紫金陳『知能犯之罠』の壮大な完全犯罪を見よ!

文=小財満

  • 知能犯之罠 (官僚謀殺シリーズ)
  • 『知能犯之罠 (官僚謀殺シリーズ)』
    紫金陳,阿井幸作
    行舟文化
    2,035円(税込)
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  • 生物学探偵セオ・クレイ: 森の捕食者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『生物学探偵セオ・クレイ: 森の捕食者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    Mayne,Andrew,メイン,アンドリュー,みゆき, 唐木田
    早川書房
    1,034円(税込)
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  • パリ警視庁迷宮捜査班 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
  • 『パリ警視庁迷宮捜査班 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』
    ソフィー・エナフ,山本知子,川口明百美
    早川書房
    1,980円(税込)
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  • 金時計 (名探偵オーウェン・バーンズ)
  • 『金時計 (名探偵オーウェン・バーンズ)』
    ポール アルテ,ポール アルテ,平岡敦
    行舟文化
    1,760円(税込)
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 ここ数年、陳浩基や陸秋槎など中国圏のミステリが紹介されるようになり、今年はその流れが定着しはじめたように思う。そんな中、本国では「東野圭吾に匹敵」と評される中国人ミステリ小説作家、紫金陳の〈官僚謀殺〉シリーズ第一弾『知能犯之罠』(阿井幸作訳/行舟文化)が刊行されたのでご紹介したい。

 数理論理学の天才であり、犯罪心理学を修めたアメリカ帰りの男、徐策。彼は今、街路の防犯カメラを欺き、逮捕を免れるはずの「完璧な殺人」のために二週間以上を調査に費やしていた。そして徐策は道端で通りかかった目的の車を止めることに成功する。運転者は白象県公安局副局長、李愛国。徐策は計画通りに李の運転する車に乗り込むのだった。後日、李愛国は死体となって発見され、その傍らには「十五人の局長を殺し、足りなければ課長も殺す」という予告状が残されていた。その捜査を指揮する市公安局所長の高棟は、事件現場で大学の同級生、徐策と再会する。事件に行き詰まった高棟は、犯罪心理学者でもある徐策に助けを求めるのだが。

 犯人は予め明示されている倒叙ミステリのスタイルで、その殺人の動機も早い段階で提示されるため、どうやって中国の防犯カメラネットワーク「天網」を欺いたのか、というハウダニットへの興味が物語を牽引することになる。トリック自体は種を明かされれば目新しいものではないが、徐策の壮大な完全犯罪の仕掛けは中国という国家を舞台にしているからこそ実現しうるもので非常に興味深い。本作は二〇一二年にネット上の掲示板に連載された作品だが、中国政府の検閲で削除されていないというのが不思議なほど挑発的な作品だ。中国政府の推進する天網(監視カメラ網と顔認証を含むAIによる監視システム)をいかにして無力化するかという物語であり、かつ公安官僚は悪役として描かれ、彼らの利権に目ざとく保身的な思考回路が訥々と描かれている。徐策の殺人の動機、そして事件の結末さえも現代の中国の秩序を脅かす挑戦的に思えるものだ。作者が認めるように東野圭吾『容疑者xの献身』の影響は犯人と探偵役の関係性などに認められるが、その調理のされ方、結末を通して見える景色は中国式とでも言うべき恐るべき物語に仕上がっている。

  熊の表紙が目印のアンドリュー・メイン『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』(唐木田みゆき訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は生物情報工学という聞き慣れない学問を修める大学教授を探偵役にした異色作シリーズの第一作。

 モンタナの山林で調査を行っていた生物情報工学の教授セオ・クレイは宿泊中のモーテルで警察に拘束される。かつての教え子が近くの森で損傷の激しい死体となって発見され、その殺人の容疑者として疑われたのだ。検死の結果、遺体に熊の毛が付着していたことから熊の仕業だと目されクレイの容疑は晴れた。だがクレイの独自の調査により犯人と目されていた熊は、事件当時には既に死んでいたはずであることが判明する。

 警察が熊の仕業に見せかけた殺人事件だという意見に耳を貸さないため、クレイは生物情報工学を応用し類似事件の犠牲者の遺体を次々と発見していく。この過程は荒唐無稽ながらスリリング。そしてただ一人、己の論理の正しさを信じ暗中模索するクレイは結末が近づくにつれて怒濤のアクションシーンへと身を投じることに。頭脳派のはずの主人公に過激なアクションを演じさせる作者のセンスは読者を選ぶかもしれないが、エンタテインメント小説としては抜群だ。作者は世界的に高名なプロのマジシャンでもあり、本作の次々と謎が提示される読者サービス過剰な感覚は職業柄かもしれない。

 フランスでは十五万部突破というはぐれ者の刑事たちを集めた捜査班の面々を描くシリーズの第一作、ソフィー・エナフ『パリ警視庁迷宮捜査班』(山口知子・川口明百美訳/ハヤカワ・ミステリ)はユーモラスな語り口が魅力の群像劇だ。

 正当防衛とは判断されたものの明らかに過剰な発砲を行った警視正アンヌ・カペスタンが停職あけに指揮官として配属されたのは、特別捜査班。名目は未解決事件の捜査だが、実態は警察内部の厄介者の吹きだまりだ。相棒に死傷者が相次ぎ孤立した通称"死神"をはじめアルコール依存症、スピード狂、あげくに人気推理小説作家(自分の作品に気に入らない実在の同僚を登場させ笑い者にするため嫌われる)とその飼い犬まで。彼らは未解決事件の資料の山から、二つの殺人事件を選び捜査を始めるが。

 上司たちには「どんな成果も期待されてはいない」と完璧な左遷先であることが明言されているも、上司たちの意図に反して半端者たちを率いて未解決事件の捜査を行い一矢報いる痛快さは格別。本国ではシリーズ第三作まで発表されているとのことで続篇の邦訳も期待したい。

 同じくフランスの作家だが、ポール・アルテの名探偵オーウェン・バーンズシリーズ第五作『金時計』(平岡敦訳/行舟文化)は雪上の足跡をトリックにした密室の謎解きミステリ。一九一一年と一九九一年という八十年を隔てた時代を交互に描き、それぞれの時代における謎解きを通じ、輪廻転生のモチーフを表現している。一九一一年は実業家である女性が雪の密室で殺害された謎。一九九一年は劇作家の男が固執する子供のころに見たホラー映画と、その映画の放映と同時期に起きた、ある人物の死の謎。この二つの事件が驚くべき形でリンクしていくわけだが、その伏線の張り方といい、貝殻という小道具の用い方といい、まさに職人芸と言いたくなる一作だ。

(本の雑誌 2019年8月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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