平成最後の芥川賞候補作総まくりだ!

文=大塚真祐子

  • 【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド
  • 『【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド』
    上田 岳弘
    講談社
    1,620円(税込)
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  • ジャップ・ン・ロール・ヒーロー
  • 『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』
    留衣, 鴻池
    新潮社
    1,650円(税込)
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  • 【第160回 芥川賞受賞作】1R1分34秒
  • 『【第160回 芥川賞受賞作】1R1分34秒』
    町屋 良平
    新潮社
    1,296円(税込)
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 なにかにつけて「平成最後」と頭に付くのが鬱陶しいが、今回の芥川賞も平成最後の選考と、いくつかのメディアが謳っている。では平成最初の芥川賞は? と調べてみたら、なんと受賞作なし。最後を強調する必要はないが、次の時代へ橋渡しのできる作品に受賞してほしい。

 上田岳弘『ニムロッド』(講談社)は、勤務するサーバー管理会社で仮想通貨の採掘を命じられた中本哲史と、中本の恋人で外資系証券会社に勤める田久保紀子、中本の会社の先輩で、鬱病を患うニムロッド=荷室仁の三人の物語だ。

 取引を記録し続けることでその価値を証明する仮想通貨のシステムを、〈僕たちがここにこうして、ちゃんと存在することを担保するために〉書く小説のようだという作家志望の荷室と、染色体異常の子を中絶、離婚した経験をもち、〈人類の営み、みたいなもの〉にはもうのれない気がすると言う紀子を、中本のiPhone8が一時つなぐ。規定されたプログラムやコードに溢れた世界から、少しずつはぐれていく人々の姿は滑稽で悲しい。それなのに、はぐれるほど彼らの輪郭は鮮明になる。

〈ただごろりと文章があるんだ。意味なんて知らない。展望があるかどうかも知らない。僕は駄目な人間だから、そんなことは考えない。僕と同じ駄目な人間が皆そうであるように、この文章はただ、ごろりとここにあるだけなんだ。〉

 鴻池留衣『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』(新潮社)は、この物語全体がダンチュラ・デオというバンドについて編集を重ねたウィキペディアであるという形式をとる。

 八〇年代に活躍したオリジナルのダンチュラ・デオという架空のグループがまずあり、そのオリジナルをコピーするという設定で、自称オリジナルメンバーの息子である喜三郎、「僕」、女友達アルルの三人でダンチュラ・デオが結成される。

 架空のうえに更新され、書きかえられていくデータが、オリジナルとコピー、情報と実態の境目をどんどん不明にしていくポストトゥルース時代の不安の物語、と思いきや、小説はやがてCIAやKGBをまきこんだ、予想をこえたスケールに拡大する。作りこまれたフィクションに、終始呆然とさせられた。

 砂川文次『戦場のレビヤタン』(文藝春秋)は、自衛隊から民間警備会社に転職したKが、武装警備員として派遣されたイラクの紛争地帯で自らの生死の意味について問い続ける、内省的な物語。

 商品や広告を消費しながら退屈に追われていた日本と、争いが日常と化した戦地での生活をKは比較する。Kは焦燥から逃れるため戦場を夢見たが、本当に必要なのは〈自分との徹底した闘争であり、何かから逃げたり怯えたりすることではなかったのだ〉と悟る。過去でも想像でもない、いま起きている戦争の形を正面から暴く重い作品。

 高山羽根子『居た場所』(河出書房新社)は、実習留学生として異国からやってきた小翠をめぐる物語。

 小翠は「私」の家が営む醸造業を手伝い、「私」の家族を支え、「私」の配偶者となるが、ある日、自分がはじめてひとり暮らしをした土地にもう一度行きたい、と言いはじめる。「私」と共に訪れたその土地は、なぜか彼女が暮らしていた一帯だけ、地図上から消滅していた。

 土地の名や「私」の家業など、イメージを特定する固有名詞はほぼ登場しない。タッタという謎の生き物や、土地で起こる奇妙な出来事の数々に、ありきたりな解釈はことごとくはぐらかされる。なのにいつしか、異国の街の空気や手書きの地図の筆跡まで、頭のなかで精密に描いている自分に気づく。高山作品の力とは、作者の言葉を通過することでしか生まれえないヴィジョンと、その躍動にある。

 一方、古市憲寿『平成くん、さようなら』(文藝春秋)には固有名詞がこれでもかというほど登場する。UBE R、有機ELの77型ブラビア、DEN、Tik Toker...

 安楽死が合法化された架空の日本。平成元年に生まれ、平成と名づけられた「平成くん」は、時代の象徴としてメディアに頻繁に登場する。作品の語り手である恋人の愛は、どこまでも合理的な平成くんを理解するが、ある日突然平成くんから、平成が終われば自分は古い人間になるから安楽死したい、と告げられたことで、関係が変わりはじめる。愛は彼の決意を翻すために行動する。

 固有名詞が切りとる現代の景色と、平成くんのロジカルなふるまい、愛の人間的な感情のゆらめきとの対比が明確でわかりやすい。賛否や好き嫌いはあるだろうが、小説としての作りはシンプルで揺るぎない。

 町屋良平『1R1分34秒』(新潮社)は、デビュー戦を初回KOで飾ってから負けがこんでいる、冴えないプロボクサーである「ぼく」の物語だ。

 脳内で自分の弱さをこねくりまわす前半と、変わり者のトレーナー、ウメキチが現れてからの後半で文体がわずかに変化する。ボクサーの日常は大多数の人間にとって近しくないが、ボクシングの身体感覚をとおして描かれる生の実感は、そのなまなましい言葉の数々によって、たしかに感受することができる。「ぼく」の映像を趣味で撮影する「友だち」の存在がいい。男同士の微妙な距離感を書くのが、この著者はうまい。

 受賞は『ニムロッド』と『1R1分34秒』の二作。仮想通貨という現代的な題材と、人類の終わりという壮大なモチーフをゆるやかにかけあわせた『ニムロッド』の完成度が圧倒的だった。話題性のあった古市作品の評価は低かったが、作者自身を想起させる「平成くん」に対し、恋人である愛の人間臭い言動が興味深かった。古市さんはまた小説を書くかもしれない。

(本の雑誌 2019年3月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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