WEB本の雑誌

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11月19日(月)

 昨日、久しぶりにサッカーをやったおかげで、今日は朝から全身筋肉痛。通勤はもちろん営業もつらい。特に階段の登り降りで、思わず悲鳴をあげたくなってしまう。おまけに、登りで3度、下りで2度も蹴躓いてしまって危ない危ない。このまま「おっさん」化の階段も転げ落ちていくのだろうか。

 いつもサッカーをやっていて考えることは、もしこれで僕がプレイ中に骨折などした場合、会社はどうなるのか?ということ。これは僕の営業能力を誇る問題でもはもちろんなく、営業マンがひとりという物理的な問題だ。誰も代わりがいない…という仕事は意外と恐ろしいもんで、浜田にそのことを話してみると、「松葉杖でも車椅子でも営業はできると思います。もしかしたら気の毒がって、いっぱい注文をくれるかも!」とギャグにされてしまう。そのギャグがまた現実的で怖い。

 まあ、これまで10年以上サッカーをやってきて、一度も怪我をしたことがないのが唯一の自慢だから今後も大丈夫でしょうと、筋肉痛の足を引きずりつつ、本日の営業を終えた。

11月16日(金)

 午後から編集部の金子とふたり新宿のホテルセンチュリーサザンタワーへ。来月の新刊『おすすめ文庫王国2001年度版』の書店員座談会の立ち会い。なるべく静かなところでと、この場所を選んだが、20階の喫茶店からの眺めは抜群で国立競技場も東京タワーもとにかく美しい。しかしとなりにいるのは金子で、悲しくなる。まあ、そう思っているのはお互い様だろう。

 文庫担当のスゴ腕書店員さんふたりの話は、とても面白くあっという間に予定の2時間が過ぎていく。詳細は『文庫王国』にて掲載しますので、ぜひぜひご一読を! それにしてもどうして現場の書店員さんの話はこんなに面白いんだろうか。こういう話を生で聞ける僕はとても幸せだと改めて思った。

11月15日(木)

『なまこのひとりごと』の見本が、予定よりも一日早く出来上がったので取次店を廻る。午後なら比較的空いているかと思ったが、妙に混んでいて、列に並んでしばし待つ。

 新刊委託のある出版社は、ここ取次仕入がある意味、勝負の場でもあり、うしろで並んで聞いていると臨場感があって面白い。「○○部希望なんですが…」「いやそんなに蒔けませんよ、△△部が限界です」「広告も打ちますしそこを何とか…」なんて言葉が飛び交っている。必死に口説こうとする営業マン、どんどんと肩がすぼんでいく営業マン。それぞれの人間模様・本模様が垣間見える瞬間だ。

 ただ、不思議に思うのは、この場で営業マンがその新刊を説明をするときに「えーっと著者は…」などといいつつ、あわてて出来上がったばかりの新刊見本を開き、「著者略歴」を読み上げていたりすることだ。内容も、帯のコメントをブツブツなぞっていたりすることもある。いったいこういう営業マンはどのように営業しているのだろうか? うーん、謎だ。

11月14日(水)

 これから『本の雑誌』1月号の恒例企画「本の雑誌が選ぶベスト10」の会議が始まる。毎年、お互い自分で推す本に愛着があるため、喧々囂々の大騒ぎになってしまい、一波乱ふた波乱何かが起きる。本誌誌面には掲載されていないが、大人げない罵りなどもあってどうにも収集がつかなくなる。その大人げない罵りを挙げているのが僕だという噂もあるけれど…。

 今年も前夜遅くまで自分の本棚を眺め、1年間に読んだ本の感想を思い出していた。背表紙を見ていると、読んでいたときの興奮がリアルに思い出されて非常に楽しい。ただこの中から5点くらいに絞らなければならないというのがつらい。珠玉の5冊を選んで出社した。
 問題なのは、毎年このベスト10会議をやる度に僕の発言力がなくなっていくような気がすることで、また、どんどん社内で孤立化していくような気もしている。数日前に行った「文庫ベスト10会議」では、ほとんど誰も僕の話を聞いてくれなかったのだ。なぜ?

