早助よう子『ジョン』の自在な文体を堪能!

文=大塚真祐子

  • 文藝 2019年秋季号
  • 『文藝 2019年秋季号』
    河出書房新社
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  • あとは切手を、一枚貼るだけ (単行本)
  • 『あとは切手を、一枚貼るだけ (単行本)』
    小川 洋子,堀江 敏幸
    中央公論新社
    1,760円(税込)
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「韓国・フェミニズム・日本」と題した特集が話題の河出書房新社の文芸誌『文藝』二〇一九年秋季号は、三刷まで部数を伸ばした。発売後まもなく書店から消えてしまったのは、『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)の邦訳が刊行されたときと同じだ。どちらも予想以上に売れ、初回の入荷数だけでは間に合わなかった。

 なぜ売れたのか。いわゆる嫌韓を掲げる人々は、SNSや書店の店頭にわかりやすく現れるが、今号の『文藝』をどういう人たちが手にしているかというのは、すぐには見えにくい。ただ、この時代の動きに違和感を感じる人が間違いなくいると、信じられたことは希望だった。

 特集でまず読んでおきたいのは、斎藤真理子と鴻巣友季子、二人の翻訳家による対談「世界文学のなかの隣人」だろう。韓国文学の成り立ちや、日本文学との比較など、作品を読んだだけではわからない二国の文学的背景が詳らかにされている。鴻巣の発言が印象に残る。

〈どんな良いイデオロギーもファシズムになりうると言いましたが、最終的にはそれを恐れているから、少なくとも現代文学者は常に多重性、多声性、多視点にこだわるのでしょう。〉

 斎藤、鴻巣と同じく翻訳家の柴田元幸が責任編集を務めた雑誌『monkey business』で、二〇一一年にデビューしたのが早助よう子だ。様々な文芸誌で発表された作品の一部が作者によって編まれ、『ジョン』(自費出版)のタイトルでこのたび刊行された。

 表題作『ジョン』は野宿当事者(ホームレス)と、支援者団体に属する「私」、ようこの物語。ジョンは亡くなった野宿者が飼っていた犬の名だ。

 野宿者と支援者団体の活動家たち、どちらも日々の暮らしに手一杯で犬をひきとる余裕などない。野宿者と活動家のどちらも失業者であることがさらりと描かれた会議の場面は象徴的だが、このあと物語は予測できない方向へ舵を切る。掌編とは思えない密度である。

 政治に対する批判的な眼差しは、どの作品からも強く感じる。土地や家などの"場"を書く小説が多く存在する一方で、早助作品はフィクションの内部で自在に動く個人を通じ"社会"を作ろうとしているように思う。現実と向き合い、現実を超えるためのもう一つの社会。

 併せて早助作品に特徴的なのは、その自在な文体だ。変化球の応酬を繰り返すドッジボールのように、考える間もなく奇妙に物語を展開させる。

〈奥の狭いキッチンには若い男が一人いて、流し台の上にかがみ込み、ノートパソコンを逆さに持って慎重に下ろしている。艶消しアルミの蓋で、柔らかいチョコレートケーキを切ろうというのだ。それは、四十になるわたしのバースデーケーキだった。(略)わたしはソファーの背に腕を這わせて伸び上がると、奥に居る男に声をかけた。「冷えるね──」〉(『おおかみ』)

 いや冷えるねじゃないだろう、と思わず脳内でつっこむ。何が起こっているのか、何がはじまるのか見当もつかない。わからないことの面白味を存分に味わいたいこの作品集は、hayasukejohn@hotmail.comで注文できるそうなのでぜひ。

 梨木香歩『椿宿の辺りに』(朝日新聞出版)もわからなさに高揚しつつ、夢中でページを繰ることになる一冊だ。

 肩の痛みに悩む佐田山幸彦、通称山彦は、同じく身体の痛みに苦しむ従姉妹の海幸比子、通称海子の勧めで、ある鍼灸院を訪ねる。そこで出会った鍼灸師の仮縫と、双子の妹亀子の導きにより、痛みの起因が祖先の地、椿宿にあるらしいことを知り、亀子とともに椿宿へ向かう。

 痛みからはじまるこの奇天烈な展開と、山彦と登場人物たちのどこか滑稽なやりとりが面白い。やがて山彦と海子の名前の由来である、『古事記』の「海幸山幸」の神話や、既刊『f植物園の巣穴』(朝日文庫)の語り手である豊彦の手記も関わってきて、物語のなかの現実と空想、過去と現在は大きくねじれていく。

 五月に発売したこちらと間をおかずに、同著者のエッセイ集『やがて満ちてくる光の』(新潮社)も刊行されている。著者のデビュー時から最近のものまで、様々な媒体で書かれた文章がまとめられた。

「生まれいずる、未知の物語」と題して収録されたインタビューは二〇〇七年に行われたものだが、物語を生みだすということについての著者の源泉が、普段は言語化されることのないような、霊的な領域まで明らかにされている。

〈こうしてこうすればこうなる、という予定調和的な流れではなく、ごつごつしていてもいいし、流れが悪くてもいいから、とにかく確実な手触りがあって、「この流れの悪さは何?」と、自分自身じっくり立ち止まって眺め、そして読み手からも眺めてもらえるものを作りたいと思ってきました。〉

 過去作品から最新作の『椿宿』まで、一貫してこのような思惟が著者の中に流れていると知るのは、物語の内部から作品を照らしているようで興味深い。ちなみにインタビュアーは『馬語手帖』(カディブックス)の著者、河田桟だ。

『あとは切手を、一枚貼るだけ』(中央公論新社)は、小川洋子と堀江敏幸という同時代の二人の作家による、往復書簡の形式をとった創作だ。かつて深い関係性を持っていたらしい男女の、親密で、触れるのをためらうほど繊細なやりとりの理由は終盤で明らかになるが、読みながら他人の秘密を覗き見ているような背徳感もある。一通ごとに実在の書籍の紹介が織り込まれていて、架空の手紙の世界に広がりを生んでいる。梨木香歩『渡りの足跡』(新潮文庫四九〇円)が紹介されていたのは嬉しい偶然だった。

(本の雑誌 2019年10月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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