次、投手、本の雑誌社」