絶好調寺地はるなの『正しい愛と理想の息子』に◎!

文=北上次郎

 おやおや、寺地はるながこういう小説を書くのか。最初はそう思ってしまった。というのは、『正しい愛と理想の息子』(光文社)の帯には、次のような惹句がついていたからだ。

「32歳と30歳。崖っぷち男二人。」
「騙すのは、年寄りだ。さびしさは、利用できる。」
「歪んだ愛を抱え、じたばたする悪党コンビ。注目作家が紡ぐ、泣けるバディ小説!!」

 作者名を伏せて、この惹句だけを読んだとき、これがはたして寺地はるなの新作だとわかるだろうか。えーっ、こういうのを書くのかよお、イヤだなあ失敗作だったら。いつもの家族小説でいいのになあ──と瞬間思ってしまったことを反省する。作者に大変失礼なことであったと陳謝する。ただいま絶好調の寺地はるなが失敗作など書くわけがないのだ。

 ハセと沖のコンビが贋の宝石を売りつける場面から本書の幕が開く。ふーんと思って読みすすむにつれて、人物が一人づつくっきりと立ち上がってくる。

 たとえば、トクコだ。一人で薬局を切り盛りしている未亡人だが、ハセが八歳のときから薬局の前を通りかかるたびに、これを持ってけ、これを食べろとうるさく言ってくる。

「やだやだちょっとそこ肘すりむいてんじゃないの。なにしたのあんた、やだやだちょっとこっちにおいで」とやかましく、心の底から「うるせえババアだ」と思っているのに、腹がすくと薬局の前をうろついていたりする。この「ありがたくてうっとうしい」トクコの造形が鮮やかだ。

 詐欺師の父親も抜群のキャラクターで、そういう個性豊かな人物が次々に立ち現れているうちに、いつもの「寺地はるなの世界」に徐々にシフトしていく。ホントにうまい。

 もっと書きたいところだが、キリがないのでここは我慢。とにかくお読みいただきたい。

 今月の二冊目は、藤岡陽子『海とジイ』(小学館)。「海神」「夕凪」「波光」という三編を収録しているが、すべて瀬戸内の小島を舞台にしている。真ん中の「夕凪」は、『海路』(光文社二〇一一年刊)を改題し、大幅に改稿、とあるが、その『海路』、読んだはずなのによく覚えていない。だから今回の「夕凪」で、どこまでを直しているのか判断できない。本来ならば比較して語らなければいけないのだが、その時間がないので今回は許されたい。その「夕凪」の中に、歳を取るのは辛いことですかと尋ねられた月島先生が、体の機能に関しては辛いことが多いですと言ったあと、「でも心に関して言えば二つほどいいところもあります」と付け加えるくだりがある。そしてこう言い添える。

「ひとつは、これから先どのように生きようかという悩みが少なくなるということ」

 なるほどなあと思う箇所だが、もう一つについては本書を当たられたい。海と老人、を描く連作だが、石の博物館を作った祖父を描く「波光」もいい。友情の風景の奥に隠した濃い物語もいいし、ラストも素敵だ。

 朱野帰子『会社を綴る人』(双葉社)は、なにをやってもうまくいかないダメ青年が、唯一の取り柄である「文章力」でなんとかやっていこうという話。とはいってもその文章力、中学一年生のときに、区の読書感想文コンクールで佳作に入っただけ、という程度なので、それで大丈夫なのかと心配になってくる。しかし「どんなつまんない取り柄でも一つでもあれば、会社でやっていけるもんだ」と兄は言うし、それで頑張るしかない。予防接種の案内メールを書くのに三時間も要するのは問題だが(なかなかいいメールだけど)、その真っ直ぐな真面目さを読んでいると、だんだんこの青年を応援したくなってくる。『わたし、定時で帰ります。』『対岸の家事』と、このところの朱野帰子は素晴らしいが、これも異色のお仕事小説として読まれたい。

 今月の最後は、亀和田武『雑誌に育てられた少年』(左右社)。新宿の書店で見つけてすぐに購入し、電車の中で読み、帰宅してからもずっと読み、翌日の昼にようやく読了。もっと読んでいたかった。

 コラムニスト亀和田武のヴァラエティ・ブックである。一九六六年、高校二年生のときに「宇宙気流」に書いたブラッドベリ『十月はたそがれの国』の書評から、二〇一八年、六九歳のときに「暮しの手帖」に寄せたエッセイまで、亀和田武のほとんどすべてがここにある。

 さらに内容もヴァラエティに富んでいる。SF、プロレス、ジャズ、映画、ポルノ、劇画、喫茶店、雑誌、文学、テレビ、街──もうありとあらゆるものが対象になっているのだ。

 私は好奇心の幅が極端に狭い人間なので(たとえばジャズ喫茶もプロレスも音楽もほとんど知らないので)、著者が書いていながらわからないことが少なくない。だから本当はこの書を語る資格は私にない。しかしそういう門外漢にも伝わってくる面白さが本書に溢れている。たとえば、荒井由実の「ひこうき雲」を平井和正と夜通し聞いた一九七三年のこととか、一つずつ挙げていったらきりがない。

 個人的にいちばん感じ入ったのは、「最後の恐竜と渋谷の路地について」というエッセイだ。これを読むと、ブラッドベリの「霧笛」という短編を無性に読みたくなる。素晴らしいエッセイだ。巻末の出典一覧を確認したら、このエッセイが載ったのは「本の雑誌」一九九七年一二月号。おお、そうだったのか。『1963年のルイジアナ・ママ』を読んだときにはショーケンの「大阪で生まれた女」を買いに走ったが、今回はウォン・カーウァイの六〇年代三部作を即購入。そういうふうに実際に行動に移させる力が、亀和田武のエッセイには常にある。

(本の雑誌 2019年2月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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