1月12日(金)
相変わらず、熱でぼんやり。
午前中、Nさんが会社にやってくる。Nさんは、僕が前に勤めていた会社に出入りしていた印刷会社の営業マン。カヌーや山登り、あるいは読書といった趣味が僕と合い、仕事を越えたつき合いをさせてもらっている人。前の会社にいた頃は、面白本があると、仕事もそこそこに喫茶店に誘い合い、本の話をしていた。
そんなNさんから電話があったのが去年の夏。神保町の喫茶店で待ち合わせをして、コクのあるコーヒーと卵サンドを食いながら、
「あのね、転職しようと思ってるんだ。」
と告白される。
「えっ、会社辞めちゃうんですか?どっか次の仕事のあてでも…。」
「杉江くんも知っている、白日社に。」
白日社は、僕がNさんから教わって大好きになった辻まこと氏の本を出版している会社だ。その他に山奥で素朴に暮らしている人々の聞き語りシリーズや串田孫一さんの本など自然系を中心に出している。
「えっ、マジですか?」
予想外の話の展開に思わずビックリしつつ、これまでの経緯を聞いた。
「印刷の仕事も面白いんだけど、白日社のね、社長さんがもう80歳を越えてひとりで地味にやっているんだ。すごい人でさ。どうしてもその人の下で働きたくて、それで話をしに言ったの。僕ももう42歳。やっぱり一度くらいは好きなとこで働きたいと思ってね。僕ともう一人編集ができる知り合い(某科学系雑誌編集長)がいて、二人で移って頑張ろうかと思ってるんだ。」
42歳、家庭があって、子供もいて、この結論を出したNさん。転職や開業の話には何か危うさがつきまとうけれど、僕が偉そうなことを言えるわけもない。話を聞きながら、ただただNさんの選択に間違いがないことを祈った。
そして今日。
Nさんにとって、長年営業マンとして仕事をしてきたとはいえ、出版営業は初めての経験で、出版業界の営業とはどんなもんだ?ということを僕に教えて欲しいと会社にやってきたのだ。
僕に教えられること…なんてあるわけがない。僕だって手探りで営業しているし、どれが正解なのかもわからないし、自信なんてまったくない。毎日、これで良かったのかなあ、なんて考え込んでしまうくらい。だから、Nさんから電話を貰ったとき、思わず断ろうかと思った。けれど、こんな年下の小僧に教えを乞うこと自体、よほどプライドを捨てているのだろうし、今まで散々お世話になってきているのだから、その幾らかのご恩返しになればと思い直し了解したのである。
教えるなんてことはできないので、とにかく僕は本の雑誌社に移っての3年間を話した。書店さんはこんなところで、僕はこう考えながら営業している。あるいは、新刊を出すときはこんなスケジュールで動いているなどなど。Nさんにとって役に立ったのかわからないけれど、とにかく僕にわかる範囲のことは話した。
Nさんとは、笹塚駅で別れた。僕の話で満足したのかよくわからなかった。ただ、期待と不安をごちゃまぜにしたNさんの表情を見ながら、入社した頃の自分を僕は思い出していた。今よりもっと自信がなくて、期待よりも不安が多かったあの頃…。そしてその気持ちをいつまでも忘れてはいけないと強く感じた。
教わったのはNさんではなく、自分の方だった。
Nさん、お互い小さな出版社だけど、頑張りましょう!