 うーん、こうなったら逆に黙っていた方がベスト10に選ばれるような気もしてくる。でも、黙っていたら黙っていたで、みんなそのまま僕を無視するんじゃないか…。いったいどうしたら良いんだと悩みつつ、今、会議が始まるのを静かに待っている。

11月13日(火)

 その本の噂を初めて聞いたのは、渋谷のH書店だった。確か10月初めに訪問した際、担当のHさんが「今度、ハヤカワから出る新刊が楽しみなんですよ、すっごい面白いらしくて」と。

 それから数日して、今度は池袋J書店を訪問した。担当のTさんが「今度ね、ハヤカワから出る新刊のゲラを読んだんだけど、それがなかなか良いのよねぇ」と話す。僕はHさんとの会話を思い出し「もしかして…」と書名を挙げると「それそれ」と頷かれた。

 その後も何件かの書店さんで同様に話題になっていた。最近、出版社は、新刊をゲラの段階で書店員さんに配ることが多いけれど、こんなに話題になることも珍しい。

 その本は、ジョー・R・ランズデールの『ボトムズ』で、今、僕は司馬遼太郎を脇にどけ、読み始めたところだ。うーん、確かに面白い。

11月12日(月)

「本の雑誌」12月号の搬入日だ。やっぱり雨が降ってしまった。それもかなり激しい雨だ。いったいどうしてここまできっちり搬入日に雨が降るんだろう? しかし、僕は、直行で取次店を廻っていたため、搬入は事務の浜田と経理の小林任せになっていた。女性ふたりで「本の雑誌」数千冊の搬入は非常にキツイ。大丈夫だろうかと不安を感じつつ、お茶の水、飯田橋を移動する。

 昼前に取次店T社を終え、これにて取次店廻りは終了。大雨のなか飯田橋駅へ戻る。神楽坂を下り深夜プラス1の方向を見る。ちょうど見覚えのある姿が合羽を着て、バイクから降りるところだった。

 それは浅沼さんだった。合羽に付いた大粒の雨をバサバサと振り払っていた。吐き出す息が白かった。

 浅沼さんは、こんな激しい雨のなかでも、神田村までバイクを走らせ、仕入をしている。「雨が降ろうと寒かろうと、もしかしたら良い本が出ていると考えると…」と話には聞いていたが、実際にその姿を見たのは初めてだった。声をかけようかと思って数歩歩き出したけれど、ふと立ち止まった。何だかその浅沼さんの必死さに感動してしまって、多分、声が出ないだろうと考え直したからだ。

 その日は一日中雨が降っていた。
 けれど、僕は何軒もの書店に顔を出した。

11月10日(土)

『炎のサッカー日誌&炎の休日出勤』

 朝9時過ぎ、埼玉スタジアムに到着。先に来ていたOさんと合流し、傘をさしながら開門を待つ。雨が降ろうと、雪が降ろうとレッズサポはただただ待つ。ときたま、鼻水が垂れるがそれでも待つ。

 開門し、席に就いたのが12時前。凍り付きそうになった身体を、アルコールで溶かす。入り口付近に立って、まだ入場できないサポーターの列を眺める。さすが埼玉スタジアム。これだけの人間が飲み込めるなんてスゴイ。

 しばらくすると携帯が鳴る。K書店のNさんからで、「たまたまレッズサポの友達と見に来たのでご一緒できないか?」とのこと。もちろん喜んで席を確保するが、仕事中とまったく違う姿を見せて良いものか悩む。これで取引中止になったらどうしよう…。

 続いて携帯が鳴り、今度は高校時代のクラスメートから。「埼スタだからやっと券が買えて、来たんだけど杉江はどこにいるの?」彼の持っている券は指定席だったので行き来が出来ず、旧交を暖めることができなかった。悔しい。けれど何で僕が来ていることを知っているんだ?

