『マネーマッド』の熱い文体に引き込まれる!

文=北上次郎

 なんなんだろうこれは。突如として字が大きくなったりする形式も(しかもその大きさがさまざまだ)、「バブルの狂気! 実録ダークマネーノベル」と帯にあるストーリーの中身も、けっして私の好みではないのだが、読み始めたらやめられないのだ。どんどん引き込まれていく。岸正龍『マネーマッド』(発行みらいパブリッシング・発売星雲社)だ。

 書店でこの本を見かけ、ぱらぱらやっていたら「中山競馬」という文字が目に飛び込んできたので買ったのだが、そのくだりは真ん中あたり。物語の舞台は一九八〇年代の後半だ。武豊がデビューしたのが一九八七年、オグリキャップが中央競馬に移籍したのが一九八八年。日本経済がバブルに浮かれ、競馬熱が沸騰していた時代である。そして一九八九年の四月一六日、第49回皐月賞がこのくだりのメイン。ドクタースパートが勝った皐月賞(二着はウィナーズサークル)を舞台に、主人公は詐欺を仕掛けるのである。

 その中身については触れないが、ようするに違法な手段を次々に考え出して金を手に入れる男の物語なのだ。競馬はそのひとつにすぎない。競馬小説ではけっしてない。それをテンション高めの熱い文体でひたすら押しまくるのである。乱暴な、と言ってしまえばそれまでだが、そして、新鮮というわけでもないのに、なぜかこちらを引きつける魅力がある。この人の新刊を書店で見かけたらまた買ってしまいそうだ。

 三浦展『娯楽する郊外』(柏書房)を手に取ったのも、「柏」の項に「競馬場とゴルフ場で"宝塚"をつくりたかった」とあったからだ。柏競馬場は一九二八年に開設され、一九五〇年に廃止、その後はURの団地になっている。古い競馬場の話が好きなので、こういう記述がある本にはすぐに手が伸びてしまう。

 この本は柏だけでなく、船橋、八王子、立川、浦和、所沢など、郊外にあった娯楽施設について書かれた書だ。たとえば、大正三年に開園した鶴見花月園は当初、ブランコ、シーソー、木馬、動物園、噴水、花壇、菖蒲園、相撲場、大滝、野外劇場だけだったが、その後、豆汽車、電気自動車、登山電車、お化け屋敷、釣り堀、子供プール、アイススケート場、テニスコート、観覧車などを追加(この本の冒頭には、鶴見花月園の大山すべり、いまのウォータースライダーの写真が載っている)。興味深いのは、こういう施設が当時はあちこちに次々に作られたことだ。青梅の楽々園(大正一〇年)、船橋の三田浜楽園(昭和四年)、千葉の谷津遊園(昭和二年)と少なくない。そういえば数年前に『板橋マニア』という本を読んでいたら、昭和初期にいまの中板橋あたりに、料亭、茶屋、ボート池、テニスコート、小動物園、映画館、運動場、入浴施設などを備えた「兎月園」があったという記述があり、当時の写真まで掲載されていたことがある。いまでいうリゾート施設が東京の郊外にたくさんあったのである。それらの施設すべてがなくなっているのは、なんだか物悲しい。

 小説は三作。まず、松本清張賞の受賞作、坂上泉『へぼ侍』(文藝春秋)から。明治一〇年の西南戦争を描いた長編だが、ひたすらくいくい読み進む。厄介者ばかりが集まる分隊を、一七歳の若き分隊長がリードするという設定もいいし(いや、隊長なんだからリードしなくちゃいけないのだが、なかなかそうもいかないのだ)、大阪の商家で育ったその分隊長錬一郎が戦場にビジネスチャンスを発見するという構成がいい。博打好きの巨漢や、料理の達人など、個性的な脇役が揃っているのもいいが、いちばんは体を売る少女鈴。印象的な存在なので、物語の前面から退場するとなんだか淋しく、また出てこないかなあと思っていると、きっちりと再登場するのが嬉しい。将来性有望な新人と見た。

 中澤日菜子『お願いおむらいす』(小学館)もいい。このタイトルなので、オムライス専門店を作った人の苦労話、そういう「お仕事小説」かなと思っていると、そうではない。ミュージシャン志望の二四歳浜口太一は、五つ上の姉さん女房綾香の妊娠を契機に、老舗のロック系雑誌出版、およびイベント制作会社でもあるロックン・ラッシュに就職する。音楽業界に身を置くことに変わりはないのだと言い聞かせたのだが、配属されたのは音楽とは関係のない「ぐるフェス事業部」の清掃管理部。ようするに、グルメイベント会場の清掃が、彼の仕事だ。そのぐるフェスの公式ソングが「お願いおむらいす」という歌なのである。

 本書は、そのぐるフェス会場に集まるさまざまな人のドラマを描く連作集で、これだけ読ませてくれるのなら文句はないが、この作家の才能を高く評価するだけに、ラーメン屋を描く「老若麺」の強引な展開には留保をつけておきたい。

 まだ桂歌蔵『廓に噺せば』(光文社)と、峯田淳『旅打ちグルメ放浪記』(徳間書店)と印象に残ったものはあるのだが、今月のラストは、原田ひ香『ランチ酒おかわり日和』(祥伝社)。見守り屋祥子を主人公にするシリーズの第二弾である。見守り屋とは寝ずの番で客を見守る仕事で、解放されるのは朝。だから帰宅前にランチを取る。あとは眠るだけなので酒も飲む。都内各地の美味しそうなものが次々に登場するが、どうやらすべて実在の店のようだ。表参道の焼き鳥丼と、神保町のサンドイッチ、中野のからあげ丼が、私の選ぶベスト3だ。

 今回は、バツイチ、アラサーの犬森祥子(一人娘は別れた夫とその再婚相手のもとで暮らしている)に恋の予感。おお、そういう展開になるのか。なんだか落ちつかないのである。

(本の雑誌 2019年9月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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