ベテラン作家と元大統領のあっと驚くテクノスリラー

文=小財満

  • 大統領失踪 上巻
  • 『大統領失踪 上巻』
    ビル クリントン,ジェイムズ パタースン,越前 敏弥,久野 郁子
    早川書房
    1,700円(税込)
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  • 大統領失踪 下巻
  • 『大統領失踪 下巻』
    ビル クリントン,ジェイムズ パタースン,越前 敏弥,久野 郁子
    早川書房
    1,700円(税込)
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  • もつれ (小学館文庫)
  • 『もつれ (小学館文庫)』
    Miloszewski,Zygmunt,ミウォシェフスキ,ジグムント,俊樹, 田口
    小学館
    1,067円(税込)
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  • 消えた子供 トールオークスの秘密 (集英社文庫)
  • 『消えた子供 トールオークスの秘密 (集英社文庫)』
    クリス・ウィタカー,峯村 利哉
    集英社
    1,210円(税込)
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  • ホール (韓国女性文学シリーズ5)
  • 『ホール (韓国女性文学シリーズ5)』
    ピョン・ヘヨン,カン・バンファ
    書肆侃侃房
    1,793円(税込)
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『大統領失踪』!! 説明!! アメリカ合衆国大統領が、失踪しますよ!!(そのまんま)

 というわけで今回のトップバッターはビル・クリントン/ジェイムズ・パタースン『大統領失踪』(越前敏弥・久野郁子訳/早川書房上下)。かの第四十二代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが、大ベテラン作家ジェイムズ・パタースン──『多重人格殺人者』で始まる刑事アレックス・クロスのシリーズなどで有名──と組んで小説を世に送り出し、なおかつこれがまたトム・クランシーを思わせるテクノスリラーとして面白いから世の中何が起こるかわからない。クリントン元大統領といえばマイクル・コナリーを愛読するなどミステリ読者として知られてはいたが。

 国際的テロ組織の指導者と極秘裏に交渉していた疑惑で弾劾を受ける寸前の合衆国大統領ダンカン。その疑惑の裏には大規模なサイバーテロ計画があった。何者かから、計画を止めたくばダンカン一人で会ってほしいとコンタクトを受けた彼は、その行動を周囲に悟られずに単身行動をするため、表向きは"失踪"することに。

 もちろん本作はホワイトハウス内部と議会の力学を十二分に知り尽くした元大統領の「お仕事小説」でもあるのだが、それ以上にサイバーテロをテーマにしたスリラーであり、理想の合衆国大統領を主人公に(現実のビル・クリントンは数々の政治的・性的スキャンダルを引き起こしていたのが皮肉だが)アメリカ合衆国の政治が何に苦悩し、何を目指しているかを描いたエンタテインメントだ。サイバー攻撃によるロシアの大統領選挙介入など現代を象徴する事件の背景も多く描かれ今年の話題作の筆頭であることは間違いない。

 昨年邦訳されたポーランド・ミステリ『怒り』は、本当に苛烈な作品だった。怒れる検察官を主人公に、司法と正義が個人的な動機によって揺らぐ様を鮮烈に描く作品でありながら、陰鬱さよりもカタルシスを読後感として残す、高いレベルでバランスのとれた作品であった。そしてこの『怒り』は作者の初邦訳作品にして、検察官シャツキを主人公にした三部作の、実は第三作──すなわち完結作品。順番は前後したがこの度晴れてシリーズ一作目となるジグムント・ミウォシェフスキ『もつれ』(田口俊樹訳/小学館文庫)が邦訳された。

 舞台は『怒り』から遡ること九年前のワルシャワ。精神科医のグループ・セラピーに参加するため、教会に泊まっていた男が右眼を焼き串で突かれた死体で発見される。検察官として捜査を行うシャツキには、セラピーに参加していた四名が犯人だとは思えなかった。行き詰まるかに見えた捜査は、死んだ男が遺したICレコーダーが発見されたことで意外な展開をみせる。

 サイコ・スリラー仕立てだった『怒り』と異なり、ヘニング・マンケルの影響が垣間見える捜査小説だ。司法をつかさどる高潔で公平なシャツキという主人公だが、彼の人間臭さが本シリーズの魅力のひとつ。今回は妻と娘に恵まれながらも夫婦関係に悩み、罪悪感にさいなまれつつ若い女性記者と恋仲になろうと奮闘してみたり。事件の捜査を通して、シャツキがポーランドの歴史的暗部の虎の尾を踏み、彼の人間臭さ──プライベートで弱い部分を突かれるために正義のあり方が揺らいでいく。この正義の在り方こそ『怒り』にも通底するテーマだ。シャツキがワルシャワを去ることになる二作目においてどのような形での正義の転機があるのか、邦訳を待ちたい。

 二〇一七年英国推理作家協会賞(CWA賞)新人賞受賞作品クリス・ウィタカー『消えた子供 トールオークスの秘密』(峯村利哉訳/集英社文庫)は平和だったはずの小さな町トールオークスを舞台に、三歳の子供の失踪事件が町に住む人々の生活を一変させていく様を描いたミステリだ。

 当然、誰が子供を誘拐したのかという捜査の過程はもちろんなのだが、それよりも主眼として描かれるのは、もはや事件の前には戻ることのできない町の人々の日常だ。失踪した子供の母親ジェス、町の警察署署長ジム、ジェスの家の近所に住むひょうきんな高校生マニー、マニーの母親エレナとその交際相手ジャレッド、失踪した子供のポスターを作った写真館の店員ジェリー。事件をきっかけに表面へと浮き上がってくる、住人たちそれぞれの心の奥に閉ざされていた何か。暗いだけではない、美しいエピソードの数々に作者がさりげなく忍ばせた大胆な伏線。物語が進むにしたがい人々の暗部が昇華され、それぞれ希望を抱くようになる過程は本作がミステリという形式をとった意義を大いに感じる。

 韓国発のピョン・ヘヨン『ホール』(書肆侃侃房)は二〇一七年シャーリイ・ジャクスン賞受賞作品。この賞はダークファンタジーを中心とした賞だが、本作は心理サスペンスとホラーの中間のような作品だ。

 妻と旅行中に自動車事故を起こし、自分だけ生き残ってしまった大学教員のオギ。事故で顔も変わってしまい、ほとんど全身が麻痺した状態で、自宅療養することになったオギは妻の母親の介護を受けることに。段々と変質していく義母の態度。妻が固執していた庭に、義母もまた奇妙な執着を見せていく。事故に至るまでの悔恨に満ちた妻との生活がオギの口から語られるとき、何かが起きる。

 絶望と諦念に満ちた主人公の語りがそら恐ろしい。妻との間で起こったオギの秘密が語られるにつれ、義母の不気味な行動の背後にひそむ怨念に、読者は徐々に気付かされることになる。欺瞞と罪への鈍感さの末に、人はいかにして「穴」へと落ちていくのか──ミステリ、ホラーの読者に広くお薦めしたい一作だ。

(本の雑誌 2019年2月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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