 続いてまたまた携帯が鳴る。僕の携帯はサッカー場以外でほとんど鳴らないが、サッカーのある日はこのようにしてやたらに鳴る。忙しい。

 今度は兄貴からだった。本日兄貴は母親と指定席にいるとのこと。電話の指示通りの方向を見つめると、ハンカチを振る母親の姿。最近、父母、そして兄とはサッカー場以外で会っていない。 

 試合は1対1で前半を折り返す。実は僕、この日、この試合の後に池袋のジュンク堂書店で坪内祐三さんのトークショーに立ち会わなければならないのだ。90分以内で決着がつけば、間に合う計算だけれど、これが延長戦に入ると話は変わる。「とにかく90分で決着を付けてくれ!」と祈りの叫びをあげたが、周りの観戦仲間は「延長」コールをし、「まさか試合の途中で仕事に行くなんてしないよな!」と脅かす。そんなことを言われても、僕だって一応サラリーマンなのだ。ここで浜本と金子に立ち会いを任せドタキャンした場合、幸せに年を越せないんじゃないかと悩む。とにかくレッズに90分勝ちしてもらうことを祈るしかない。

 そんな不安を「わがまま坊や」エメルソンと「浦和のバティ」トゥットが解消してくれる。3対1の大勝利。これにてレッズのJ2降格もなくなる。最低限の幸せを噛みしめる。

 いつもならヒーローインタビューを聞いて、「浦和レッズ」コールをして帰るところだけれど、走って浦和美園駅へ向かった。

 予定ではいったん帰宅し、スーツに着替えるつもりだった。ところが、浦和美園駅までの道のりが長蛇の列になっていて、なかなか進まない。時間はどんどん過ぎていき、このまま直接ジュンク堂に向かわざる得なくなる。

 僕の姿はチノパンとピンク色のシャツ。どうにか社会人として誤魔化せる最低限のラインか…。とにかく遅刻するよりはマシだと決断し、そのままジュンク堂へ。

 目黒が司会となって進んだ坪内さんのトークショーは、感心して深く頷く話と、笑ってしまう話が飛び交い、大成功。非常に長い一日が終わる。

11月9日(金)

 会社に戻ると、助っ人達が押し黙っている。いつもはやたらとガヤガヤ騒いでいるので、こう静かだと何かあったのかと焦る。しかし助っ人達の手元を見てみるとみんな手中して「ハリハリ」作業に没頭していた。ハリハリとは、「本の雑誌」を定期購読者の方々に送るため袋にラベルを貼る作業である。

 助っ人の仕事のなかには他に「ランドリー」というのがって、これはタオルや目黒さんの寝間着をコインランドリーに投げ込む仕事である。それから「布団干し」というのもあって、これはそのものズバリ、編集部が使っている布団を屋上に干すこと。

 もちろん、他にもいっぱい編集的な仕事もあるけれど、こんな変な仕事が多い会社で働いてくれて、黙々と作業する彼ら、彼女達に思わず感謝。

11月8日(木)

 書店さんでの話がヒントになり、新たな企画が閃く。コレは!コレは!と興奮して会社に戻った。

 それはこんな企画。「共同文庫」(仮称)で、本の雑誌社はもちろん、他にも多くある自社で文庫を作っていない出版社が寄り集まって、ひとつの文庫を創刊させる案。

 装丁やレイアウトは何かひとつの共通フォーマットを作り、制作自体は各社編集部が受け持つ。営業はエリアを区切って共同で行うか、それぞれ独自に行い、月ごとに分担して取次店と打ち合わせをする。印刷・製本・出荷に関しては別に別にすると何かと問題が起こりそうなので、一社に任す。そして各社売上の数パーセントを出し合い、広告費や目録制作費などに充てる。

 これで10社が集まれば、月6点発行とした場合、年間72点で、各社は年7点文庫を作れば良い。これなら本の雑誌社でもどうにか可能な範囲で、もう少し増えれば書店さんの棚も確保できるんじゃないか。

 現在、棚に入ってしまった既刊本がなかなか売れない。しかし、どうも書店さんで話を聞いていると、文庫の読者と単行本の読者はあまり重なり合わないようなのだ。ならば再度、質の良い面白本を文庫にして市場に出してみる価値はあるんじゃないか。それに原稿依頼する際、著者へもアプローチしやすくなるのではないか。もちろんそんなに甘くないだろうけどれど、文庫というものに憧れを持ってしまう。

