マンローのデビュー短篇集『ピアノ・レッスン』が出た!

文=林さかな

  • ピアノ・レッスン (新潮クレスト・ブックス)
  • 『ピアノ・レッスン (新潮クレスト・ブックス)』
    Munro,Alice,マンロー,アリス,由美子, 小竹
    新潮社
    2,420円(税込)
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  • クネレルのサマーキャンプ
  • 『クネレルのサマーキャンプ』
    エトガル・ケレット,母袋夏生
    河出書房新社
    2,145円(税込)
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  • 鐘は歌う
  • 『鐘は歌う』
    アンナ・スメイル,山田 順子
    東京創元社
    3,520円(税込)
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 ノーベル文学賞作家アリス・マンローのデビュー短篇集『ピアノ・レッスン』(小竹由美子訳/新潮社)が刊行された。翻訳文学のおもしろいところに、日本で刊行される順番がある。自国では最初に刊行されるデビュー作が日本では後になることがままあり、マンロー好きの読者が増えてきたいま、タイムスリップしたかのようにデビュー作を読む楽しみがやってきた。

 十五の短篇それぞれが、マンローの筆で目の前にたちのぼる。書かれている情景はカナダのものなのに、よく見知っているような、まるで自分の家であったことのように近しく感じる。マンローの短篇を読むと、こういう感覚をもつことが多い。観察力の深さ、鋭さから生み出される細部の描写が普遍的なものに近づくように思える。たとえば、短篇「イメージ」で描かれている、少し日が陰ってきた部屋の様子、たった数行で描かれているそれが目の前の部屋でおきているかのように、くっきりと見えてきて、その臨場感にぞくりとしてしまう。決して怖い場面ではないのに、小説の中で動いていることがせまってくるのだ。語られていることがらを多方向から描き、深く彫り込み、ひとつのストーリーに昇華させ、読者にみせてくれる手腕は初期の作品から見事だ。

「ユトレヒト講和条約」のなかでこんな語りがある。「なぜか、その文章を読んだことはわたしに強い効果をもたらした。昔の生活がまわりに広がっている、また拾い上げてもらうのを待っている、という気がした」そう、同じようにマンローを読んだあとは、自分のまわりに物語がひそんでいることを感じるのだ。子どもに翌日の学校準備を促したり、つれあいと来客準備に何が必要か話をしたりする、そんなささやかな日常を、客観的に俯瞰し観察していると、自分のまわりにある物語に直接触れているような感覚を味わえる。

 エトガル・ケレットの『クネレルのサマーキャンプ』(母袋夏生訳/河出書房新社)は、訳者がケレットの初期・中期の四作品から三十一篇を編んだ作品集。

「ラビンが死んだ」は、ラビンがヴェスパに轢かれて即死したシーンからはじまる。ラビンを轢いたバイク野郎をティランはヘルメットの上からバールで殴りつけた。ラビンとの出会いから別れまでが回想され、読者はラビンが誰だかを知らされる。軽妙かつ意表をつかれる結末まで、ほんの数ページで気持ちをつかまれるのは短篇の醍醐味。「きらきらぴかぴかの目」もとびっきりおもしろい。きらきら光るものが何より好きな女の子の話。きらきらしたドレスや、光る靴下、バレエシューズも持っている。ないものは、きらきらした目だけ。保育園にいる汚らしい恰好をした男の子はそのきらきらした目をもっている。女の子は聞いてみた。どうやったらそんな目を手に入れられるのか。しかし、男の子から教えてもらったこたえを聞いてあきらめる。こたえがわかったからこそ、手に入らないことに納得する女の子が潔い。ケレットの短篇は、読むと、すっと腑に落ちる爽快さがあって楽しい。

 短篇集の次は重厚な長編作品。呉明益『自転車泥棒』(天野健太郎訳/文藝春秋)を紹介したい。シンプルにいうと「ぼく」と自転車の物語なのだが、自転車をキーとして広がる話のスケールが壮大だ。「ぼく」は文章を書くことを生業とし、古自転車のコレクターをしている。古い自転車を集めながら、二十年前に自転車と共に消えた父も探している。

「ぼく」の知り合いのナツさんは古い自転車(台湾語では「鐵馬」ともいう)を見つけると、まずオーナーを調べ、会いに行く。エピソードを聞かせてもらい、それから自転車を譲ってもらえるかどうか頼む。譲ってもらえたら、そこから手間暇かけてパーツをそろえていくという長い道のりを経る。「ぼく」もナツさんと同じように古自転車を収集する。「いい自転車には心がある」とナツさんはいう。腕のいい職人が手間暇をかけて自転車を調整する。その集中した力が自転車に宿る。自転車を集めていると、人の歴史を、戦争の歴史を集めることにもなっていく。様々なものを引き寄せていくなかには動物もいる。ゾウのエピソードは重要だ。「ぼく」が母親の看病をしながら、テープの書き起こしをしているシーンがある。戦争時の輸送部隊で五十頭ほどのゾウの世話をし、ゾウ使いのビナと知り合い、ゾウがどんな生き物なのかを教えてもらうくだりがテープに入っている。「ゾウは人が聴こえない音を聞き取る。そして人が聴こえない音を発する」ビナはゾウにしか聴こえない命令を発することができる。ゾウは戦時中に荷役を担っていた。

「ぼく」は父の自転車と父を探し続けるのだが、実際に歩き回らずとも、自転車のエピソードをたどることで歴史の旅をしている。だからなのか、読了すると、長い旅から帰ってきたような気持ちになった。

 訳者、天野健太郎さんは本書刊行直後に病で急逝された。天野さんが訳される台湾文学をもっと読みたかった。早すぎる死を悼む。

 アンナ・スメイル『鐘は歌う』(山田順子訳/東京創元社)は、不思議な世界に誘ってくれる幻想小説。ロンドンをさまよう孤児のサイモンはことばを用いず、音で意思疎通をはかる世界にいる。そこでは記憶はするすると抜け落ち、記憶袋に記憶を押し込まないといけない。

 終始、サイモンの視点ですすんでいく物語は謎だらけで、混沌としているなかをかきわけるように読んでいく。ことばのない世界をことばで読んでいく不思議な感覚はおもしろく、物語世界の底はどこまでも深く天上はどこまでも高かった。

(本の雑誌 2019年2月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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