3月19日(月)
今日はちょっとした取材があるので、スーツではおかしいと私服で出社。何だか遊びに行っているような気分になってしまいデスクワークに集中できない。よくよく考えてみると、本の雑誌社でスーツを着ているのは僕だけで、他の人達は普段着で出社していたのか…。うーん、金もかからないし、楽でいいだろうなあ。「営業マンにはスーツ手当支給を!」と発行人浜本へ向かって叫んでみたが、まるで聞いていない様子でパソコンをぱちくりやっている。ならば春闘に突入だと遠吠えしてみたが、誰も賛同してくれない。
午後から助っ人の横溝くんをカメラマンに従え、取材にでかける。慣れない仕事なので非常に疲れ、そのまま、帰りは焼き肉屋で一杯。彼は今春から某大手出版社へ就職が決まっていて、今は学生から社会人への過渡期の不安を抱え込んでいるようだ。配属が営業になる可能性が高いらしく「杉江さん、これからもよろしくお願いします。」などと深々と頭を下げて来るではないか。いやいや、来年からは先輩とか上司とかそういう身分を捨てて、出版仲間として楽しく付き合おうと握手する。何だか楽しくなってきた。
久しぶりに心を鷲掴みにされ、揺り動かされるような小説に出会ってしまった。こんな気分にさせられたのは10年ぶりくらいであろう。最後の数ページを京王線の新宿駅からJR埼京線のホームに向かうまでのコンコースで読んでいたのだが、涙があふれて止まらなかった。もうやめてくれ、もう勘弁してくれとページをめくるのを躊躇するほど、感情が一気に押しあふれてくる。
その本のタイトルは『ボルトブルース』秋山鉄著(角川書店)。大学を中退し、就職したもののすぐさま会社が倒産。何もすることがなくて、ただただ、無気力に支配され酒を飲んでぶらついていた主人公が、失業給付金の打ち切りとともに現実へ立ち向かう話だ。ハローワークで知り合ったおじさんの一言によって、バイクで北海道を旅することを夢見、そこへ行けば何かが見つかるような気がして、その資金集めとして、自動車工場の期間労働に参加する。そこで、いろいろな人と出会い、いろいろなことを考える……。
もしかすると何でもない小説なのかもしれない。他の人が読んだら、ふーんで終わってしまう小説なのか・・・。しかし僕にとってはたまらない1冊になってしまった。
なぜなら僕も、予備校を2ヶ月で辞め、「これからどうしたらいいんだ」と悩み、原チャリで日本一周すれば何かが見えて来るんじゃないかと考えたクチだからだ。てっとり早くその資金を稼ぐために、僕の場合自動車工場ではなく、大手スーパーの集中精肉加工所で日勤夜勤交代制の仕事をした経験がある。まさに僕とこの小説の主人公が「=」で結ばれてしまったのだ。
こんな読書体験は過去に1度しかなく、そのもう1冊は、『学問のススメ』清水義範著(光文社)だった。こちらは予備校に通う3人組を主人公にした受験青春小説だけれど、このなかの一人が僕と同じような考えを持ち、予備校を途中で辞めてしまうのだ。これを読んだときは、まさに僕もその渦中にいて、家族や友達からボロクソに言われていたときだったので、ものすごく救いになったのをはっきり覚えている。
あの頃の、絶対忘れてはいけない熱い気持を思い出させてくれた『ボルトブルース』に深く感謝しつつ、僕は新宿駅埼京線のホームで涙をぬぐった。
僕の原チャリ日本一周は、想いのなかだけで終ったけれど、それ以上のことを精肉加工の現場で働いている人達に教わった。能書きだけではなく、「生きる」ということの深い意味を。そして僕は、働くことを決心したのだ。