 興奮して浜本に話すと、「確かそういう文庫があったよ」と言われビックリ。ほらっと言われて見せられたのが、児童書出版社4社が協力して発行している「フォア文庫」だった。(サイズは新書)ああ、もう、こういう文庫があったのか…。

 何だか自分の知識のなさに情けなくなったけれど、これを文芸書出版社でやるというのはどんなもんでしょうか? ご意見お待ちしています。

11月7日(水)

 立川のO書店を訪問。ここは僕が今、イチ読者としても気に入っている書店で、妙にこのお店に来ると本が買いたくなる。各ジャンルの本を山のように抱えて、一度のレジで済ませる。そんな願望が充足されるワンフロアーで800坪という魅力と、圧倒的な品揃え。思わず、担当のSさんに会う前にしばらく棚を眺めてしまった。

 もしこの世に浦和レッズがなくて、浦和に住む必要がなかったとしたら、僕は西武池袋線の中村橋か、この立川近郊に住みたいと考えている。中村橋の理由は11月号の『本の雑誌』に書いてあるとおりで、あの町の小さな書店中村橋書店で、お気に入りの本をT店長にさくっと一本釣りされたいという想い。そして立川近郊というのは、このO書店で半日つぶし、その後中央線沿線の個性的な本屋、古本屋に通うという休日を送れるだろう。

 まあ、そうは言っても、出版営業マンの悲しさ。どこへ行ってもお世話になっている担当者がいて、何となくこちらの勝手な思い上がりだけど、妙に恥ずかしく、ゆっくり本が選べないという現実。

 ああ、こんなことになるなら、どこか1件、一切顔を出さない大型書店を作っておくべきだったと非常に後悔している。

11月6日(火)

 朝イチで私用があったため、それを終えて直行営業。銀河通信の安田ママのお店を訪問。「私だけ一日48時間あったら良いのに…」と多忙すぎる安田ママは夢を見るが、もしそうなっても安田ママは今と同じように寝る間を惜しんで何かをやっているような気がするが…。

 その後、千葉に行き、S書店で椎名誠著『海浜棒玉始末記』(文藝春秋)のポップ代わりに使っていた△ベースの「浮き球」を回収。カバンにしまおうとしたが、妙にでかく入らない。見るに見かねて担当のUさんがS書店のビニール袋に仕舞ってくれたが、これを持って他のお店を営業して良いものか悩む。まあ、仕方ない。

 津田沼へ移動し、P書店とM書店を営業。M書店には特設のカレンダー・手帳売場が出来ていて、このポスターに「年内随一の品揃え」とあったけれど、あまりの品揃えに、これってもしかして全国一なんじゃないかと思うほど。とにかくスゴイが、もう年末なのか…と気が焦る。

 2件を終えて、移動しようかと思ったが、そう言えばと『白い犬とワルツを』(新潮文庫)のポップで一躍有名になったS書店を覗く。なぜか我が社の営業ルートに入っていなくて、今まで一度も訪問したことがなかった。

 店内に入って、いきなりぶったまげる。なんとなんと入り口正面の平台にポップが乱立しているではないか! それは千手観音のような平台で、思わず興奮して数えたところ24本も立っている。片っ端からそのポップを読んでみるが、全部手書きで、それぞれポイントを絞って紹介されている。スゴイ! けれど悲しい。なんと僕が読んだ本が1冊もないのだ。その後、店内中をうろつき廻り、片っ端からポップを眺めたが、そのなかにもまったくない。

 ああ…。僕はいったい今まで何を読んで来たんだろうと落ち込みつつ、次なるお店へ移動した。

11月5日(月)

 相変わらず今更ながらの司馬遼太郎にハマっている。『峠(上・下)』(新潮文庫)を興奮のまま読了したところに、浜本が近寄ってきて、「じゃあ、次は同時代の逆側、大村益次郎を描いた傑作『花神(上・中・下)』(新潮社)だぁ!」と叫ぶではないか。そう言われたら、読まないわけにはいかないので、早速帰りに書店に立ち寄り購入。

