5月16日(水)
会社で使っているパソコンが壊れる。僕の言う「壊れる」は、目黒さんが言う「壊れる」とは違い、本当に壊れたのだ。目黒さんは何かアラートがなるとそれは故障だと思って、すぐさま単行本編集の金子に内線し、「原稿を書いている最中だから今すぐ治してくれ!」と言う。あわてて人の良い金子は仕事を脇に置いて4階に駆けつける。そしてすぐ戻ってくるのだ。
「どうしたんですか?」
「何でもないんだよね。」
といったことがたびたび繰り返されていた。
「メンテナンス料を貰った方がいいんじゃないですか?何なら営業マンの腕を見せましょうか?」と金子に進言するが、優しい金子は首を振りながら仕事に戻る。
さて、僕のパソコンは本当に壊れてしまったのだ。かなり前から、そう僕が入社する前から営業部で使用しているIBMのThink Padは、接触不良か内蔵電池の消耗でついに充電が出来なくなってしまった。コンセントをつなげてもまったく電気が通らず、起動すると同時に大きな音を鳴らして消えてしまう。電池がないなら音を鳴らさなければいいものの、律儀に毎回音だけ鳴らしやがる。とにかくThink Padの中には、営業データがたくさん入っていて、このパソコンをどうにかしないと営業部として大問題なのだ。新品を買って、データの移行をしたい。
そのことを浜本に相談しようとすると、事務の浜田が
「浜本さんはケチだからうまく話さないと買ってくれないと思います」と言う。
「えっ、だって仕事で必要なんだよ、今はパソコンなんて大した値段じゃないし」
「でも、ダメだと思いますよ、何か方策を考えないと…」
というわけで僕は頭をひねった。しばらく考えた結果、僕が前の会社で使っていた奥の手を思い出し、早速浜本の席にすり寄る。
「浜本さん、僕のパソコンが壊れちゃって」
浜本は、まったく興味がなさそうにささ屋のさけ弁当を突っついていた。再度襟元をただし
「浜本さん、僕のパソコンが充電が出来なくなっちゃって、この中にはいっぱいデータが入っているんですよ。それに『炎の営業日誌』もこれがないとアップできません!」
「で?」
「新しいパソコンを買って下さい。」
「買って下さい」という言葉を聞いた瞬間、浜本はちょっとだけ合わせていた視線をまたあわててさけ弁当に戻した。さあ、奥の手だ。必殺技を使って浜本の気持ちを揺すろう。
「浜本さん、パソコンを買ってくれたら、電気屋のポイントは浜本さんのカードにつけます。もし、あれなら浜本さんのクレジットカードで支払って、そのポイントもあげちゃいます。これならダブルポイントで大もうけですよ、電気屋のポイントでプリンターとか髭剃りとか、それこそ目黒さんが欲しがっていた鼻毛切りも買えます」
これで勝負が決まる…と思っていたが、浜本は一切興味がなさそうに、さけの骨を口から出した。そうか…、もしかしたらこのやり口は、会社の社長が堂々と横領することになるのかもしれない。さすがの浜本にも一応「正義」があるのか。
おもむろに浜本が手を伸ばし、パソコンの電源に触れる。なぜかその時唐突に僕のThink Padが起動したのである。今までの故障がウソのようにカリカリとハードディスクを鳴らし、快適に動き出した。なぜだかわからないけれど、事務の浜田曰く「ケチパワー」とか。
「大丈夫だね、杉江くん、これで頑張って営業して、なおかつ『炎の営業日誌』も書いてね、最近更新が遅いからね。でも杉江くん、君はあの日誌を家で書いているんじゃなかったけ?それとね、君が欲しがっているMacのIbookはポイント対象外なんだよね」
・・・・・・。
その後、またパソコンの電源が入らなくなってしまった。非常に困っているが、浜本を口説く新たな方策がいまだに思いつかない。うーん、困った。