第170回:木内昇さん

作家の読書道 第170回:木内昇さん

移ろいゆく時代のなかで生きる個々人の姿をと細やかに描きだし、深い余韻を与える作品を発表している木内昇さん。2011年には『漂砂のうたう』で直木賞、2014年には『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。誰もが認める実力の持ち主は、少女時代はスポーツ三昧、編集者時代もまったく作家を志望していなかったのだとか。では、どんな本に導かれ、どのような経緯でこの道に進むことになったのでしょう?

その3「分かりにくい時代に魅せられる」 (3/8)

  • 新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)
  • 『新選組始末記―新選組三部作 (中公文庫)』
    子母沢 寛
    中央公論社
    843円(税込)
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――ところで、司馬さんの本を一通りお読みになったということで、これが好きだという作品はありますか。

木内:やっぱり『燃えよ剣』は好きでしたね。新選組の土方歳三の話です。その後に何かのインタビューを読んでいたら司馬さんもご自身の作品で『燃えよ剣』がお好きだと答えてらして、嬉しかったですね。あの、ぎゅっと凝縮した生き方というか、滅びていく生き方というものの描き方が好きでした。

――木内さんはのちに新撰組の『新選組 幕末の青嵐』話で小説家デビューされていますが、新選組の小説は『燃えよ剣』がはじめてだったのですか。

木内:それより前に子母澤寛の『新撰組始末記』を読んでいたと思います。それはどちらかというとドキュメンタリー風の書き味なので臨場感があるというか。小説風に盛り上げていない分、生々しさがあって、その面白さがありました。

――木内さんの作品は幕末から明治、昭和のはじめにかけての時代のものが多いですが、いろいろ読むうちにその時代が好きだなとご自身でも実感するようになったのですか。

木内:幕末って分かりにくいんですよ。それこそ天下統一とか、領土争いみたいなことではなくて、藩を越えて個人が活動したという意味でも珍しい時代で、勤皇と佐幕というそれぞれの主義や思想も、短い期間で微妙に変わっていきます。同じ攘夷でも、尊王攘夷と佐幕攘夷があったりして、複雑なんですね。はじめはそれがよく分からなくて、調べていくうちにハマっていった感じです。分からないことがあると、それを解決したくて次の本を読む。そうするとどんどん分かってくるし、諸説あることが知るのも面白かったです。

――では高校時代に入ってからは、歴史小説は相当お読みになったのでは。

木内:高校もまた、すごい部活が(笑)。

――なんと(笑)。

木内:やっとソフト部に入れたと思ったら、とても強いクラブだったんですよ。実業団と練習試合をするようなチームだったので、毎日の練習もハードでした。朝、授業が始まる前に行って練習して、2時間目の終わりと3時間目の間にお弁当を食べてしまって、4時間目が終わって昼休みになると野球部とキャッチボールしたりして、5時間目と6時間目の間に購買部で買ったパンを食べて、6時間目が終わってから日が暮れるまではずっと練習。それを高3の夏の終わりまでやっていたんですね。高校を卒業して1年後に同級生に会った時「え、木内って色白いんだ」って言われたくらい真っ黒でした。

――じゃあ、読書の時間はなかなか取れなかったのでしょうか。

木内:本好きが多い高校だったので、みんなと本の情報を交換したりしました。太宰治が流行っていましたし、後に大学の先生になった同級生からは私が読まなかった司馬遼太郎の三国志など中国ものを薦められたりして。アガサ・クリスティなどミステリが好きな子もいて、貸し借りをしましたね。高校時代はいろんな人の影響を受けて、いろんなものを読んでいた気がしますね。その中で自分は本が好きだという自覚みたいなものが出てきました。私は国分寺高校というところに通っていたんですけれど、学校の坂を下りていくと国立の駅があるんです。今はだいぶなくなってしまいましたがその頃の国立には古本屋さんがたくさんあって、外に文庫がいっぱい入った段ボールを出して1冊5円とか10円で売っているお店もありました。新刊はお小遣いでは買えなくて、そういうところで投げ売りされている本を買うので、芥川龍之介や夏目漱石といった古典的な名作の文庫をよく読んでいました。教科書に載っているような人たちだから名前は知っているし分かったような気にはなっていたけれど、改めて読んでみると、比喩ひとつとっても表現の豊かさに驚いたし、それまで知らなかった美しい言葉も多々出てくる。夏目漱石なんて言文一致のはじめの時期に登場して、あらかたのことをやってしまったんだなという感じがしました。今読んでも、ずっと、新しい。その輝きをあの時代にあれだけ出せたというのが今になると奇跡みたいですよね。物語というよりも、文学のすごさに気づいたのが、この頃だったように思います。

――古本屋で5円10円で買うのは芥川や漱石だとすると、新刊書店で読むのはどういうものだったんですか。

木内:実は高校になっても小遣いが月1000円と少なかったので、新刊本は買えなかったんですね。ただ、遠藤周作や北杜夫の本をよく読んでいた覚えがあります。でもこれはたぶん、図書館で借りてますね。織田作之助も好きでしたが、それは古本で読んだのかな。ああ、広津柳浪といった洲崎の遊郭の話を書いているような作家も読んでいました。当時の独特の情景や台詞まわしを、その時はすごく憶えられたというか。今読んでもすぐ忘れてしまうけれど、若い頃の記憶力って特別で、身にしみて感じられるようなところがありました。

――読書日記や記録はつけていましたか。

木内:つけていないですね。今も書評は、うまく書けないのでお断りしているくらいで。解説などは依頼があれば必ずお受けするようにしているのですが、評論は全然自信がないんです。そんなに分析的に小説を読んでいないのかもしれないですね。

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