 約1週間。『花神』を読了。もちろん面白い。が、しかし。なんとこの『花神』の解説に「これを読み終わったら、次は『世に棲む日々(全4巻)』(文春文庫)を読め! 両方併せて連作大河小説になっている」と書かれているではないか! これではいつまで経っても司馬遼太郎から抜け出せないし、そもそも僕は『燃えよ剣』や『竜馬がゆく』を読みたいのに、一向に辿り着きそうにない。

 おまけにこの間、新刊が全然読めないし、幕末偉人に触発され、異様なやる気もみなぎってくる。困ったもんだ、と思いつつも、また帰りに『世に棲む日々』を購入した。

11月2日(金)

 昨夜、遅くまで助っ人の新人歓迎会を新宿「海森」にて開催。総勢20名。といっても新人が入ったのが7月ですでに3ヶ月も経っている。これは決して、僕の怠惰な性格のせいではなく、助っ人達が夏休みで田舎に帰省していたり、旅行に行っていたりしたからだ。どっちにしても久しぶりの飲み会。

 現在、本の雑誌社の助っ人は、ほとんどが女子学生で、男は橋口童夢と戸田大我のふたりだけ。僕の友人達は「杉江は幸せだ、普通の飲み代だけだせば、女子大生と酒が飲めて。オレ達は高額な金を払って口を聞いてもらっているのに…」とうらやましがるが、いったいそういうお店の女の子がこんなに生意気なんだろうか?

 まあ、とにかく酒を飲んで、日頃あまり話さないようなテーマでそれぞれ盛り上がる。それにしても「昨今の若者達は…」と一括りにして、小言を書いている週刊誌などがあるけれど、それぞれ話を聞いてみれば、良い奴ばかりで、思わず涙が出てしまうではないか。何年経とうが、何十年経とうが、同じように悩み、考え、みんな一生懸命青年期をもがき苦しみ、そして楽しんで生きているんだということを知った。

 目黒考二は『本の雑誌風雲録』(本の雑誌刊<絶版>・角川文庫)のなかで、若き日の本の雑誌に集まってきていた学生達を相手に、ある意味、教師のような立場にいたと書いていた(ような気がする)が、僕は逆に、彼女あるいは彼ら達に教わることの方が多い。とても純粋で、真剣な姿を見ていると「ああ、忘れちゃいけない…」と心のなかでつぶやくことも多い。

 本の雑誌助っ人魂は今でも存在している、と思う。

11月1日(木)

 町の本屋としては、日本で一番有名な千駄木の往来堂書店を訪問する。様々な雑誌で本屋さんの特集を組めば筆頭にあがり、佐野眞一著『誰が「本」を殺すのか』でも絶賛されているお店だ。坪数はたった20坪。どこにでもあるサイズの町の本屋さんなのに、なぜそれほどまでにウケるのか? その謎に迫ろうとかなりの期待と興味を持って営業に向かった。

 その往来堂書店さんと言えば、業界では名の通っている前店長Aさんがいる。Aさんは各誌紙などで書店論を多く書いていて、一度話を聞いてみたいとは思っていたが、Aさんが退職しオンライン書店に移ってしまったため、残念ながらまったく面識がない。しかし、その後を引継ぎ、店長となったOさんとは、Oさんが前に勤めていた書店でお世話になっていた。そのOさんを訪ねる。

 ちょうど僕が訪問したとき、Oさんが銀行に向かう時間だった。バッタリ会ったOさんは書店員から本屋のお兄さんに変身していてビックリしたが、「ちょっと待っていて下さい」と言われたので、ちょうど良かったと、往来堂書店の棚を拝見することにした。

 結論から言ってしまえば、往来堂書店は、いたって普通の健全な本屋さんである。奇をてらった本が並べられている訳ではない。この書き方ではちょっと誤解を生むと思うので、訂正をいれておくけれど、この「健全な本屋」というのが、実は非常に少なくなってきていて、その分往来堂書店さんが、これだけ注目を浴びることになるのだと棚を眺めながら考えていた。「健全な本屋」の定義は、取次店の配本任せにせず、何をどれだけ仕入れ、どのように棚に置くかを店員さんが独自に判断しているお店のことである。

