ダメ男小説の大本命が出たぞ!

文=北上次郎

  • 大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件―なぜ美しい羽は狙われたのか
  • 『大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件―なぜ美しい羽は狙われたのか』
    カーク・ウォレス・ジョンソン,矢野 真千子
    化学同人
    3,080円(税込)
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 ダメ男小説の大本命が出た。足立紳『それでも俺は、妻としたい』(新潮社)だ。

 ダメ男小説には、泡鳴五部作のような頑迷な暴力男から、泣き虫男(田山花袋『蒲団』)、陰気な男(近松秋江「黒髪」)、優柔不断な男(石和鷹『クルー』)など、さまざまなタイプがあるが、足立紳のダメ男小説はきわめて珍しい「脱力系」である。

 もちろん、他のダメ男小説と同じ要素はたくさんある。たとえば主人公は年収五十万円の売れないシナリオライターだが、才能がないのに努力をせず、言い訳ばかりで反省せず、という王道を行く男である。

「自分勝手で」「わがままで」「反省しない」という点でも他のダメ男たちと共通しているが、泣き虫ではないし、DV男でもない。この男の特性は、妻とセックスすることをひたすら考えている、ということで、そのための涙ぐましい努力を描くのが本書なのだ。この情けなさこそ、本書を屹立させている。

 足立紳はこれまで『乳房に蚊』(文庫化に際して『喜劇 愛妻物語』と改題。これは元の題名のほうがよかったと思う)『14の夜』『弱虫日記』と三作上梓しているが、最後の一作以外はダメ男小説である。『乳房に蚊』は中年の売れないシナリライターが、妻と子を連れて香川まで取材旅行に行く話であり、『14の夜』は中学生たちのばかばかしい一夏を描く話で、どちらも読ませたから、早く次作が出ないかと待っていたのである。本業が別にある方は(足立紳は映画監督だ)、なかなか小説を書いてくれない傾向にあるのが残念で、もう少し小説も書いていただきたい。ダメ男小説を愛する同好の士には、絶対のおすすめだ。

 今月の二冊目は、カーク・ウォレス・ジョンソン『大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件』(矢野真千子訳/化学同人)。これは、超面白いノンフィクションの傑作だ。

 二〇〇九年に実際に起きた盗難事件を描いた書だが、英国推理作家協会のゴールド・ダガー賞や、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞にノミネートされたように、奇妙な事件であった。盗難があったことに、博物館側がしばらく気がつかなかったのである。これが興味深い。

 というのは、盗難の被害にあった大英自然史博物館のトリング分館には、ダーウィンがビーグル号航海中に採集したガラパゴスのフィンチ、ドードーやオオウミガラスなど絶滅した鳥の皮と骨格、そして世界でもっとも貴重な豪華本『アメリカの鳥』の初版本(オークションで一一五〇万ドルの値がつく)などが収蔵されていたのに、それらは一つも盗まれなかったからだ。それ以外のコレクションの在庫調査をしなかったのは、七五万点の標本在庫を調べるのが困難であったからである。

 このノンフィクションが面白いのは、アルフレッド・ラッセル・ウォレスの半生から稿を起こすことだ。アマゾン各地で集めた標本はイギリスに持ち帰る前に船火事で燃え、今度はマレー半島で八年間も採集探検をするのだ。この気の遠くなるような探検の結果が、トリング分館にあるということが、まず読者に提示されるのである。この構成が素晴らしい。

 さらに、ヴィクトリア時代に鳥の羽飾りを使った帽子が流行ったことなど、幾つかのブームが鳥の乱獲に繋がっていったことも描かれ、そのあとでようやく、盗難事件の主役エドウィン・リストが登場してくる。彼は釣りの毛針に鳥の羽を使うために、ウォレスが集めてきた標本を盗み出すのだが、そこに行き着くまでに、このように多面的に描かれるので、歴史の奥行きを感じさせる。この構成が最大のキモ。

 今月の三冊目は、荻原浩『楽園の真下』(文藝春秋一七五〇円)。これは紹介が難しい。○○小説と外枠を紹介した途端に、面白さの半分が飛んでいくような気がする。物語がどこに向かうのか、知らずに読んだほうが小説は絶対に面白い。

 主人公はフリーライターの藤間。「びっくりな動物大図鑑」の原稿を書くために、南の島に行くのがこの物語の発端だ。巨大なカマキリが発見されたという報道をみた編集者が、これ面白そうだよねと言いだして、藤間がその島に向かっていくのだが、そこにはなぜか自殺者が多いという湖があって、それを個人的に調べたいとの思いもあったりする。というのは、藤間の妻が自殺したからだ。なぜ妻は自殺したのか、それを知りたい気持ちが彼にはある。

 という前提から始まる物語なので、妻に自殺された中年男の再生物語かな、と予測する人がいても不思議ではない。

 もう一つは、生物の生存戦略が専門家によって語られること。たとえば蝸牛に寄生する吸虫は、蝸牛の脳を操って形をイモムシに似た形態に擬態させ、さらに本来の蝸牛は日光を嫌うのに、あえて日光を好むように支配して日なたに行かせ、鳥に食べさせる。で、鳥の消化器官の中で成虫に育って卵を産み、鳥の糞と一緒に地上に落ちると、今度は蝸牛に食べさせる。それが子孫を残すための吸虫の生存戦略だと専門家は言うのだ。

 で、この先にどういう展開が待っているか──それがいちばん肝心要のことなのだが、それは書けない。怒濤の展開が待っていると書くにとどめておく。

 もうほとんどスペースがないので、魚住直子『みかん、好き?』(講談社)と、澤田瞳子『名残の花』(新潮社)に、触れる余裕がない。前者は、瀬戸内海の島を舞台にした青春小説で、後者は明治五年の鳥居耀蔵を描く長編。鳥居耀蔵については、松本清張『天保図録』を始めとして多くの作家が描いてきたが、七七歳の耀蔵に、若き能楽師を絡めるのがこの長編の特徴だ。

(本の雑誌 2019年12月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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