どんどん厚くおもしろくなっていく『ニックス』に大満足!

文=林さかな

  • ハバナ零年
  • 『ハバナ零年』
    Su´arez,Karla,スアレス,カルラ,量一, 久野
    共和国
    2,970円(税込)
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  • ザ・ディスプレイスト: 難民作家18人の自分と家族の物語
  • 『ザ・ディスプレイスト: 難民作家18人の自分と家族の物語』
    ヴィエト・タン・ウェン,Nguyen,Viet Thanh,文, 山田
    ポプラ社
    1,870円(税込)
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  • 夢見る人
  • 『夢見る人』
    シス,ピーター,Ryan,Pam Mu〓oz,Sis,Peter,ライアン,パム・ムニョス,勝, 原田
    岩波書店
    2,640円(税込)
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 ネイサン・ヒルの『ニックス』(佐々田雅子訳/早川書房)は、作者のデビュー長編作品。二段組七百頁強のボリュームは辞書並の存在感があり、帯にはジョン・アーヴィング絶賛と書かれている。

 主人公サミュエルは現在何も書いていない作家であり大学教師。うだつのあがらない日々を過ごしていた。そんな時、幼い頃自分と父をおいて家を出ていった母親フェイが、テレビに映される。州知事に石を投げつけた母親の事件は大きなニュースとなり、サミュエルは音信不通の母親と望まない再会を果たした。また、経済的な事情から世間の注目を集めている母親を題材に本を書くことにもなる。

 なぜいきなり父親と自分をおいていったのか、その後何をしていたのか。時をさかのぼって語られる母の謎めいた過去は、それだけで一冊の本になる分量だ。加えて、その合間に挿入されている周りの人物像も深く掘り下げられているので、物語はどんどん厚くおもしろくなっていく。

 なかでもビショップは印象深い。小学校高学年のとき、学校長は体罰としてパドルと呼ばれるもので、言うことをきかない生徒を厳しくたたきつけていた。パドルの罰をうけたものは、誰しもが痛みにうちひしがれるのだが、唯一意気揚々と戻ってきたのがビショップだった。それ以来一目を置かれるようになったビショップはどうやってパドルの罰を乗りこえたのか、それからどんな人生を歩んだのかも描かれ、小説の中の登場人物の一人ではすまないくらいの存在感だ。

 自分のことも、人のことも、理解するには、時間を要する。小説は時間を超え、母親の少女時代を語り、サミュエルの子ども時代、愛した人、友人を語り、現在に着地する。その頃には、サミュエルの周りにいる(過去を含む)人はみな知り合いのように思えてくる。だからこそ抱えている彼らの事情の切実さに、気持ちも引きずられ、近しさを感じていく。結末は驚きと同時に、そうなのかと腑に落ちる。たっぷりと長い物語がもたらす満足感は心地よく、確かにアーヴィング好きにはたまらない。

『ハバナ零年』(カルラ・スアレス/久野量一訳/共和国)も日本では初めて紹介されるキューバ出身作家の作品。電話を発明したのは、アレクサンダー・グラハム・ベルだと多くの人が知っているが、本当はハバナで開発された可能性があることがわかる。女性数学者ジュリアはその可能性に胸ときめかせ、それが事実だと証明するために、電話を発明したとされるイタリア人発明家・メウッチの自筆文書を発見するべく、元恋人や、作家、ジャーナリストとの間に様々な駆け引きを仕掛ける。

 数学者の視点と論理を駆使しているが、語り口は読みやすい。例えば、恋愛をからめた人間模様や、キューバの歴史をカオス理論で説明する。一見何でもない小さな出来事がときどき起こるが、たいていは気づかない。しかし、時間が経つにつれその影響は広がり目立つようになる。これがカオス的に展開するということで、理論にそって読んでいくと、今までとは違う視点を与えられ、自分の引き出しが増えた感覚を味わえた。

『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』(ヴィエト・タン・ウェン編/山田文訳/ポプラ社)は表題のとおり、日本でも邦訳され知られている作家も含め、十八人の作家たち、それぞれの物語が記される。エッセイとして書かれているが、難民であったときの話はひとつの小説のようであり、ノンフィクションが限りなくフィクションに近づいている。

 作家たちは、自らの力量をもって自分たちに起きたことを言葉にする。生まれ育った土地を厳しい状況で逃げ出し、生きのびられるであろうと選択した土地で暮らす。アレクサンダル・ヘモンは「世界には、ただ生きのびるために自分が生まれた場所を去り、思ってもみなかった場所で死ぬ人がたくさんいる。世界には、ここまで(それがどこであろうとも)たどり着けなかった人がいたるところにいる。」と記す。ボスニア人であるヘモンは、アメリカへ渡り、その後ボスニア人と会うたびに、どうやってアメリカにたどり着いたのか尋ねるようにしている。

「一つひとつの物語に歴史のすべてが刻まれていて、人生と運命の網の目の全容が示される。移住は物語を生む。場所を追われる経験、その一つひとつが物語となる。一つひとつの物語がほかと異なる。」たたみかけるような語り口からは、「物語」を伝えるべく作家になった決意が伝わってきた。

『夢見る人』(パム・ムニョス・ライアン/原田勝訳/岩波書店)は、ノーベル文学賞を受賞している詩人パブロ・ネルーダの少年時代の経験をもとにした創作物語。ネルーダの随筆や自伝を読んだ作者が、エピソードをふくらませ、国際アンデルセン賞画家賞を受賞しているピーター・シスが美しい挿絵をつけている。

 ネフタリは自然が好きで本が好きだった。しかし、父親は息子に対して、空想することをよしとせず本を読むよりも、体を鍛え、医者になることを強要する。例えば、海に行ったときは、長く泳げるようになるまで、本人が望まなくてもずっと海の中にいなければならない苦行を強いる。ネフタリは父親に服従はせず、心の自由を守り、夢見ることをあきらめず、文学者になっていく。だからこそ、私たちはパブロ・ネルーダの詩をいま読むことができる。児童書として書かれているが、人が夢を見る自由さを描いたこの物語は、大人も強く惹きつける。

(本の雑誌 2019年5月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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