『リバース&リバース』奥田亜希子

●今回の書評担当者●丸善お茶の水店 沢田史郎

  • リバース&リバース (新潮文庫)
  • 『リバース&リバース (新潮文庫)』
    奥田 亜希子
    新潮社
    649円(税込)
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  • 透明人間は204号室の夢を見る (集英社文庫)
  • 『透明人間は204号室の夢を見る (集英社文庫)』
    奥田 亜希子
    集英社
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  • 五つ星をつけてよ (新潮文庫)
  • 『五つ星をつけてよ (新潮文庫)』
    亜希子, 奥田
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  • 『青春のジョーカー (集英社文庫)』
    奥田 亜希子
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「こういうのがあなたらしい」と心得顔で他人が押し付けるものを受け入れるのではなく、"自分らしさ"は自分で自由に選んでいいんだよ。そんな静かなエールが奥田亜希子の作品には充ちている──といったような趣旨のことを前回述べた訳だが、実は、まだ続きがある。と言うよりも、むしろ本論はここからだ。

 例えば僕が、「何が僕らしいのかは僕が決めるけど、あなたが選んだあなたらしさは認めない」と主張したら、納得してくれる人はいるだろうか。寝言は寝て言えと、誰もが呆れるに違いない。「自分らしさを自分で選ぶ」のならば、同時に、自分以外の人たちの"らしさ"も受け入れるのが当然だろう。
 それを声高に叫ぶのではなく、物語の懐深くにそっと忍ばせ、読者にさりげなく示唆を与える。それが、奥田亜希子の作風だ。

 例えばデビュー作『左目に映る星』で、主人公の早季子は、アイドルの追っかけを生き甲斐にしている三十男・宮内と、成り行きで幾度か行動を共にすることになる。その経緯を長い付き合いの友人に話すと、《すごいなぁ。早季ちゃん、そんな人と話が合うの?》と返される。「だよなぁ」と友人に共感しながら次の行に目を移すと。
《美貴の口調には邪気こそなかったものの、ごく自然に宮内を否定していた。早季子は少し考えてから、口を開いた。/「誰にだって一つくらい、好きで好きで堪らないものはあるんじゃない? 映画とか車とか仕事とかさ。それが家族や今の恋人だと健全に見えるってだけの話で」/穏やかに言ったつもりだったが、美貴はばつが悪そうに顔を歪めた。自分の言葉がなにを内包していたのか、気づいたらしい》
 初めて奥田亜希子の作品と出会ってから随分と長い間、ここの描写は、「好みや趣向の違いなんて大差無いんだから、それだけで相手を判断しちゃダメだよ」といった趣旨だと捉えていた。

 が、今回『白野真澄はしょうがない』評を書くに当たり、全ての作品をもう一度読み直してみて、誤読に気付いた。

 例えば上記の宮内が別の場面で、早季子が乱視にコンプレックスを抱いていると勘違いして、こんな慰めを口にする。
《人工物には完全がありますが、生物に完全はありません。人間の顔も一見、左右対称のようですが、実際に左右のパーツやバランスが完全に、百パーセント同じという人はいません。それと同じで、角膜や水晶体がまったく歪んでいない人もいないんです》
 さて、著者はここで宮内に、一体何を語らせようとしたのだろう?

 奥田亜希子の最初の短編集『ファミリー・レス』からも、一編紹介してみたい。
「いちでもなく、さんでもなく」の主人公・梗子には百合という一卵性双生児の姉がいたが、12年前に夫婦で事故に遭い急逝する。一人遺された十歳の娘・柚香を引き取った梗子は夫の健一と二人で、実の子同然に育ててきた。
 しかしこの春、卒業・就職を1か月後に控えた柚香は、《親でもない人に、社会人になってまで面倒見てもらえないよ》と、家を出て一人で暮らす決意を告げる。
 結局自分は、柚香の母親にはなりきれなかった......。その落胆を、梗子は抑えきれずにふと漏らす。《私ね/柚香のお母さんになりたかった。/なれるんじゃないかと思ってた》と。
 すると柚香は《それは無理だよ》と即答する。《梗ちゃんは梗ちゃんなんだから。お母さんとは全然違うもの。中身も、見た目も。私、子どものころから一度だって、お母さんと梗ちゃんが似てるなんて思ったことない。健一さんも、きっとそうだよ》。そして言葉に詰まる梗子に、柚香はもう一言、言い添える。
《あのねえ、好きな人のことは、ほんの少しの違いまで分かるんだよ》。
 お分かりだろうか? 柚香は、実母の百合と叔母の梗子が一卵性双生児であるからといって、梗子に百合の面影を求めていた訳ではなく、むしろ彼女にとっては百合と梗子が"違っていること"が大事なのであって、その違いを"見分けられること"こそが愛なのだ。

