見えない「気付き」を描く長嶋有の短篇集

文=大塚真祐子

  • 思いつきで世界は進む (ちくま新書)
  • 『思いつきで世界は進む (ちくま新書)』
    橋本 治
    筑摩書房
    858円(税込)
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  • 私に付け足されるもの (文芸書)
  • 『私に付け足されるもの (文芸書)』
    有, 長嶋
    徳間書店
    1,650円(税込)
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  • くらもち花伝 メガネさんのひとりごと
  • 『くらもち花伝 メガネさんのひとりごと』
    くらもち ふさこ
    集英社インターナショナル
    1,540円(税込)
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 正月の浮ついた気分が日常を思い出したころ、橋本治の訃報を聞いて愕然とした。最後の時評集となった『思いつきで世界は進む──「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ちくま新書)所収の「人が死ぬこと」という章で、著者は度重なる著名人の訃報から、「時代の終わり」について記している。

〈多分、人はどこかで自分が生きている時代と一体化している。だから、昭和の終わり頃に、実に多くの著名人が死んで行ったことを思い出す。〉

 時代を先見しながら、時代という言葉の外にいる人々を見つめようとした著者が、平成の終わりの訃報に名を連ねたことにただ息をのむ。残された者は橋本治の眼差しを想像しながら、時代に飲みこまれない歩き方を模索するしかない。

 長嶋有の短編集『私に付け足されるもの』(徳間書店)は、ほとんどの物語に四十歳前後の女性が登場する。

 巻頭の「四十歳」は、ウィーンの動物園で「トラに襲われたい」と言い放った自分の発言を思索する秋美の物語だ。秋美は怪我をしたいわけでも、食われたいわけでもない。〈物理的に大きな塊のようなそれに、嘘なく、誰のせいでもなく居られ続けたいのだ〉ということを、ともに動物園を歩くアテンドの青年、ジョシュに伝えることもない。ただ走り出す。

〈「走るとあったかくなるよ!」駆け出した母だけが明るい口調だった。私はべそをかいたはずだ。甘えの言葉が通じなかったことや、親に突然、物理的に置いていかれそうになっていることの不安や驚きで泣きそうになり、とにかく後を追った。/まっすぐな道の真ん中で私は急に分かった。もう、私がそっち側だと。〉

 トラに襲われたい気持ちと、もう自分がそっち側だという理解は同時に存在する。それらの心の動きは目に見えず、あらわれるのは発言と行為だけだ。夜行列車に思いをはせる女性を書いた「ムーンライト」には、この作品集を緩やかに貫くある小さな発見が綴られる。

〈生きていくというのは、高度をあげていく感じが──最近つくづく──ある。自分は電話が苦手だったんだというような後からの「気付き」で、三咲はそう思う。〉

 人生にしばしば例えられる道や前進ではなく、上昇や俯瞰のイメージに三咲は心を添わせる。人はこのような見えない「気付き」の集積でできている。長嶋有はあらゆる物語に、あらゆるやり方でこのことを書いている。朝昼夜が繰り返し後ろに流れつづける日々のなかで、些細な気付きを付け足されながら、私たちは生きている。

 気付きを別のかたちで書いたもう一つの作品が、絲山秋子『夢も見ずに眠った。』(河出書房新社)だ。長嶋作品で書かれた女性たちとほぼ同年代の夫婦の、一九九八年から二〇二二年までを描く。

 高之と沙和子の大学時代を書いた章で、九八年の高之のこんな発言がある。

〈留年はしない、と高之は言っていた。とりあえず卒業はしないと、うち母子家庭だからさ。/また、別のときにはこう言った。/俺は君らみたいに崇高な目的持って生きてるわけじゃないから。(中略)君らすぐ将来将来言うけど、こんな時代いつまでも続かないだろ。五年前にこうなるってわかってたやつ、どれだけいたのよ。〉

 こんなふうに話す人間は当時なら山ほどいた。ロストジェネレーションなどと呼ばれる世代で、彼らとほぼ同年齢でこの時期を過ごした自分は、いまだあの時代を名づけることができない。沙和子の転勤により離れて暮らすことになった高之が、鬱の症状を示すのは二〇一四年のことだ。二人は互いが「生きるスピード」をどうしようもなく違えてしまったと感じ、離婚することを決める。
 
なぜ鬱になったのが高之なのだろうと思っていた。有能だが精神的に不安定なところもあり、母親への葛藤を時折のぞかせる沙和子の方に、よりその要素があるようにはじめは見えた。

 ゼロ年代に入り、人がひとり生きていくために必要なスピードは急激に変化した。この物語にゼロ年代を書いた章は存在しない。が、その間に高之が仕事を辞め、婿養子に入る形で二人が婚姻関係を結んだということはわかる。正規の職に就かないまま学生時代の放浪の続きのように過ごしてきた高之が、目を閉じて見ないようにしてきたある過去の自分に気付くのは、沙和子と離れてからのことだ。

 時を経て二人が再び顔を合わせたとき、沙和子もまた自分のことがわからず苦しんでいた。

〈「昔は、いろいろ考えなくてもやっていけたんだよ」/と高之が言った。/「でも、ロールモデルが絶滅しちゃったんだよなこの国は。〉

 二人が新しい目で向きあったとき、沙和子も気付く。高之と沙和子の気付きはそれぞれ別個のものだが、物語を紡ぐ作者と受けとる読者だけが、季節や生物のはるかな巡りのなかで、それが根源的につながっていることを知っている。読みながら、頁を繰る自分の背中がどんどん引き上げられて、いつしか宇宙から物語の土地を見下ろしているような感覚があった。小説を読んでこんなふうに圧倒されたのははじめてのことだった。

 最後に作品がNHKの朝ドラに登場し、新たな話題を呼んだ少女漫画家、くらもちふさこのエッセイを紹介。『くらもち花伝 メガネさんのひとりごと』(集英社インターナショナル)は、デビュー当時のエピソードから創作のテクニックまでをこれでもかというほど明かす、ベテラン漫画家等身大の一冊。自分が生まれる前の作品からも、当時の新しさをひしひしと感じる。時代も世代もこえて、くらもちふさこはつねに少女漫画の最先端にいる。

(本の雑誌 2019年4月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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