時代に対峙する李龍徳の剥き出しの文学

文=大塚真祐子

  • あなたが私を竹槍で突き殺す前に
  • 『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』
    李龍徳
    河出書房新社
    2,530円(税込)
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  • ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
  • 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
    大前粟生
    河出書房新社
    1,760円(税込)
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  • あいたくてききたくて旅にでる
  • 『あいたくてききたくて旅にでる』
    和子, 小野
    PUMPQUAKES
    6,930円(税込)
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 かつて自分にとって、いわゆる「在日文学」への入口となったのは、九七年に『家族シネマ』で芥川賞を受賞した柳美里であり、『血と骨』の梁石日であり、韓国の文化に親しみ、韓国文学を積極的に紹介した中上健次の存在だった。当時まだ学生だったわたしは、未知の日本文学に触れるのと同じ所作でそれらに手をのばし、なんの違和感もなく物語が放つ熱を、濃密な景色を咀嚼した。差別は過去のものと信じていた自分の無知は恥ずべきものだけれど、排外主義などという態度は軽蔑の対象以外の何物でもなかった。

〈排外主義者たちの夢は叶った〉という一文からはじまる、李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』(河出書房新社)は次のように続く。

〈特別永住者の制度は廃止された。外国人への生活保護が明確に違法となった。公的文書での通名使用は禁止となった。ヘイトスピーチ解消法もまた廃され、高等学校の教科書からも「従軍慰安婦」や「強制連行」や「関東大震災朝鮮人虐殺事件」などの記述が消えた。(略)〉

 日本初の女性総理大臣は、在日コリアンを不当に排除する政策をうつ一方で、同性婚や選択的夫婦別氏制度を合法化する。野党第一党へと躍進した「新党日本を愛することを問え」は、党首である神島眞平の巧みな言動により、差別的な主張を大衆へと浸透させる。在日三世である柏木太一の目線を中心とした第一章で、この作品の背景のほとんどが語られる。

 太一の誘いを受ける尹信をはじめ、太一と同時期に青年会のメンバーだった梁宣明、ある事件の被害者遺族である金泰守、「新党日本愛」を追放された議員から成る「帝國復古党」の貴島斉敏、太一の妻の柏木葵が、太一の計画のため、終盤で一堂に会する。そこには予想外の展開が待ちうける。

〈世界とは大衆のことであり、世界の意思とは大衆の意思のことだ。──最終の敵はいつだって大衆。そしてそれには絶対に勝てない。言っとくからね。勝とうと思っては絶対に駄目。正面からぶつかっては駄目。別のやり方を、だから探るのよ。〉

 この書評を書くため作品を読みなおしたとき、第一章に登場するこの文章に、さして意識もせず自分が付箋を貼っていることに気がつき寒気が走った。再読すると、予感があらゆるところにちりばめられているとわかる。この小説が緻密に構築され、無情なほど美しい円を描いていることを痛感する。

 ちょうど二年前から担当しているこのページの最初に紹介した星野智幸『焔』も、当時の政治状況を深く反映した一冊だったが、この物語はさらに直截的で衝撃的な未来を描く。『焔』から二年後のいま本作に出会い、もはや剥き出しの信管のような文学でなければ、時代と対峙することはできないのかと考えさせられたのも事実だ。

 大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(河出書房新社)は、日常的に感じる男女の性差やそのとらえ方についての揺らぎを、驚くほど繊細に掬いあげた一作。『竹槍』とはまた別のアプローチで、時代の空気を如実に映し出す。

 大学二年の七森は中性的な見た目を男子にはいじられ、女子からは安全な男の子とみなされて連れ回された過去をもち、愛想笑いで流されたかつての自分を苦いものと感じている。七森の所属するぬいぐるみサークルは、表向きぬいぐるみを作ったり集めたりすることになっているが、本当はぬいぐるみとしゃべることが目的だ。

〈つらいことがあったらだれかに話した方がいい。でもそのつらいことが向けられた相手は悲しんで、傷ついてしまうかもしれない。だからおれたちはぬいぐるみとしゃべろう。ぬいぐるみに楽にしてもらおう。〉

 創設者の鱈山をはじめ、サークルに集まる者は、それぞれに傷つきやすさを抱える。七森と親しい麦戸ちゃんは、痴漢を目撃した体験により、当事者として性の問題を受けとめたことで、他人に恐怖をおぼえている。七森は同窓会で男友達からゲイなのかとからかわれたことで、男性であることへの嫌悪感がふくらみ、外出できなくなる。

 多かれ少なかれ、わたしたちは自分がつけた/つけられた傷を、ごまかしながら生きている。傷を前にして立ちどまり、真正面から思索しつづける彼らの姿を見るのは、傷をごまかしてきた自分にとって楽なことではない。七森と麦戸ちゃんに憧れを抱きながら、彼らを〈やさしすぎる〉と感じる白城の存在に救われた気持ちになる。

〈白城もその場にいて、麦戸ちゃんになにも聞かないぬいサーの空気を、破滅しあうようなやさしさなんじゃないかと感じた。(略)やさしさって痛々しい。あぶない。やさしさがこわいと白城は思う。〉

 この物語を必要とする誰かが確実に存在する、そう信じられる希有な作品だ。自分かもしれないと思ったら、ためらわず手にとってほしい。

 小野和子『あいたくてききたくて旅にでる』(PUMPQUAKES)は、東北の村を今も訪ね歩く著者が「採訪」と呼んで集めた民話を紹介しながら、聞き手としての著者の語りもまじえる厚みのある一冊だ。物語とともに語り手の暮らしや歴史が、それらに五感を研ぎすませる聞き手の息遣いが、紙の上に鮮やかに刻まれている。「民話」というものにはじめて触れたように思った。

 マーサ・ナカムラ『雨をよぶ灯台』(思潮社)は、中原中也賞を受賞した詩人の第二詩集。いつしか迷いこんだ異界で、呪文のような言葉に、想像がどこまでも絡めとられる。

〈五月になれば 私は家を出る/年を経るほど この格子窓からは/自分から遠いものが見える〉(「家の格子」より)

(本の雑誌 2020年5月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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