『マンハッタン・ビーチ』の怒濤の展開にくらくら!

文=北上次郎

  • マンハッタン・ビーチ
  • 『マンハッタン・ビーチ』
    ジェニファー イーガン,Jennifer Egan,中谷 友紀子
    早川書房
    3,780円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 銀座の紙ひこうき (単行本)
  • 『銀座の紙ひこうき (単行本)』
    はらだ みずき
    中央公論新社
    1,870円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 すごいすごい、残り二〇〇ページを一気読みだ。それは潜水と海の描写なのだが、緊迫感あふれる場面が続いてまことに迫力満点。読書の醍醐味を久々に味わった。ジェニファー・イーガン『マンハッタン・ビーチ』(中谷友紀子訳/早川書房)だ。

 この長編の冒頭は、一一歳のアナが父親エディに連れられて、マンハッタン・ビーチ近くの邸宅に住むデクスターを訪ねる場面である。「父さんがミスター・スタイルズと話しているあいだ、子どもたちと仲良くやってくれ」とエディが言ったのは子ども連れのほうが怪しまれないからだ。いや、デクスター・スタイルズが家族に対面した相手でないとめったに仕事することはないとの考えだからだ。どちらにしても、普通の訪問ではない。デクスター・スタイルズがイタリア系ギャングの大物で、エディが港湾労組支部長に依頼されて金をデクスターのところに運ぶ役目であることを、まだアナが知らない幼いときの一場面である。

 ここからアナとエディとデクスターの三人の物語が始まっていく。時代は一九三四年から第二次大戦が終わるまで。女性の潜水士が珍しい時代に志願したアナの苦難がディテール豊かにたっぷりと描かれ(なにしろ潜水服の重さが九〇キロというのだから尋常ではない)、それだけでも素晴らしいが、ラスト二〇〇ページから始まる怒濤の展開にくらくら。もちろん、エディとデクスターの人生も背後にあって静かに読ませるのも特筆もの。エンタメ要素の濃い物語なのではないかと、書店の店頭で迷いに迷い、えいっとレジに持っていった自分の判断を褒めてあげたい。

 今月の二冊目は、はらだみずき『銀座の紙ひこうき』(中央公論新社)。こちらは、紙の専門商社に勤めた青年の物語だ。出版社の編集職を希望するもことごとくはねられ、それでは出版に近いものはなにかと考えて、紙の専門商社を選ぶという形態がそもそも異色だが、こちらもディテールが細かい。その仕事の中身が具体的に描かれていくことになるが、そうすると「キクヨコロクニイハン」などと専門用語が飛び交うのだ。まずこれが圧巻。

 彼が覚えなければならないのは略語だけではない。彼は仕入れ担当なので各部署からの注文にも応えなければならず、その駆け引きも必要だ。そういう成長の過程が克明に描かれていくので、どんどん引き込まれていく。紙の商社から出版社へ、という主人公の職歴は作者自身とある程度重なるので、自伝的小説でもあるのかも。

 三冊目は、乙川優三郎『地先』(徳間書店)。二〇一三年の『脊梁山脈』から現代小説に転じた作者の新作だが、今回もいい。二〇一四年『トワイライト・シャッフル』、二〇一五年『ロゴスの市』もよかったが、二〇一八年の『ある日失わずにすむもの』『二十五年後の読書』『この地上において私たちを満足させるもの』という三連発は見事であった。特に古希を迎えた作家の回想録、という体裁の『この地上において私たちを満足させるもの』は、私たちの生は無意味で無原則でとりとめのない雑事の積み重ねのように見えるけれど、どこかで繋がっているという感慨がこみ上げてくる佳作であったと思う。今回は八編を収録しているが、「海の縁」「ジョジョは二十九歳」「地先」という「御宿小説」(房総半島の御宿にこんなに文士がきていたとは知らなかった)以外には、「言葉さえ知っていたら」が強く印象に残った。

 瀧羽麻子『虹にすわる』(幻冬舎)は、「海沿いの町の小さな椅子工房で夢の続きを見ることにした"こじらせ男子"ふたりの、友情と奮闘の物語。」という帯コピーがいい。なんとその通りの小説だ。
 少し補足しておけば、故郷に帰った徳井を、大学の後輩の魚住が追いかけてくるということと、仏壇職人の徳井のじいちゃんと、いしやま食堂を切り盛りしている幼なじみの菜摘も、重要な登場人物ということだ。いや、もう一人、魚住を追いかけてくる工房のお嬢さん胡桃がいる(もっとも、付き合ってはいないと魚住は言うのだが)。そうして将来が不安な、小さな工房がスタートするのである。相変わらず安定した筆力で読ませて飽きさせない。

 今月の最後は、加納朋子『いつかの岸辺に跳ねていく』(幻冬舎)。「フラット」「レリーフ」という二つの中編で成り立つ長編だ。まず最初の「フラット」で語られるのは、森野護の物語である。幼稚園から中学校まで一緒だった幼なじみの平石徹子のことが、森野護の側から描かれていく。徹子はちょっと変わった女の子だった。交通事故に遭って入院したら、徹子がお見舞いにきて、「ごめんね、マモル」と言ったこと。受験の日に見知らぬおばあちゃんを助けて試験に遅刻し、第一志望の高校に入学できなかった徹子のこと。徹子が親しくなったメグミが超絶カワイイ子で、しょっちゅう一緒に遊んだこと。成人式の日に市の総合体育館にいったら二階から赤ん坊が落ちてきて、それを徹子と護が助けたこと。二七歳のときにメグミが亡くなり、徹子が結婚したことを聞くこと。そこまでの青春の日々が、巧みな人物造形を積み重ねて鮮やかに描かれていく。それだけで見事な青春小説といっていい。

 ところが続く「レリーフ」は、語り手が徹子になる中編だが、まったく新しい日々が立ち上がるからびっくり。えっ、何なのこれ。それがこの小説のキモであろうから、徹子から見るとどうなるのかはいっさい書けない。書くことが出来るのは、これは運命と戦う者の物語だ、ということだ。その比類ない孤独が胸を打つ。

(本の雑誌 2019年10月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

北上次郎 記事一覧 »