悪夢の連鎖サスペンス『ザ・チェーン』を必読だ!

文=小財満

  • ザ・チェーン 連鎖誘拐 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『ザ・チェーン 連鎖誘拐 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    エイドリアン マッキンティ,鈴木 恵
    早川書房
    858円(税込)
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  • ザ・チェーン 連鎖誘拐 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『ザ・チェーン 連鎖誘拐 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    エイドリアン マッキンティ,鈴木 恵
    早川書房
    858円(税込)
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  • チェリー
  • 『チェリー』
    Walker,Nico,ウォーカー,ニコ,敏行, 黒原
    文藝春秋
    2,145円(税込)
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  • 汚れた雪 (創元推理文庫)
  • 『汚れた雪 (創元推理文庫)』
    アントニオ・マンジーニ,天野 泰明
    東京創元社
    1,210円(税込)
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  • ただの眠りを (私立探偵フィリップ・マーロウ)
  • 『ただの眠りを (私立探偵フィリップ・マーロウ)』
    ローレンス オズボーン,田口 俊樹
    早川書房
    1,870円(税込)
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 エイドリアン・マッキンティという作家の評価を変えねばならないだろう。こう言いかえてもいい──エイドリアン・マッキンティ、こんな作品も書けたんか!! この作家は紛争下の北アイルランドを舞台にした警察小説/ノワールの刑事〈ショーン・ダフィ〉シリーズで三作の邦訳がある、イアン・ランキンなど警察小説の書き手の影響下にある作家──だと思っていた。思っていたのだが、しかし本作、アメリカに舞台を変えた単発作品『ザ・チェーン 連鎖誘拐』(鈴木恵訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)はあえて「アメリカ型の」と言ったほうがわかりやすいだろうか、サイモン・カーニック『ノンストップ!』やハーラン・コーベン『ノー・セカンドチャンス』に比肩しうるジェットコースター・スリラーなのだ。目を背けたくなる描写も多く個人的にはあまり好きにはなれない作品だが、その点を考慮しても今月の必読書は本作だろう。

 物語は十三歳の少女カイリーが二人の男女に誘拐されるところから始まる。彼女の母親でシングルマザーのレイチェルが受けた電話は身代金の要求とともに、自分がされたように他人の子どもを誘拐しろというものだった。そしてレイチェルが誘拐した子どもの親が身代金を払えば、カイリーは解放される。カイリーを拐ったのもレイチェル同様に子どもを誘拐された親であり、この悪夢のような仕組み〈チェーン〉は連綿と続いていくというのだ。果たしてレイチェルは再び我が子を自分の腕の中に抱くことができるのか。

 誘拐した相手に金銭以外の要求をする、というのは突飛なアイデアではないだろう。だがその連鎖誘拐という仕組み自体を維持することを要求として持ってきた点が斬新だ。このアイデアの元になったのは現実のメキシコの麻薬組織の手口という点も恐ろしいが......。親としての子への愛情を使って、同様の被害者を増やせ、犯罪者になれと命令する黒幕の卑劣さ、エゲツなさ。素人の人間が犯罪に手を染めることになるため物語はハプニングに次ぐハプニング。カイリーの安否の行方もさることながら、レイチェルの補佐役として活躍する元軍人のピートも麻薬中毒で不安定とサスペンス要素には事欠かない。杉江松恋氏の解説によれば、小説家稼業は儲からないと一度は筆を折ったという作者だが、いやいや、こんなサスペンスフルな犯罪小説を書ける作家を眠らせておくのは本当にもったいない。

 ニコ・ウォーカー『チェリー』(黒原敏行訳/文藝春秋)は二十代前半の青年期に大学を辞め、イラク戦争に従軍し、復員後にPTSDに苦しみながら麻薬に溺れていき銀行強盗をして逮捕されるという作者の半生を描いた自伝的小説である。どうしようもなく堕ちていくしかない青年の過酷すぎる現実を一人称のユーモラスな筆致で描いた純文学作品であり、ミステリの枠で語る必要はない作品だが、堕ちていく過程を描いている点ではノワール的な楽しみもあり、犯罪小説のファンも絶対に読んでおいたほうがいい一作だ。「俺は、俺のなかの何かに、普通じゃない部分に、どこかへ引っぱられていくような気がする」と語る男の半生はかつてエルロイが「ぐるぐる回って落ちていく」と表現した通り。そこまで悪いやつじゃない、単にアホなだけ──たぶんこんな人間はそこら中にいるはず、なのに銀行強盗にまで堕ちてしまう。こんな小説に惹かれてしまうのは、我々の住む世界と堕ちてしまったその先との境目がいかに薄皮一枚でしかないかを明らかにしてくれるからだろう。

 イタリア本国では累計百三十万部を突破しているというベストセラーの警察小説、〈ロッコ・スキャヴォーネ〉シリーズの第一作、アントニオ・マンジーニ『汚れた雪』(天野泰明訳/創元推理文庫)が邦訳となった。ある事件による懲罰人事でローマからアルプス山麓の町に飛ばされた副警察長ロッコがスキー場で重機に轢かれバラバラになった死体の謎を追う、という筋。ミステリとしてことさらトリックが優れている、というタイプの作品ではないがロッコと彼をとりまくキャラクターたちの魅力でページをめくってしまう。一匹狼で性格も悪く口も悪い。飲酒とマリファナを愛し、容疑者に高圧的な態度をとることも厭わず、金のためには犯罪に手をつけることもあるというロッコだが、刑事としての腕はピカイチのうえ、倫理観は一本筋が通っておりどこか憎めない男なのだ。第一作である本作では語られていないロッコの過去もあるようで、長く楽しめそうなシリーズである。

 チャンドラーの創造した私立探偵フィリップ・マーロウの七十二歳という老いた姿を描いた作品ローレンス・オズボーン『ただの眠りを』(田口俊樹訳/ハヤカワ・ミステリ)は、『長いお別れ』のプロットを本家取りしたような作品で、チャンドラー作品への作者の愛情が垣間見えて嬉しい。

 引退して十年が経ち、メキシコで隠居しているマーロウに保険会社から依頼が舞い込む。メキシコの田舎町で事故死した不動産業者ドナルド・ジンの死の真相を探ってほしいというのだ。マーロウは彼の足取りを追い、カリフォルニアとメキシコを行き来することに。そしてマーロウはドナルドの若き妻ドロレスと出会う。ハードボイルドの代名詞であるマーロウを主人公としているだけあり、老いてなお「卑しい街をゆく白馬の騎士」の様はもちろん健在。若かりし日の彼よりもかなり饒舌な気はするが、オリジナルに忠実な人物造形という点については安心してもらっていい。老いという誰にでも起こるが理不尽な現象にも「困惑しながらも決して打ち負かされることのない」姿を見せるマーロウに読者は勇気づけられるはずだ。

(本の雑誌 2020年5月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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