家族を全て失った著者の七年の歳月

文=林さかな

  • 波 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『波 (新潮クレスト・ブックス)』
    ソナーリ・デラニヤガラ,佐藤 澄子
    新潮社
    2,200円(税込)
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  • わたしが「軽さ」を取り戻すまで――
  • 『わたしが「軽さ」を取り戻すまで――"シャルリ・エブド"を生き残って』
    カトリーヌ ムリス,Catherine Meurisse,大西 愛子
    花伝社
    1,980円(税込)
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  • 凍
  • 『凍』
    トーマス・ベルンハルト,池田信雄
    河出書房新社
    3,520円(税込)
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  • カッコーの歌
  • 『カッコーの歌』
    フランシス・ハーディング,児玉 敦子
    東京創元社
    3,630円(税込)
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 二〇〇四年十二月二十六日、スマトラ沖で発生した巨大地震による大津波がスリランカを襲い、休暇を過ごしていた多くの人が波に巻き込まれた。『波』(ソナーリ・デラニヤガラ/佐藤澄子訳/新潮社)は、二人の幼い息子、夫、両親をその波で失い、家族の中でひとり生き残った作者が綴った回想録だ。時系列に書かれた出来事は、何が起きたかわからないうちに、さっきまで一緒にいた家族がもういないという現実から始まっている。「こんなことが私に起こったはずがない。これは私じゃない。」「私はバターナイフで自分を刺した。腕や腿に切りつけた。ベッドの木製のヘッドボードの、尖った角に頭を打ち付けた。手にタバコを押し付けた。」混乱した生々しい感情が襲ってくるような筆致。「もうすぐ、もうほんとうにすぐ、自殺しなければならない。」周りの人間は彼女を決してひとりにしなかった。自殺に結びつくようなものを一切近くに置かなかった。そして何年もひたすら彼女のそばに寄り添った。七年の歳月がながれていく。その間ただ悲しんで臥せっているだけではなかった。以前住んでいた家に別の家族が住むようになると、彼らに攻撃をしかけた。電話をかけ(それは以前の自分の電話番号だった)、夜中に玄関の呼び鈴を押す、車で近くまで行き大きな音楽を鳴らす。しばらくすると攻撃する気持ちはなくなり、また悲しみの世界に戻っていく。自分の家族を一瞬にして亡くすという途方もないできごとに対して、いままでの思い出の扱いすら見失ってしまう。手に負えない感情と対峙していく。生き続けることは、相容れないものでも少しずつ距離のとりかたを覚えて実践していくこと。著者は少しずつゆっくり家族への深い深い愛情を思い出していくことで、生きる力を取りもどす。自身の経験したことを文学として差し出してくれたことにお礼を伝えたい。

 バンド・デシネ『わたしが「軽さ」を取り戻すまで "シャルリ・エブド"を生き残って』(カトリーヌ・ムリス/大西愛子訳/花伝社)も、悲しみが記録されている。二〇一五年一月七日、フランスの風刺新聞社「シャルリ・エブド」に男二人が突入し銃で襲撃、編集会議中だった社員たちが犠牲になった。死者十二名。著者はその日、遅刻したことで難を免れた。十年間働いていた職場で、亡くなってしまった多くの同僚。いったいどうしてこんなことが? 著者も起こった出来事の大きさに混乱し、地に足がついていない感覚になる。「自分の中が壊れていることの傍観者になっている気がします」彼女は医者にそう話す。以前のように生きたいという気持ちはあるが、苦しさから逃れられない。風刺画家として、テロの前後からの事実関係、自身の心象風景を、言葉と、色味を少しつけたシンプルな線画で、感情の揺れを伝えてくる。自分を癒してくれるものは「美しいもの」ではないかと考え、美を求めてイタリアに旅に出る。自分のもっていた「軽さ」を取りもどすべく、絵をみて彫刻をみて、それらと対話した言葉を吐き出していく。静けさを感じる色合いのページをみていると、こちらの気持ちも色と同化していくようだった。絵と言葉が織りなす世界は、失ったものの重さから少し息がつける入口を描いている。

『凍』(トーマス・ベルンハルト/池田信雄訳/河出書房新社)は、読んでも読んでもネガティブモードから切り替わらない、その徹底さを実に読ませる小説。二十七歳の研修医が上司である外科医より、彼の弟を観察する任務を秘密裏に命じられた。弟は画家で、既に老境に入っており、雪と氷に閉ざされた僻地の村で生活している。不可思議な任務だが、研修医は生真面目にそれを遂行する。画家は毎日滔々と自分語りをし、研修医は記録し続ける。その話を聞いていると、考えぬかれた思考の重みが時にユーモアに変換されたかのように感じられ、決しておもしろい話ではないのに、愉快になってくる。つまり、読めば読むほど、クセになる吸引力があるのだ。

 ひとつ聞いてみてほしい。
「人間が到達できるのは、彼が世界は動いていると信ずるその範囲でしかない。人間の深淵が世界の深淵でもある。世界の敗北は人間の敗北でもある。夏のレストランの庭では、世界は世界の飢えと渇きに局限され狭くなっている。個々人の。たったひとりの個人の飢えと渇きにだ。〈ビールを頼む〉とは世界がビールを欲しているということである。世界がビールを飲み、時がたつとまた世界の喉が渇いてくる。」何をいっているのか、混沌とした感覚がおもしろく、twitterには、非公式だが画家シュトラウホの偏屈なつぶやきを愛でましょうというbotも登場しているので、フォローして毎日愛読している。

『カッコーの歌』(フランシス・ハーディング/児玉敦子訳/東京創元社)は『嘘の木』で海外文学好きの読者を唸らせた作者によるもの。日本で紹介されるのは本書で二作目だが、原書の刊行は『カッコーの歌』の方が先である。物語は少女トリスが池に落ちて病院に運ばれるところから始まる。意識を取りもどしたときに、落ちたときの記憶も曖昧でなぜか「あと七日」という声が聞こえる。トリスは意識が戻ってからも自分に対しての違和感がぬぐえず、妹のペンはずっと意地悪な態度をとってくる。はじめは謎だらけで、ミステリーを読んでいるようだったが、途中から謎の糸口がみえてくると、ファンタジー色がぐっと強くなり、心をつかまれた。トリスとペンの姉妹物語でもあるからか、自分自身の子ども時代を思い出した。妹とのやりとりが映像で浮かび、過去の記憶を味わう読書にもなった。

(本の雑誌 2019年4月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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