らしさ"からときはなたれる『リトルガールズ』が美しい!

文=大塚真祐子

  • としごのおやこ (現代歌人シリーズ23)
  • 『としごのおやこ (現代歌人シリーズ23)』
    今橋 愛
    書肆侃侃房
    2,310円(税込)
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 少し前のことになるが『すばる』五月号の「ぼくとフェミニズム」特集を興味深く読んだ。経歴も年齢も多様な31人の男性が「フェミニズム」について語る/表現する、という特集で、ここ最近の文芸誌の特集では群を抜いて先鋭的だった。各々の論旨に賛否両論はあるだろうが、この特集が企画され、31人の男性がこれに答えたことには意味があると思う。男性たちがそれぞれの立場と見解で語る「フェミニズム」に、自分の思考を手さぐりしながら読んだ。

 第三十四回太宰治賞を受賞した錦見映理子『リトルガールズ』(筑摩書房)は、都心の中学校で家庭科を教える大崎雅子と、その教え子である沢口桃香を中心に、行き交う人々がそれぞれに規定された境界を少しずつ越えていく物語だ。

 独り身のまま教師としてこつこつ働いてきた雅子は、ペールピンクの壁に囲まれた1LDKに暮らし、〈カエルみたいにへの字に結ばれた大きな口に、離れ気味の目。背が低いわりに大きすぎる顔と、小太りの丸太みたいな体〉で天蓋付きのベッドに横たわる。五十五歳の誕生日を境に、これからは自分の好きな服だけを着ると決めて、全身をピンクに包み学校に現れる。そんな雅子の前に現れた新任の若い美術教師が「絵のモデルになってほしい」と雅子を熱烈に口説きはじめたことで、雅子のペースは乱されていく。

 世の中が見た目の美醜に左右されるのは男女とも同様だが、美術教師の猿渡はからかわれていると憤慨する雅子に、

〈「きれいですよあなたは。きれいです。僕は真の美を見ているから」〉

 と恥ずかしげもなく言い募り、雅子をあきれさせる。目の前で「真の美」などと言われたら、なるほど戸惑うだろうが、なぜかこの台詞がいつまでもひっかかった。猿渡の言う「真の美」とは何なのだろう。

 前述した『すばる』の、「「らしさ」から離れたい」という『母の友』編集長、伊藤康氏の寄稿に次のような引用があった。

〈「母の友」二〇一七年二月号の「LGBT」特集で、弁護士の南和行さんがこんな話をしてくれました。「LGBTの話って、(略)実は、男女のあり方を強制する社会が、結局みんなを生きづらくしてる、という話でもあるんです」〉

 らしさから離れて"この現実"を自由に生きることができたらいい、という伊藤氏の一文があとに続く。決めつけられるもの、強制されるもの、その一つ一つを検証し解放するには、途方もなく長い時間と根気強い対話が必要になるだろうが、肩書も年齢も他人の目からもときはなたれて、好きなように生きると決めた雅子の言動には、たしかに潔い美しさがあった。雅子にひきよせられるように、登場人物たちは同性に恋愛感情を抱き、少年は手芸に夢中になり、母親は離婚を決意し、それぞれに変化のときを迎える。

 この作品を読んで去来した思いとは、人の数だけ生き方があるというごく自然な理解であり、知らぬ間に与えられた「らしさ」から、わたしたちはいくらでも離脱できるのだということだ。離脱しようとすること、またその状態を「フェミニズム」と呼べばいいのかもしれない。いまいるその場所から走り出そうとしている「リトルガール」が、おそらく誰のなかにも存在する。あなたの中のリトルガールに話しかけるように対話したい。ゆっくりと何度でも。
『としごのおやこ』(書肆侃侃房)は「O脚の膝」で第一回北溟短歌賞を受賞した、今橋愛の三冊目の歌集だ。00年代以降の短歌を語るとき、再三引用されるこの歌人の歌の魅力が、長いことわからなかった。

〈そこにいるときすこしさみしそうなとき/めをつむる。あまい。そこにいたとき〉

〈たくさんのおんなのひとがいるなかで/わたしをみつけてくれてありがとう〉

 短歌とは私性の文学と言われるが、この場合は作者と言葉の距離があまりに近すぎて、読み手の入る余地がない、読まれることを想定さえしていないのではないかと思える剥き出しの言葉に、ふいに裸を見せられたような居心地の悪さがあった。平仮名の多用や改行、破調についてもその効果にはむらがあり、歌から匂いたつような女性性を安易と感じた節もあった。

 今作ではおもに子育ての日常が書かれており、子どもを歌った歌が多く収録されている。

〈暮らしに。子が、ウインナーのケチャップが、ぐちゃっとからんで 遙か女性誌〉

 子どもという他者の存在によって、作者と言葉の間に隙間が生まれている。穂村弘のいう〈「うた」としての過剰な棒立ち感〉は薄まっているかもしれないが、この歌集には風通しのよさをおぼえた。そこにはたしかな悲しみと喜びがあり、猛烈なスピードで駆けぬける暮らしを受けとめる静かな器として、五七五七七の定型があった。

〈女ありけり/何かから解き放たれて/息をはきだす/40で やっと〉

『早稲田文学増刊 女性号』掲載の一連「そして」が巻末に収録され、最後にこの歌が記される。読み終えた自分もふと息をつく。夏刊行の書籍で恐縮だが、とりあげておきたかった。

 この原稿を書いているさなかに、多和田葉子『献灯使』(講談社文庫)が、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞したというニュースが入った。短篇集『穴あきエフの初恋祭り』(文藝春秋)を読んだばかりで、不可思議な題名の謎は読んでもわからないし、魚籠透や那谷紗が登場して、現実がことごとくシュールに解体されるような作品群に、この面白さを翻訳するにはいったいどうするのだろうと考えたばかりだったので、翻訳された『献灯使』に俄然興味がわいた。辞書を引き引き読めるだろうか。

(本の雑誌 2019年1月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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