第166回:柚月裕子さん

作家の読書道 第166回:柚月裕子さん

新人離れした作品『臨床真理』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞してデビュー、『最後の証人』にはじまるヤメ検・佐方貞人シリーズも人気の柚月裕子さん。最近では極道とわたりあう刑事の生き方を描く『孤狼の血』が話題に。骨太の作品を次々と発表している著者は、どんな本を読んできたのでしょう?

その2「シャーロック・ホームズに夢中になる」 (2/5)

――文章を書くことは好きでしたか。

柚月:書くことは苦痛ではありませんでした。また転校の話になるんですけれども、今みたいにメールもないし電話をかけるにしても電話代が高いので、前の学校のお友達とは手紙のやりとりをしていたんですね。だから、手紙はちょっしゅう書いていました。今でも手紙や葉書を書くのが大好きで、季節の節目節目で葉書を出したり、お手紙を書いたりしています。

――物語を空想したり、書いてみたりしたことは?

柚月:ありますね。子供の頃から母と一緒に読んだ本の話をすることが多くて、たとえば昔話が最後に悲しい終わり方して私が悲しむと、母が「でも、こういう続きがあるといいよね」と話してくれるんです。漫画にしても「このキャラクターが好き」とか「この人にこうなってほしいよね」という話をしていました。だから、そういう意味ではすごくいろんな想像をしていたと思います。
小学校高学年くらいでしょうか、漫画を読んでいて「自分も漫画家さんになりたい」と思ったことがありました。私、小学校の頃にイラストクラブに入っていたんです。でも絵を描くのは下手でした。物語を作るのは好きだったので、絵がすごく上手な友達に「今度はこういう話を描いてみたらどう」と、今でいうプロットみたいなものを書いて渡していましたね。

――漫画原作ってことですね(笑)。

柚月:そうですね(笑)。自分では絵が描けないって分かったので、自分ができないことを友達に託す形で。その子は「私はストーリーが考えられない」っていう子だったので、「じゃあ」って。台詞を書いて、「ここで笑う」みたいなことを書いていましたね。

――中学生になってからの読書生活は。

柚月:中学校1年の時に、『シャーロック・ホームズの冒険』を読みました。今はもう絶版かもしれませんが、講談社から出ている鮎川信夫さんの訳だったんです。ホームズは子供向けに書かれたものを読んではいたんですけれど、鮎川さん訳のホームズは私が知っていたホームズとまったく別だったんですね。児童文学のほうのシャーロック・ホームズは優れた推理力をもって事件を解決するヒーローだったんですけれど、翻訳のほうのホームズはコカインはやるし、事件以外はまったく関心がなくて、自分の部屋でずっと実験していて、非常に偏った人物なんですね。ただ、事件が舞いこむと活力を持って捜査に臨むという。自分が苦手なのは退屈だ、というようなことを言うんですよね。それを読んで「私が読んできたホームズと全然違う!」と思って、それが新鮮でした。翻訳というのはこんなに面白いのか、とも気づきました。ホームズはクールで感情を表に出さないけれど、ワトスンが危機に陥ると、ちょっとだけ人間らしい表情を見せるのも自分の中で印象に残りました。トリックとか事件の推理よりも、ホームズとワトスンの関係性が、私には面白かったですね。

――鮎川信夫さんの訳がよかったんですね。

柚月:そうなんです、この方の訳が中学生の私にはすごく読みやすくて。当時購入した鮎川さん訳の『シャーロック・ホームズの冒険』、『シャーロック・ホームズの回想』、『シャーロック・ホームズの帰還』は今も大事に家にとってあります。講談社文庫から出ているホームズものを全部読み終わっても、もっと読みたかったんですが、アーサー=コナン・ドイルはもう亡くなっているから新しいものは出ない。じゃあどうしようと思った時に、違う訳のものを買って揃えたんです。新潮文庫とか、ハヤカワ文庫とか、創元推理文庫とか。訳す方が違うとこれだけ中味が違うのかと驚きました。言葉ひとつでも「ワトスン」と呼んでいたり「君」って呼んでいたり「お前」と呼んでいたりして。それが新鮮でした。当時手に入るものは全部買いましたが、まだ中学生だった私には、新潮文庫はちょっと難しかったですね。あの時の私が読みやすかったのは、講談社でした。

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――すごい。一途な読書ですね。

柚月:その読み方は今でも変わっていません。いいなと思ったらずっとそればかりになります。ホームズは当時手に入る訳も全部読んでしまって、それでもまだ読みたくて、次はパスティーシュに走りました(笑)。今のようにネットでは探せないので、いろんな書店に行って何時間もいて、1冊1冊探しました。ミステリだけではなくて、SFでホームズが活躍しているものあるので、全部の棚を見なければいけなかった。ハドスン夫人とホームズが結婚しているのもありましたね(笑)。パスティーシュはパスティーシュで非常に面白くて、今でも時間があると読みます。そういえば、後になってから夢枕獏さんの『陰陽師』にも夢中になったのですが、あれもホームズとワトスンの形ですから、幼い頃に読んだ本の影響というのは自分のなかで強くあるのだと思います。

――ご自身でホームズのパスティーシュを考えたりはしなかったのですか。

柚月:ありましたね(笑)。ホームズとワトスンを出して、こうかなああかなって。その頃から何かお話を考えるのが好きだったんでしょうね。

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