 本屋さんに行っても面白くないということの理由によく挙げられるのが「どこに行っても同じ本が並んでいる」ということがある。いわゆる金太郎飴書店で、その理由はいろいろあって、出版社が営業を疎かにし(新刊が出ることすら伝えず)、配本を取次店任せにしてしまっている点や、またその取次店も書店各店の傾向をいちいち判断することの煩わしさから、規模でランク付けし本を配本していることなどなど、挙げだしたらキリがない。

 そういったなかで往来堂書店さんのような健全な書店さんは、独自に各社の新刊情報を手に入れ、あるいは神田村や取次店売に顔を出し、細かく発注することで、バラエティーに富んだ棚を作っているのである。作家や出版社の大小に関係なく、いらないものはいらない、置きたい本は置く。こういう姿勢のお店が増えれば、本屋の面白さ(本を発見する喜び)がお客さんに伝わり、読書意欲をかき立てることにつながるのではないかと思う。

 往来堂書店の棚を見ていて、もうひとつ感じたことは、常備セットを即刻出版社は辞めるべきなんじゃないかということだ。これは先に書いた「金太郎飴」書店につながることだけれど、実は本屋さんの棚に並んでいる本の多くが、「常備」という枠組みで納品され、これはある意味出版社の在庫になっている。資金力の乏しい書店業では致し方ないことで、棚を埋めるための本を全額支払うなんてことはとてもできず、伝票上1年間精算せず、またその1年後も同様に本を入れ替えるために、返品と納品がほとんど「=」になり、結局一生プラスマイナス0になるような仕組みになっている。これは出版社にとっても、メリットがあり、精算しない代わりに、本をお店に並べてもらえる仕組みになっている。

 問題なのは、この常備ではなく、その「セット」だと思う。出版社側が全国各書店からバラバラに申し込みを受けると非常に手間がかかるため、「常備」の申し込みの際に、冊数やジャンルで商品ラインナップを決め、そのセットの中から書店さんに選んでもらうようにしているところが多い。これでは、○○社の既刊本はどこの本屋さんに行っても同じ本が並ぶことになってしまうのは当然のこと。

 このセットを辞めて、すべて書店さんに選んでもらうことが出来れば、少しずつ置いてある本は変わることになる。良い本屋さんの条件のひとつは、欲しい本があることと、知らなかった本があることで、どこも同じ本が並ばなくなれば、それだけ発見する機会が増えるんじゃないか。もし何を入れて良いのかわからないという書店さんがいたら、そこには営業マンが足を運び、お店の傾向をじっくり聞いて、データを開示し、一緒になって選択すればいいのである。書店員さんも営業マンもそれくらいの努力はしてもいいと思う。

 そして、特にこの常備セットの恩恵を受けている大型書店さんでは、その特徴が出にくくなるは当たり前のことで、もちろん大型書店さんのなかでも往来堂書店さんのように努力している店員さんは多いけれど、圧倒的な在庫量によって埋もれてしまっているのが実状だ。よほど目を凝らして見ないと、その書店員さんの特徴が伝わってこない。大型書店さんの店員さん達がわかりやすく個性を発揮するのが独自のフェアであって、実はそのフェアーと往来堂書店さんの棚づくりは同じ延長線上にあるような気がしてならない。

 結局、何でもシステマティックにするのではなく、人がやらなければならないところは、面倒がらずに仕事をする…というのが本屋さんに魅力を戻す第一条件で、またそれをしない限り、出版不況から抜け出すことはできないだろう、と千駄木の商店街を歩きながら考えていた。本好きが喜んでくれる本屋を作り、出版社もそういった本をしっかり作っていくべきだと。浮動読者ばかりをターゲットにしていては、いつも本を買ってくれる真のお客さんに見捨てられてしまうんじゃないか。

 ちなみにOさんはとても楽しそうに仕事をしていて、僕も思わぬ本を発見し、購入して会社に帰った。往来堂書店さんに触発され、ついつい、久しぶりにタイトル通りの「炎の営業日誌」になってしまった。何だかいろんな方向に話が飛んでしまって、論旨が乱れておりますが、それはすべて書き手の能力のなさです。すみません。

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