85年前の台湾が鮮やかに蘇る『台湾博覧会1935』が面白い!

文=北上次郎

  • 台湾博覧会1935 スタンプコレクション
  • 『台湾博覧会1935 スタンプコレクション』
    陳柔縉,中村加代子
    東京堂出版
    3,960円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 2020年の恋人たち (単行本)
  • 『2020年の恋人たち (単行本)』
    島本 理生
    中央公論新社
    1,760円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 一橋桐子(76)の犯罪日記 (文芸書)
  • 『一橋桐子(76)の犯罪日記 (文芸書)』
    原田ひ香
    徳間書店
    1,815円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 いやあ、面白い。陳柔縉『台湾博覧会1935 スタンプコレクション』(中村加代子訳/東京堂出版)だ。読み始めたらやめられず、一気読みしてしまった。

 意外なのはまず、楊雲源という台湾人の生涯が描かれるのである。二〇世紀初頭の台北には数多くの西洋人がいて、商売、教育、医療、宗教、政治などの領域に携わっていたが、父親から家具作りの大工仕事を教わっていた楊雲源は、次第にその西洋人社会に近づいていく。そこで親しくなったのは、張鴻図という男で、この男がどういう人物であったかというと─と、どんどん話はずれていく。張鴻図の長男が結婚したときの集合写真とか、台北の上流階層に属するクリスチャンで作った家庭会が催したクリスマス会の写真など(楊雲源と張鴻図が友人たちと出掛けたピクニックの写真が、当時の上流階層の雰囲気をよく伝えている)、当時の写真が次から次に挿入されていくので、大変に興味深い。このまま昔の話がずっと続いていてもいいぞ、と思っているときにようやくその楊雲源が集めたスタンプコレクションの紹介が始まっていく。

 一九三〇年ごろの台湾のスタンプブームは一九三五年の台湾博覧会でピークを迎えたというのだが、そのスタンプを紹介するだけではないのだ。その商店がどこにあって、どういう商売をしていたのか、著者は克明に調べていくから圧巻だ。当時の街の写真がたくさん挿入されるのも本書の特徴で(Y字路のど真ん中に位置していた、日本人が経営の東京堂時計店の写真がいい。この三階建ての建物は現存すると著者は書いている)、だから当時の台北が立体的に浮かび上がる。スタンプコレクションという衣装をつけてはいるけれど、いろいろな読み方が出来る本だ。

 島本理生『2020年の恋人たち』(中央公論新社)は、直木賞受賞作の『ファーストラヴ』から二年半ぶりの長編だという。私はその『ファーストラヴ』も未読なので、この新作を語る資格はなく(もともと私はこの作家のいい読者ではない)、しかも直木賞作家の作品を今さら私がやることもあるまい、という気がするのでスルーするつもりだったが、読み始めたらやめられず、とうとう一気読み。うまいなあ。

 三二歳のヒロインが、母の死後にワインバーを開くことになり、その慌ただしい日々を描く長編だが、すごく好感のもてる人物の、そのなにげない動作の奥にある、ちょっとした野蛮さ、誰にでもありうる軽薄さ、あるいは信頼できない素顔、そういったものを感じ取る瞬間を、鋭く鮮やかに描きだすのである。もう絶品だ。

 今月いちばん面白かったのは、アガサ・クリスティー賞の受賞作、そえだ信『地べたを旅立つ』(早川書房)なのだが、当欄の対象外なのでここでは我慢。前代未聞の、掃除機になった男(!)のロードノベルだ。楽しい小説を読みたい方はぜひ読まれたい。

 原田ひ香『一橋桐子(76)の犯罪日記』(徳間書店)も、楽しい。このタイトルで、章見出しも「万引」「偽札」「闇金」「詐欺」「誘拐」「殺人」と続くから、『DRY』(これは傑作だった)のようなクライムノベルかな、と思うところだが、全然違うのである。七六歳の一橋桐子は、一人暮らしの将来を案じて、刑務所に入ろうと思うのだ。住むところがあって食べるものがあって医者もいるなら、身寄りのない桐子にとって、こんなにいいところはない。そのために人に迷惑をかけず、長く刑務所に入るにはどうしたらいいかを考える。これはそういう小説だが、はたして桐子は無事に(?)刑務所に入ることが出来るかどうかは読んでのお楽しみ。

 今月のラストは、清水杜氏彦『少女モモのながい逃亡』(双葉社)。重苦しい話だ。希望の見えない話だ。食べるものが何もないのだ。馬の餌を食べ、虫を食べ、草は根を含めてすべてを食べ尽くす。そんな暮らしの中で、たった一人の肉親である弟が死んだとき、少女は村をでることを決意する。清水杜氏彦は『うそつき、うそつき』でアガサ・クリスティー賞を受賞してデビューした作家だが(同年に、小説推理新人賞も受賞)、トリッキーな受賞作から一転、一九三〇年代のロシアを舞台にしたロードノベルである。途中の町で清掃の仕事についたとき(これには理由があるのだが、ここでは触れないことにする)、少女が次のように述懐するくだりがある。

「モモは庁舎前の広場を熱心に清掃しているように見せながら、実際には煉瓦の表面を水で撫でるだけで済ませた。それでなんの不都合もなかった。実際のところ、だれも彼女の仕事になど注意を払わないからだ。ごみと死体が埋め尽くし、掃いたそばから汚れていくまち。清掃など真面目にやるだけむだにちがいなかった」

「バケツの中の汚い水にモップの先を浸けながら、彼女は自分の人生も掃除と同じだと考えた。いずれ死ぬのに逃げる必要がどこにあるだろう。なにしろ自分が死ぬことはまちが汚れるのと同じくらい確実だ」

 ここに、収容所に捕らわれたときの工場の隅で、椅子を蹴り上げる少女の怒りを並べれば、その小さな体に、悲鳴に似た感情が渦巻いていることがわかる。しかし作者が主に描くのは、少女の行動と周囲の状況だけ。椅子を蹴り上げるのは希有な光景だ。だから余計に、少女の絶望と怒りがここから立ち上がってくる。

 重い読後感が残る長編だが、問題はこの作家がどこへ向かっているのか、ということだ。『うそつき、うそつき』とあまりに違う作風なので、それが気になる。勝負は次の作品だ。

(本の雑誌 2021年2月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

北上次郎 記事一覧 »