H・コーベン『ランナウェイ』に胸がしめつけられる!

文=吉野仁

  • ランナウェイ: RUN AWAY (小学館文庫)
  • 『ランナウェイ: RUN AWAY (小学館文庫)』
    Coben,Harlan,コーベン,ハーラン,俊樹, 田口,瑠璃子, 大谷
    小学館
    1,408円(税込)
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  • ざわめく傷痕 (ハーパーBOOKS)
  • 『ざわめく傷痕 (ハーパーBOOKS)』
    カリン スローター,田辺 千幸
    ハーパーコリンズ・ ジャパン
    1,360円(税込)
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  • マイ・シスター、シリアルキラー (ハヤカワ・ミステリ 1963)
  • 『マイ・シスター、シリアルキラー (ハヤカワ・ミステリ 1963)』
    オインカン・ブレイスウェイト,粟飯原 文子
    早川書房
    1,870円(税込)
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  • つけ狙う者(上) (海外文庫)
  • 『つけ狙う者(上) (海外文庫)』
    ラーシュ・ケプレル,染田屋 茂,下倉 亮一
    扶桑社
    1,100円(税込)
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  • つけ狙う者(下) (海外文庫)
  • 『つけ狙う者(下) (海外文庫)』
    ラーシュ・ケプレル,染田屋 茂,下倉 亮一
    扶桑社
    1,100円(税込)
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  • 平凡すぎる犠牲者 (創元推理文庫)
  • 『平凡すぎる犠牲者 (創元推理文庫)』
    レイフ・GW・ペーション,久山 葉子
    東京創元社
    1,430円(税込)
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 この小説、年ごろの娘をもつ父親が読みはじめたら、いたたまれない気持ちでいっぱいとなり、息苦しさで倒れてしまうんじゃなかろうか。なにせ独身の自分でさえ、ホームレス同然の姿の娘を必死の思いで追いかける主人公の父親にたちまち感情移入してしまい、ぐっと胸に手をあてる心持ちでページをめくっていったのだ。

 ハーラン・コーベン『ランナウェイ』(田口俊樹、大谷瑠璃子訳/小学館文庫)の主人公サイモンは、マンハッタンに暮らす金融アナリストで、小児科医の妻と三人の子供をもつ父親である。だが大学生の長女ペイジは恋人アーロンに薬漬けにされたあげく、長らく行方が分からなかった。あるときセントラルパークで投げ銭めあてでギターを弾き歌う彼女を見かけたとの情報を耳にし、ようやく公園で彼女との再会を果たした。どうにか連れ戻そうとしたものの、アーロンに邪魔をされ、ペイジはそのまま逃げ去ったばかりか、周囲の人たちから誤解され、ぼこぼこに殴られ警察に逮捕されるという最悪の事態で終わった。だがサイモンはその後も警察とかかわることになる。男が殺害されたのだ。

 物語の途中、奇妙な殺し屋コンビが登場し、つぎつぎと殺人を重ねていく謎めいたシーンが挿入される。さすがコーベン、こうした書きぶりがじつに巧い。事件の背景に複雑な事情が隠されており、あっと驚く真相へとたどりつく。家族の闇をめぐるサスペンスの傑作だ。

 カリン・スローター『ざわめく傷痕』(田辺千幸訳/ハーパーBOOKS)は、デビュー作『開かれた瞳孔』につづく〈グラント郡〉シリーズ第二弾。こちらも冒頭から子供たちをめぐるショッキングな場面が展開していく。銃をかまえて少年を殺そうとする少女ジェニーを現場にいた警官ジェフリーがやむなく射殺するのだ。しかも現場付近のトイレから未熟児の遺体が発見された。さらに検死官および小児科医のサラ・リントンは、自分の患者でもあったジェニーの亡骸から、暴行とレイプだけではなく、女性器にほどこされた痕跡を見てショックを受けた。そして女性刑事レナは、『開かれた瞳孔』の事件で受けた傷を負ったまま捜査を続けていった。壮絶な体験をし、肉体も魂も修復不能なまでに傷ついてしまった者たちが対峙することで、物語はますます重く深く熱くなっていく。何人もの子供たちを巻き込み、殺人にまで発展した事件の真相はおぞましいものだが、さまざまな意味で現代アメリカの病根に通じているのかもしれない。これからスローター作品を読もうという読者であれば、この二作は最適かもしれない。

 ナイジェリアの女性作家オインカン・ブレイスウェイトによる『マイ・シスター、シリアルキラー』(粟飯原文子訳/ハヤカワ・ミステリ)は、大都市ラゴスに暮らす姉妹の物語だ。その美しさからまわりの男がほおっておかないアヨオラは、つきあった男をつぎつぎと父の形見のナイフで殺す〈死の天使〉だった。姉の看護師コレデはそのたびアヨオラを守るため、殺人の後始末を手伝っていた。二〇〇ページにも満たない薄いポケミスの本作は、黒い笑いをひそませた寓話の趣きがある一方、彼女たちの日常は、世界のどこの都市の中流家庭にでもありそうな風景で、こうしたコラージュが新奇な魅力を生み出しているようだ。

 ラーシュ・ケプレル『つけ狙う者』(染田屋茂、下倉亮一訳/扶桑社ミステリー)は、ヨーナ・リンナ警部シリーズ第五作。もっともヨーナはなかなか登場せず、まずは国家警察本部のマルゴット警部補が事件担当の主役として描かれる。臨月間近のマルゴットは、女性が惨殺される事件が続くなか、シリアルキラーが送りつけてきた、犯行直前の被害者が映るビデオを検証していった。そして事件の被害者をのぞき、次に焦点が当たるのは、精神科医のエリックだ。被害者の夫を催眠状態にして、殺された妻を発見したときの記憶を明確に蘇らせようと試みる。すると手がかりとして九年前に起きたある事件との共通点が浮かんできた。異常なストーカー連続殺人犯を警官と精神科医が追うサイコスリラーの王道スタイルだけではなく、クライマックスでは、仕掛けの効いたサスペンスと怒濤の活劇が繰りひろげられていく。頭から尻尾まで多彩な娯楽性に富んでいるのだ。

 最後に、今月いちばんの破天荒な作品は、スウェーデン作家レイフ・GW・ペーションによる『平凡すぎる犠牲者』(久山葉子訳/創元推理文庫)である。『見習い警官殺し』につづくベックストレーム警部シリーズ第二弾。なにしろこのチビでデブで無能な主人公は、女性や移民や性的少数者らへ差別偏見を抱き、平然と暴言を口にする男だ。当然、署内の嫌われ者で、「テレビをつけて、同僚が撃たれたというニュースを見るたびに、それがベックストレームであってくれと神に祈ってきたよ」と言われる始末。

 物語は、高齢の年金生活者が殺された事件から幕を開ける。発見したのは新聞を配達していた移民の青年だった。当初、鑑識捜査官は、典型的なアル中殺人との見解を口にした。酒飲み仲間が酔ったあげくの喧嘩で相手を殴り殺してしまったにちがいない、と。だが、被害者の周辺をはじめ、同じアパートの住民や競馬仲間らを調べたところ、平凡どころか大事件と関連している可能性が浮上してきた。チビでデブでおめでたいバカで酒好き女好き口が悪く嫌われ者のベックストレームと個性豊かなソルナ署の刑事たちによるドタバタ・コメディのごとき活躍を描いただけにとどまらず、しっかりキャラクターを活かした驚きの真相を用意しているあたり、お見事である。

(本の雑誌 2021年3月号掲載)

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●書評担当者● 吉野仁

1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。

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