濃くておもしろい中南米文学アンソロジー

文=林さかな

  • 20世紀ラテンアメリカ短篇選 (岩波文庫)
  • 『20世紀ラテンアメリカ短篇選 (岩波文庫)』
    文昭, 野谷
    岩波書店
    1,122円(税込)
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  • 黒人小屋通り
  • 『黒人小屋通り』
    Zobel,Joseph,ゾベル,ジョゼフ,裕史, 松井
    作品社
    2,398円(税込)
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  • 子どもたちの見たロシア革命―亡命ロシアの子どもたちの文集
  • 『子どもたちの見たロシア革命―亡命ロシアの子どもたちの文集』
    陽一, 大平,美智代, 新井
    松籟社
    2,860円(税込)
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  • トリック (新潮クレスト・ブックス)
  • 『トリック (新潮クレスト・ブックス)』
    Bergmann,Emanuel,ベルクマン,エマヌエル,晶子, 浅井
    新潮社
    2,750円(税込)
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 およそ三十年の時間をかけて編訳された『20世紀ラテンアメリカ短篇選』(野谷文昭編訳/岩波文庫)は濃くておもしろい中南米文学が十六編収められている。あざやかな黄色が目にとびこんでくる表紙絵はディエゴ・リベラの描いた「アラメダ公園での日曜の午後の夢」。様々な人物がみっしりと描かれている絵は、複数の作家によるアンソロジーによく似合っている。

 四つのカテゴリ「多民族・多人種的状況/被征服・植民地の記憶」「暴力的風土・自然/マチスモ・フェミニズム/犯罪・殺人」「都市・疎外感/性・恐怖の結末」「夢・妄想・語り/SF・幻想」で編まれているのだが、このカテゴリすら既に物語のタイトルのようで読む前からそそられた。

 一番短い作品はグアテマラの作家、アウグスト・モンテローソの「日蝕」。ページ数にして二枚。超短編のこの作品では、グアテマラの密林で道に迷ったバルトロメ師がふと気づくと先住民族達に囲まれてしまう。生贄にされそうになるのを、自分の知識で回避しようとするのだが、どうなるか。短い話ながらもピタリと着地する展開が鮮やか。

 アルゼンチンの作家、アドルフォ・ビオイ=カサーレスの「水の底で」は、肝炎が治ったばかりのアルド・マルテリが休養のために、出かけた先でひとりの女性フローラと出会う。フローラには心を寄せる男性が既にいたのだが、マルテリはどんどん惹かれていき、フローラもまんざらではない。フローラは叔父の実験で若返りの手術があることをマルテリに伝え、一緒にその手術を受けようと提案する。マルテリは受け入れるのだが、ほんのちょっとの時間差で何が起きたか。ラスト二行のひねりは、場面が目に浮かぶようで、この作家の他の作品も読みたくなった。

『黒人小屋通り』(ジョゼフ・ゾベル/松井裕史訳/作品社)は一九五〇年に刊行され、半世紀以上にわたって読み継がれているカリブ海文学の古典作品。作者の自伝的小説で、ひとりの少年の成長物語になっており、やさしい語り口で、ぐいっと物語世界に引っ張り込む力が強い。

 特に少年時代は、奴隷制度を背景にした重たいものだが、子どもならではのいたずらなど、あたりまえの日常の描写に心を動かされる。少年は事情があって母親とは離れ、祖母マン・ティヌと暮らしているのだが、困らせることを次から次へと起こしてしまい、折檻もされてしまう。祖母が厳しく育てているのは、少年の未来を思ってとのことで、筋を通すところは通し、必要な教育を受けることに祖母は骨身を惜しまない。

 貧しく厳しい環境の中でも、教育を受けていくジョゼの成長は著しく、やがて作家になりたい思いをもつようになる。読書に夢中になり、小説の魅力に気づき、どうやったら、小説を書くことができるのだろうかと考えるようになる。

 本で広い世界を知るようになった少年は、やがて望んだ小説家になり本書を書き上げた。

 小さな世界で生きてきた少年の話は、いまや、自国以外のたくさんの人に読まれる大きな物語になったのだ。

『子どもたちの見たロシア革命 亡命ロシアの子どもたちの文集』(大平陽一・新井美智代編訳/松籟社)は一九二〇年代前半に、亡命ロシア人の子弟が通う学校で、ロシア革命後の体験をテーマにした作文を編集したもの。一九二三年から二四年にかけて二千人以上の八歳から二十四歳までの生徒によって書かれた作文の内、六十四編が収録されている。

 多くの作文から選別しての掲載とはいえ、どの文章もかなりの力量がある。題材が同じなので、似通った雰囲気をもつものはあるが、当時のロシア情勢を子どもの視点から読める貴重な記録だ。

 編訳者がひとつひとつの作文の解説を短文で添えているので、書いた子どもたちの背景も知ることができる。年齢があがると、作文はより文学的な表現もでてきて、短編のような読後感をもつものもあった。

 とはいえ、目の前で人々が銃殺されたり、殺された人が血まみれで横たわっていたり、書かれていることは凄惨な描写が少なくない。革命によって、多くの命がなくなっていくのを目の当たりにした子どもたちの言葉を忘れてはならない。

『トリック』(エマヌエル・ベルクマン/浅井晶子訳/新潮社)は十年越しで刊行にこぎつけ、十七ケ国語に翻訳された著者デビュー長編。

 ホロコーストを生き延び、いまや年老いたマジシャンのザバティーニは人々に忘れられ、高齢者施設で暮らしている。そこではケチで我が儘な人物と周りから疎んじられていた。少年マックスは両親が離婚するかもしれないという大きな問題に心を痛めている。二人がもう一度、互いを愛し合ってくれるよう、偉大なマジシャン、ザバティーニを探しだし、助けを求める。ザバティーニはマックスの助けになる気はサラサラなかったが、トラブルにより高齢者施設を出なくてはいけなくなり、思案した彼はマックスの家に居候することを企む。

 物語は、ザバティーニとマックス、二人の立場を交互に語らせ、ザバティーニがいわくつきの誕生を経て、その後、稀代の奇術師になっていく様子をつぶさにみていく。

 ホロコーストを背景に、過去と現代が近づき、ラストは思いもよらない意外なできごとがおきる。けれど、このラストのために、ザバティーニに「トリック」がもたらされたのだと、これまでのあれこれが腑に落ち、予定調和ではない整合性にほれぼれした。

(本の雑誌 2019年6月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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