前門のストーカー、後門の同調圧力『ミルクマン』

文=藤ふくろう

  • ミルクマン
  • 『ミルクマン』
    アンナ・バーンズ,栩木 玲子
    河出書房新社
    3,740円(税込)
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  • オリーヴ・キタリッジ、ふたたび
  • 『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』
    エリザベス・ストラウト,小川 高義
    早川書房
    2,970円(税込)
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  • アルマ
  • 『アルマ』
    Le Cl´ezio,J.M.G.,ル・クレジオ,J.M.G.,義和, 中地
    作品社
    3,080円(税込)
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  • ニッケル・ボーイズ
  • 『ニッケル・ボーイズ』
    コルソン・ホワイトヘッド,藤井 光
    早川書房
    2,200円(税込)
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  • 見えない人間(上) (白水Uブックス)
  • 『見えない人間(上) (白水Uブックス)』
    ラルフ・エリスン,松本 昇
    白水社
    2,640円(税込)
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  • 見えない人間(下) (白水Uブックス)
  • 『見えない人間(下) (白水Uブックス)』
    ラルフ・エリスン,松本 昇
    白水社
    2,530円(税込)
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  • 現代アメリカ文学ポップコーン大盛
  • 『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』
    青木耕平,加藤有佳織,佐々木楓,里内克巳,日野原慶,藤井光,矢倉喬士,吉田恭子
    書肆侃侃房
    1,980円(税込)
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 皆と同じだと「普通」で、少しでもズレたことをすれば「普通じゃない」と集中攻撃と排除の対象になる。そんな閉鎖的社会の暗黒に、ストーカーという暗黒を掛け合わせた「暗黒特盛り小説」が、アイルランドからやってきた。アンナ・バーンズ『ミルクマン』(栩木玲子訳/河出書房新社)の舞台は、政治対立がある不穏な町。表向きは平和だが、裏では密告と相互監視がはびこっている。語り手の少女が「ミルクマン」と呼ばれる既婚中年(かつ組織の大物)からストーカー被害を受け、周囲の無理解と二次被害にさらされる。「普通」とズレたらすぐ噂が広がってデマとなり、「普通じゃない」ことが攻撃の免罪符になり、なにをしてもいい雰囲気になることが恐ろしい。『ミルクマン』の背景には、二〇世紀の北アイルランド問題があるが、出る杭を徹底的に叩く社会の息苦しさは、日本の読者にとっても他人事ではない。「前門のストーカー、後門の同調圧力」の日常は大変にきついものの、少女の語り口がブラックユーモアに満ちていて安定感があるので、暗黒沼に命綱をつけてどっぷり浸るような、奇妙な読書体験を味わえる。ブッカー賞、国際ダブリン文学賞受賞作。

「誰もが顔見知りのコミュニティ」小説をもう一冊(こちらはずっと穏やかで平和だ)。エリザベス・ストラウト『オリーヴ・キタリッジ、ふたたび』(小川高義訳/早川書房)は、『オリーヴ・キタリッジの生活』の続編となる連作短編集だ。前作で七〇代だったオリーヴは八〇代になった。構成は前作と同じで、小さな港町クロズビーを舞台に、住民の生活、心情、秘密を描く。ストラウトは「いい人」「いやな人」といった安易なレッテル貼りを拒み、人間の曖昧さや矛盾、心の「わからなさ」を肯定的に描く。オリーヴは口調がきつく、なんでも率直に言うので、いやな人と思われがちなタイプだが、読むにつれてオリーヴの印象がどんどん変わっていく。ストラウトの小説を読むと「人間の心も人生もわからないものはわからない、だがそれでいい」と言われている気持ちになる。連作短編集なのでどちらから読んでも問題ないが、『生活』は文庫化されているので、未読の人は『生活』から入るのがおすすめ。

 ノーベル文学賞作家J・M・G・ル・クレジオが描く『アルマ』(中地義和訳/作品社)は、もう消滅してしまった星が最後に放つ残光みたいな小説だ。舞台は「インド洋の貴婦人」と呼ばれる美しい島モーリシャス。作家の似姿であるフランス人研究者がモーリシャス島を訪れて、かつて父や先祖が見た景色の痕跡を求めて歩き回る。父祖が知るモーリシャスは消滅しつつあり、その象徴として、絶滅した鳥ドードーが、くりかえし登場する。失われる過去は美しく見えるものだが、ル・クレジオの美しく詩的な文章で描かれると、その輝きは何倍にも増す。自然の描写がとりわけ美しい『アルマ』は、海、南の島、博物館が好きな人に読んでほしい。

 続けて「アメリカの黒人文学」で話題になった二冊を紹介する。一冊目は、コルソン・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』(藤井光訳/早川書房)。フロリダ州の少年矯正院で実際にあった虐待と殺人をもとに書かれた、地獄サバイバル青春小説だ。黒人少年が、無実の罪で少年矯正院「ニッケル校」に収容される。ニッケルは、虐待で少年たちが殺されても、敷地内に埋めて終わらせる無法地帯だった。『ニッケル・ボーイズ』は、前作『地下鉄道』と同様、黒人に対する暴力を容認する構造、暴力に屈せず生き延びようとする黒人の若者たちを描く。「暴力からの逃亡」が主軸の『地下鉄道』に対して、『ニッケル・ボーイズ』は「暴力が被害者の人生に残す禍根」に焦点を当てている。ニッケル校から出ても暴力は終わらず、ニッケル・ボーイはずっとニッケル校から逃げ続ける人生を送る。暴力とは、根こそぎ人生を破壊することなのだ。なにもかもひどい地獄の中で、少年たちの友情だけが輝いている。地獄と青春のコントラストが強烈な、忘れがたい作品だ。

 二冊目は、ラルフ・エリスン『見えない人間』(松本昇訳/白水uブックス)。「二十世紀黒人文学の名作」と呼ばれる作品の復刊だ。「見えない人間」は、無視されるか、道具として利用されるばかりで、ひとりの人間として尊重されない人間のことだ。エリスンは、黒人が「見えない人間」として扱われるアメリカ社会、白人と黒人両方の問題を、舌鋒鋭くえぐり出す。それに、周囲に期待されるがままに振る舞い、自己決定権を他者に委ねて「見えない人間」になってしまうリスクと代償は、アメリカ社会に限らない問題だ。この小説には、BLM運動の発端となった「白人警官による黒人射殺事件」と同様のシーンがあり、刊行から七〇年近く経った今も社会問題となる根深さがうかがえる。現代アメリカの人種問題を知るうえで重要な作品。

 青木耕平、加藤有佳織、佐々木楓、里内克巳、日野原慶、藤井光、矢倉喬士、吉田恭子『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』(書肆侃侃房)は、「あえてのノンジャンル」で、八人の研究者たちが現代アメリカ文学について書きまくった文学評論エッセイ集である。「大盛」とのタイトルに遜色なく、作家、ジャンル、切り口がじつに多彩かつ大量だ。なにより、書き手たちの筆圧と熱量がすばらしい。そして、読めば読むほど、読んでみたい小説が増える。現代アメリカ文学に興味がある人だけではなく、アメリカに興味がある人、アメリカのエンターテインメントが好きな人にもおすすめできる「積読大量生成本」。

(本の雑誌 2021年3月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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