『私を月に連れてって』の歪みない視線にハッとする

文=高頭佐和子

  • フジモトマサル傑作集
  • 『フジモトマサル傑作集』
    フジモトマサル,名久井 直子,福永 信
    青幻舎
    2,970円(税込)
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 鈴木るりか『私を月に連れてって』(小学館)の刊行が嬉しい。二〇一七年に中学生作家としてデビューし、毎年十月に田中花実親子のシリーズを発表してきた著者だが、今年は刊行されなかった。学業が忙しいのか、もしや小説を書くのをやめてしまったのかとそわそわしていたらひと月遅れで刊行されたのだ。今年も懐かしい人たちに会えてよかった!

 第一作『さよなら、田中さん』では小学生だった花実(花ちゃん)も、高校受験を意識する年齢になった。家にはお金がないので、高校は交通費のかからないところがいいなあと考えたりしている。工事現場で働くお母さんは、変わらず明るくたくましい。アパートの大家さんとしょっちゅう麦茶を飲みながらバカ話をしている。仲良しの佐知子からは、一緒に大阪に行って漫才コンビをやろうなどと誘われたりしている。お母さんがスマホを買ってくれたけれど、一ギガしか使えないプランなので工夫したり、クラスメイトの石井君に誘われて進学塾の体験授業に参加したりと、世界は少しずつ広がっている。ある日、花ちゃんと佐知子は不思議な少女に出会う。どうやら学校に行っていないらしい彼女のために、ある行動に出るのだが......。

 お母さんと大家さんの昭和な会話に対する花ちゃんのツッコミがますます冴えている。絶妙すぎて、思わずグフっと笑いが漏れてしまうほどだ。学校ではパッとしないけれど、塾ではモテモテの石井君が良い。オリジナルの小っ恥ずかしい歌を弾き語りする動画を送ってくるなどの、果敢なアプローチを花ちゃんに仕掛けてくるが、思いが遂げられることはなさそうだ。シリーズ第一作から登場する大家さんの息子でニートの賢人が、意外な活躍を見せる。そして花ちゃんは、職場体験がきっかけとなり謎の多いお母さんの過去に、少しだけ触れることになる。

 このシリーズの魅力は、愛すべき登場人物たちと、現役高校生でありながら昭和の文化にも造詣が深く、十代としては類まれな語彙力を持つ著者のオリジナリティ溢れるユーモアセンスである。若い作家の小説には鋭さや棘があることが多く、読み手もそれを期待する部分はあると思うが、鈴木氏の作品は一見柔らかく、十代から高齢者まで受け入れる器の広さがある。が、決してそれだけではない。他者や世の中を見る時の視線は、はっとするほどフラットで、その歪みのなさに胸をつかれるような気持ちにさせられるのだ。

 一つ心配(?)なのは、著者がこの若さでサエない男子だとか変わった大人の男を生き生きと描くのがやたらと上手いことである。花ちゃんにはいい感じの男子にも出会ってほしい......。でもダメ男小説好きとしては、大いに期待もしてしまうなあ。

 姫野カオルコ『青春とは、』(文藝春秋)は、タイトル通りの小説だ。主人公の乾明子は、定年退職後にスポーツインストラクターの仕事を始めたが、コロナウイルスの影響で勤め先のジムが休館になり、昨年引っ越してきたシェアハウスで過ごす時間が増えている。ある日、クローゼットにしまっておいた一冊の本と名簿を見つけ、公立高校の生徒だった時代の記憶を「まるで映画を見ているように」思い出し始める。

 部活に打ち込むさわやかな日々も、恋のときめきや痛みも、熱い友情や大人への激しい反抗も描かれない。みんなが行っていたスーパーマーケット。人気のあったテレビ番組。雑誌や音楽、タレントや映画俳優。そして、それなりに親しかったり、それほど親しくなかった同級生や上級生、教員のこと。容姿に自信がなくて美しい女子に憧れを抱いたり、コンサートにどうしても行きたくて苦心したり、スーパーのフードコートできつねうどんを食べたりする普通の日々が描かれる。大きな出来事は何も起きないが、明子の記憶や感情が私自身のもののように懐かしく見えてくるのだ。

「青春」という言葉を口にすると、今も少し胸がちくっとする。明子に負けず劣らず地味な十代を過ごし、そのことをちょっぴり残念に思っているからだと思う。小説を読み終わって、おそらくもう会うことのない同級生、読んでいた雑誌や漫画、好きだった場所のことなんかをやけに鮮やかに思い出している。あれもかけがえのない時間だったのだと、この小説を読んでようやく言える気がしている。

 角田光代『銀の夜』(光文社)は、著者が十五年前に雑誌『VERY』で連載していた長編小説である。三人の三十代女性が主人公だ。高校時代、思いつきで始めたバンドがメジャーデビューすることになったものの、すぐに人気がなくなり解散。今はそれぞれの道を歩んでいるが、交流は続いている。特異な青春の日々を、誇りにしている者もいれば、恥ずかしく思っている者もいる。互いに打ち明けられない事情を抱えながらも、彼女たちが試練を受け止め、自分の力で前に進もうとする姿に心打たれた。

 フジモトマサル『フジモトマサル傑作集』(青幻舎)はファン待望の一冊だ。漫画家、イラストレーターとして活躍し、長嶋有氏、中村航氏、穂村弘氏、森見登美彦氏、村上春樹氏ら著名な作家との共作で人気のあった著者だが、五年前にこの世を去った。フジモト氏の描くいきものたちは、かわいいのに意地悪だったり、考えすぎて空回りしていたり、身近な誰かや自分自身に似ている気がして、読んでいるとニヤリとしてしまう。洗練されていて透明感のあるイラストは、作風の全く異なるさまざまな小説家たちの世界観となぜかぴったり合ってしまう。人気漫画がたくさん収録されているのはもちろんだが、回文やクイズ、そして初収録の作品も多いのが嬉しい。初めて出会った時から全く色褪せることのないその魅力に、今改めて夢中になっている。

(本の雑誌 2021年2月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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