掃除機探偵のロードノベル『地べたを旅立つ』がいいぞ!

文=古山裕樹

  • カラット探偵事務所の事件簿3 (PHP文芸文庫)
  • 『カラット探偵事務所の事件簿3 (PHP文芸文庫)』
    乾 くるみ
    PHP研究所
    803円(税込)
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  • スパイに死を 県警外事課クルス機関 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
  • 『スパイに死を 県警外事課クルス機関 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)』
    柏木 伸介
    宝島社
    880円(税込)
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  • 地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険
  • 『地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険』
    そえだ 信
    早川書房
    1,870円(税込)
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 このシリーズを初めて読んだのは、もう十年以上前のことなのか......と、少し感慨にふけってしまった。

 乾くるみの『カラット探偵事務所の事件簿3』(PHP文芸文庫)は、「謎解き専門」の看板を掲げた探偵事務所の物語だ。「1」の刊行は二〇〇八年、「2」は二〇一二年で、本書は前作から八年ぶりとなる第三弾。「謎解き専門」の看板を掲げた探偵事務所を営む古谷と、助手で語り手の井上が、事務所に持ち込まれた数々の謎を解き明かす連作短編集だ。

 いわゆる「日常の謎」を扱って、特に暗号の解読を描く作品が多いシリーズだが、本書では普段と逆に、遊園地のイベントのために暗号を作るエピソードも描かれる。作者の創作過程が垣間見えるようで印象深い。

 物語の年代設定は二〇〇六年から二〇〇七年にかけて。作中に描かれる当時の世相が、今では懐かしさを感じさせる。この時期ならではの仕掛けもあり、時事描写と謎解きがしっかり結びついている。

 また、「1」からの読者にはおなじみの仕掛けも健在。つい「1」から再読したくなってしまう。なお、旧作を未読の方は、本書から「1」へとさかのぼって読んでも楽しめるだろう。順に読んだ場合とは、また異なる驚きを味わえるはずだ。

 さて、時事描写とミステリ要素といえば、葉真中顕の『そして、海の泡になる』(朝日新聞出版)も巧妙。昭和の初めに漁村に生まれ、やがてバブル期に投資で巨大な富を築きながらも、最後は受刑者として獄中で生涯を終えた女性・朝比奈ハル。その人生を小説に書こうとする人物が、生前の彼女を知る人々を訪ねて話を聞く。

 それぞれの視点から語られるハルのさまざまな顔と、そこに隠された秘密。敗戦、高度経済成長、そしてバブル......と、それぞれの時代の様子が丁寧に語られる。さらに、ハルについて話す人々の言葉の合間から、新型コロナウィルスが猛威を振るい、東京オリンピックが延期された二〇二〇年が垣間見える。

 読み終えてみると、こうした丁寧な時事の描写が、本書のミステリとしての仕掛けを支えていることに気付かされる。緻密に張り巡らされた伏線の向こうに、一人の女性の複雑な人物像が浮かび上がる。実際の事件を下敷きにしながら、バブルの時代とコロナの時代を重ねてみせる精緻な作品だ。

 いっぽう、現実と微妙に距離を置くことで、むしろ現実を浮かび上がらせてみせるのが、柏木伸介の『スパイに死を 県警外事課クルス機関』(宝島社文庫)。諜報関係者の駆け引きと暗闘を描くシリーズの第三作である。

 ロシアと中国のスパイが殺され、死体には「スパイに死を」と記されたカードが。さらに、横浜の中華街で中国人の若者によるロシア人殺しが起きる。神奈川県警外事課の来栖は、ロシアと中国の諜報関係者に接触して、情報収集と事態の鎮静化を図るよう命じられる。

 序盤は来栖が様々な人々を訪ね歩く地味な展開だが、謀略の構図が徐々に形を明らかにするにつれて、物語も激しいうねりを見せる。実際の政治情勢をそっくりそのまま描いているわけではないのに、いかにもありそうな思惑と策謀が絡み合う。

 他国の諜報機関との駆け引きはもちろん、同じ日本の組織とはいえ、自衛隊や警視庁にも油断は禁物。謀略と官僚機構の迷宮を、生命を危機にさらしながらくぐり抜ける来栖の姿が記憶に残る作品である。

 一方、思い切った形で現実との距離をとってみせたのが、森晶麿の『沙漠と青のアルゴリズム』(講談社)だ。

 首なし死体に遭遇した新米編集者が、スランプ中の作家とともにその謎を追う......と書いてしまえば普通のミステリに見える。だが、読み始めればすぐに分かる。これは決して普通だなんて言えない小説だ。

 日本人が迫害される近未来、漱石の文体模写、AI搭載ロボットの物語......と、時代も視点も異なるいくつもの物語が詰め込まれ、互いに複雑につながっている。作中作と回想と夢想、過去と未来と現在を縦横に行き来する展開は、ときに「いま、どこにいるんだっけ?」と混乱しそうになる。

 だが、その複雑さにつきあう価値のある作品だ。うとうとしながらいくつもの夢を見ているような物語は、しかしきちんと収束して、綺麗な着地を見せる。読者をたっぷりと幻惑してくれる、濃密な作品だ。

 最後は、意外な視点から現実を切り取ってみせた作品を。そえだ信『地べたを旅立つ 掃除機探偵の推理と冒険』(早川書房)は、第10回アガサ・クリスティー大賞の受賞作である。

 事故に遭遇した刑事の魂が、気がつけば多機能ロボット掃除機に宿っていた、という物語。

 自らの機能を駆使して現在地が札幌であることを把握し、彼は小学生の姪が暮らす小樽を目指す。道中で遭遇する事件を解決しながら......。

 徹底した掃除機視点の描写が素晴らしい。掃除機だからドアを開けることもままならない。段差を降りるのも一苦労。路上を移動しているところを人に見られるのも危険だ。好奇心旺盛な子供が家に持ち帰ろうとしたり、親切な人が交番に届けようとしたり、思わぬトラブルに遭遇する。もちろん、充電だって必要だ。おおよそ通常の冒険小説ではそもそも障壁になりえないものが、本書では重大な障壁として立ちはだかるのだ。

 タイトルに「探偵」「推理」という語句はあるものの、そちらの要素は脇を固める役割。主人公が機器であるがゆえの危機をいかに乗り切るかで読ませる、冒険小説にしてロードノベルだ。掃除機ならではのアクションシーンも忘れがたい。

(本の雑誌 2021年2月号掲載)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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