 そういう視点で読み直すと、前述の宮内のセリフも、角膜や水晶体の違いなど大した差ではないと言っているのではなく、人それぞれ違っているのが当たり前であり、同じである方がむしろ不自然だと、そう言っているように読めはしないか?
 早季子が友人をそれとなく諫めた場面も、趣味嗜好の違いなど些細な事だと言っているのではなく、逆に人それぞれ違っているのが普通なんだと、そんなメッセージとして受け取れはしまいか?

 もう少し例証を続けたい。つい先日文庫化された『リバース&リバース』は、テーマそのものに或る種のカラクリが仕込まれている為ストーリーには触れずにおくが、奥田亜希子の作風を象徴するような描写があるので引用したい。
 アトピー性皮膚炎の子をからかっていた子供たちを、主人公のおばあちゃんが叱り飛ばす場面がそれだ。おばあちゃんはイジメていた子たちを一列に並ばせて、声を張り上げる。
《おまえの額が狭いのはおまえが選んだことなのか、おまえは自分の意志で顎にホクロをつけたのか。/自分では選べないようなことを持ち出して誰かを傷つけるのは、最も品性の下劣な行為だ》
 こういった描写こそ、まさに奥田亜希子の本領であり、持ち味ではないかと思うのだ。

 そうだとすれば、『白野真澄はしょうがない』で、主人公の名前が全て白野真澄だった理由も見えてくる。即ち、同姓同名の五人の人生を描くことで、逆に、個性や人格は一人一人違っているのが当然なのだという事を浮き上がらせて見せたのだ。

 話が跳ぶようだが、かつてポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーは、見事なハーモニーで世界中に問いかけた。「ピアノの鍵盤の上では黒と白は仲良く並んでいるのに、何故、僕たちにはそれが出来ないのだろう?」と。
 また、いつぞやここで紹介した『カモメに飛ぶことを教えた猫』で、主人公のゾルバは言っていた。《自分と似た者を認めたり愛したりすることは簡単だけれど、違っている者の場合は、とてもむずかしい》と。
 そう。僕らはともすれば、〈我々〉と〈我々以外〉に世の中を分けたがる。

 でもね、と奥田亜希子は(奥田亜希子の作中人物たちは)言う。私たちの中には、誰一人として同じ人間はいないんだよ、と。それぞれ違っているのが当たり前なんだよ、と。

 恋愛小説が好きなら『左目に映る星』。自己否定の闇に飲み込まれた女性の新たな一歩を応援するなら『透明人間は204号室の夢を見る』。『ファミリー・レス』は"遠くて近き"家族という縁を描いた短編集。他人の評価ばっかり気になって疲弊している人には『五つ星をつけてよ』。中三男子がスクールカーストを通して〈強さ〉とは何かを学ぶ成長譚が読みたければ『青春のジョーカー』を。
 といった具合に、既に文庫化されているものだけでも選り取り見取りだ。ここで僕の駄文に出会ってしまったのも何かの縁だと思って、どれか一つでも手に取ってくれる方がいたら、書店員というよりも、奥田亜希子の一ファンとして、とても嬉しいのだけれど。

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丸善お茶の水店 沢田史郎
丸善お茶の水店 沢田史郎
小説が好きなだけのイチ書店員。SF、ファンタジー、ミステリーは不得手なので、それ以外のジャンルが大半になりそう。 新刊は、なんだかんだで紹介して貰える機会は多いので、出来る限り既刊を採り上げるつもりです。本は手に取った時が新刊、読みたい時が面白い時。「これ読みたい」という本を、1冊でも見つけて貰えたら嬉しいです。