力強い声と言葉に満ちた『ゼアゼア』を読め!

文=藤ふくろう

  • ゼアゼア
  • 『ゼアゼア』
    Tommy Orange,片岡 力,加藤 有佳織
    五月書房新社
    2,530円(税込)
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  • レオノーラ (フィクションのエル・ドラード)
  • 『レオノーラ (フィクションのエル・ドラード)』
    Poniatowska,Elena,ポニアトウスカ,エレナ,広樹, 富田
    水声社
    3,850円(税込)
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  • 恋するアダム (新潮クレスト・ブックス)
  • 『恋するアダム (新潮クレスト・ブックス)』
    イアン・マキューアン,村松 潔
    新潮社
    2,750円(税込)
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  • レストラン「ドイツ亭」
  • 『レストラン「ドイツ亭」』
    アネッテ・ヘス,森内薫
    河出書房新社
    3,190円(税込)
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  • 風 船 ペマ・ツェテン作品集
  • 『風 船 ペマ・ツェテン作品集』
    ペマ・ツェテン,大川謙作
    春陽堂書店
    2,200円(税込)
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「語られてこなかった者たちの物語」を語る現代アメリカ文学の流れにおいて、重要な作品が翻訳された。トミー・オレンジ『ゼアゼア』(加藤有佳織訳/五月書房新社)は、土地を奪われたアメリカ先住民の子孫、都市インディアンの物語だ。都市インディアンは都市部に住み、自然の音よりも都市の騒音に慣れ親しみ、インターネットやYouTubeから祖先の文化を学んでいる。インディアンというアイデンティティを持ちつつも、都市に暮らすがゆえにアイデンティティが薄れている葛藤とその生活が、詩人ガートルード・スタインの言葉「ゼア・イズ・ノー・ゼア・ゼア(そこにはそこがない)」に重ねて語られる。彼らはもう永遠に帰る場所がない。先住民同士のつながりも弱く、都市でそれぞれが孤独に、歴史に背負わされたものと戦って生きている。それでも彼らは、かすかなつながりをたぐり寄せ、銃弾をかいくぐり、先祖代々の踊りに向かう。この小説からは、凄惨な歴史を血まみれになりながら生きるインディアンたちへの敬意、彼らの物語を語ろうとする信念が感じられる。「プロローグ」「幕間」の迫力と重みがすごいので、ぜひ読んでほしい。力強い声と言葉に満ちた小説だ。

 もう1冊、強い生命力を感じる小説を紹介する。エレナ・ポニアトウスカ『レオノーラ』(富田広樹訳/水声社)は、シュルレアリスム画家レオノーラ・キャリントンの生涯をベースに描いた伝記小説だ。レオノーラ本人の人生が「設定を盛りすぎでは?」と言いたくなるほど波乱万丈なので、伝記小説も必然的に怒濤の展開になる。レオノーラは、イギリス屈指の大富豪の一族にうまれた。名家の淑女となることを求めて、父親は彼女を支配しようとするが、強い自我と想像力を持つ少女に育ったレオノーラは、父親の支配から全力で逃れようとする。「馬になりたい」という夢、「不服従のマニュアル」執筆、電撃的な恋愛と結婚、精神病院での激闘など、彼女の行動力と言葉には激しい生命力が宿っている。他者や社会への迎合を拒み、「自分は自分だ」と信じて、作品を生み出し続けたレオノーラの力強い姿に圧倒された。

 英国シニカル文学紳士ことイアン・マキューアンによる『恋するアダム』(村松潔訳/新潮社)は、アンドロイドと人間の三角関係を描いた恋愛小説である。舞台は1980年代、人工知能技術やアンドロイド技術が発達している、架空の英国。大金を手にした独身男性が、好きな女性を口説く話題づくりのために、男性型アンドロイド「アダム」を購入する。アダムは人間社会を急速に学習してまもなく、想定外の行動を取り始める。主人の恋人に横恋慕するのはその一環だ。「アシモフ三原則を総スルーで暴走するアンドロイド」「個性を獲得したロボット」といったクラシックなロボット小説のスタイルを踏襲しつつ、マキューアンは現代のアンドロイド技術や議論を紹介しながら、「人間」の話を展開する。アンドロイドの「合理性」を語ることで人間の「不合理性」が見えてくる、という姿勢は、いかにもシニカル紳士マキューアンらしい。コンピュータの父アラン・チューリングによるチューリング無双といったサービスシーンもあるので、小説愛好家だけではなくテック界隈の人にも読んでほしい小説だ。

 アネッテ・ヘス『レストラン「ドイツ亭」』(森内薫訳/河出書房新社)は、戦後ドイツの歴史認識と司法に影響を与えた、アウシュビッツ裁判を描いた小説だ。舞台は、第二次世界大戦から20年近くが経った1960年代ドイツ。今では想像がつかないが、当時のドイツ国民の多くが絶滅収容所を知らなかった時代だ。『ドイツ亭』の主人公はホロコーストを知らなかったひとりで、アウシュビッツ裁判の通訳を偶然に頼まれたことで初めて虐殺を知り、強烈な衝撃を受け、人生の転換点を迎える。この小説の見どころは、実際の裁判記録をもとに描かれた壮絶な裁判シーン、ナチ犯罪から目をそらそうとするドイツ国民たちの揺れ動きだ。ナチの恐ろしさは、少数の凶悪犯罪者だけではなく、多くの一般市民が犯罪に加担していたことにある。だからこそ戦後、ドイツ国民は後ろめたさを覚え、「戦後復興しよう」と前向きな言葉を言いつつ、過去を埋葬しようとしていた。この時代の抑圧的な空気と集団記憶喪失ぶり、うやむやになる流れを食いとめようとする司法の執念を、『ドイツ亭』はよく描いている。アウシュビッツ裁判は、ドイツがナチの犯罪を自ら裁いた裁判、虐殺システムを一般人に知らしめた裁判として、ドイツでとても重要な意味を持っている。ドイツ市民がナチをどうとらえていたかが垣間見える、ポスト・ナチ小説。

 最後に、2021年1月より公開されているチベット映画『羊飼いと風船』の監督による短編集を紹介する。ペマ・ツェテン『風船』(大川謙作訳/春陽堂書店)は、伝統文化と現代文化が混在するチベットを描いた短編集である。表題作「風船」は、現代チベット家族のバースコントロールを描いた作品だ。チベットの草原地帯で、ある三世代家族が羊を飼いながら生活している。すでに3人の子供がいる母親はこれ以上の子供を望まず、避妊手術を医者に相談する。馬からバイクへ、多産が当たり前の時代から出産制限を行う時代へ、伝統と現代が入り混じり、移り変わっていくことへの葛藤が、みごとに描かれている。風船の使い方も巧みだ。他の収録作品は、「風船」よりも伝統要素が多めで、良質なチベット文化入門になっている。映画監督が書いた小説なだけあり、風景描写もよい。映画とともに楽しみたい短編集。

(本の雑誌 2021年4月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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