フランゼン『ピュリティ』のずっしり八百ページを堪能!

文=林さかな

  • ピュリティ
  • 『ピュリティ』
    ジョナサン フランゼン,岩瀬 徳子
    早川書房
    4,620円(税込)
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  • 路地裏の子供たち
  • 『路地裏の子供たち』
    スチュアート・ダイベック,柴田 元幸
    白水社
    3,080円(税込)
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  • すべての愛しい幽霊たち (海外文学セレクション)
  • 『すべての愛しい幽霊たち (海外文学セレクション)』
    アリソン・マクラウド,髙山 祥子
    東京創元社
    2,420円(税込)
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  • どこまでも亀 (STAMP BOOKS)
  • 『どこまでも亀 (STAMP BOOKS)』
    Green,John,グリーン,ジョン,瑞人, 金原
    岩波書店
    1,980円(税込)
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『ピュリティ』(ジョナサン・フランゼン/岩瀬徳子訳/早川書房)は八百ページ超の小説なので重みも中身もずっしりしているが、語り口がよく読みやすい。大学を卒業し多額の奨学金ローンを抱えている主人公のピップ。母親との二人家族で、自分の父親についてはいくら聞いても母親は何一つ教えてくれない。けれど、奨学金の返済のためにも、ピップには父親の情報が必要だった。金銭面で助けてもらえるのではないかという望みをもち、転職して探し始める。

 二十三年間も音沙汰のない父親が果たして助けになるのだろうか。経済的な事情が背中を押して、家族の関係を見直すことになるのだが、予想もつかない人間関係が隠れていることを知るのは、何か大きな力が働いてこそかもしれない。

 ピップは、父親探しをすることで、あらたな人脈をつくり、それまで持ち得なかった感情ともつきあうことになる。

 フランゼンは、それら感情の表現がとても豊かだ。日常世界にうごめくものがよくみえるように言葉で光をあてている。ピップの出生の秘密だけでなく、そこかしこで他者に黙るべき事柄がうまれてしまうのは、時の政治がらみだったり、各々の正義だったりする。そして、強い感情の先に大きな事件もおきてしまうことになり、それは長く尾を引くことになる。

 ピップを軸に語られる長い小説は、込み入った事情の伏線が回収されていくにつれ、おもしろみを増していく。読み終わってもまだ続きが欲しかった。

「真実というのは多面的な捉えがたいものだ」という言葉にうなずくばかり。

『路地裏の子供たち』(柴田元幸訳/白水社二八〇〇円)のスチュアート・ダイベックは、『シカゴ育ち』、『僕はマゼランと旅した』(共に柴田元幸訳/白水社)で既に日本で知られている作家で、本書は四十年近く前に原書が刊行された著者のデビュー短篇集。
 収められた十一の短篇はどこか懐かしさを感じるものばかりで、舞台は日本ではないけれど、昭和の子供たちの雰囲気を感じるほど、既視感がある。

「近所の酔っ払い」は近所の子供たちの時々の遊び相手となるスタンドーフという、酒壜をもってふらふらしている男の話。世間から少し距離のある大人の中には、子供と親しく言葉を交わす者がいる。知らない人と口をきいてはいけないと、いまどきは、その風潮は良しとされてはいない。けれど、私も一昔前に、風変わりだけれど、悪い人だとは思えない大人に、少し仲間意識をもって口をきいていた子供時代があり、読みながら思い出した。ダイベックの筆は、過去のひとときをリアルに陰影をつけて動かし、輝かせ、日常の延長にあるできごとを忘れられないものにしてくれる。

『すべての愛しい幽霊たち』(アリソン・マクラウド/髙山祥子訳/東京創元社)も短篇集で十二作品が収められている。登場するのは、無名の人や、よく知られているダイアナ妃、ロシアの作家アントン・チェーホフ、イギリスの政治家トニー・ブレアら。けれど、著名人や彼の地の背景の前知識はなくても物語世界に入るのに支障は無い。

「ダイアナを夢見て:十二フレーム」は短篇の中で唯一実際の登場人物の写真が挿入され、写真の中で結婚したばかりのダイアナが美しく微笑んでいる。ダイアナが事故に遭って亡くなるまでの断片と「私」の結婚していた時が並行して語られ、幸せにはじまった二つの結婚の道がどんどん狭く行き止まりまで進んでいく。その描写は、不思議な空気感を伴い、ダイアナの存在感をリアルにさせている。
 他の作品も独創的で、ひとつひとつ味わいのある余韻を残す。そこには、物理的に離れている人がふと近くに来ているような気配を感じさせ、ちょっとうれしい気持ちになる。

『どこまでも亀』(ジョン・グリーン/金原瑞人訳/岩波書店)は、既刊『さよならを待つふたりのために』が映画化されヒットした、ジョン・グリーンの最新作品。強迫性障害をもつ高校生のアーザは、ディフィシル腸炎になって突然死んでしまうのではないかと心配しながら日々を送っている。もっとも近しい存在は親友のデイジー。お互い似たような経済環境なこともあり、自分たちの未来に必要な費用のため、多額の懸賞金がかけられている失踪した大富豪捜しを思いつく。手がかりは家族にあると考え、二人は大富豪の息子であるアーザの小学校時代の友人ディヴィスに会いに行くことにする。

 父親探しをきっかけにして、アーザとディヴィスは互いに惹かれ合うのだが、強迫性障害のためにキスもまともにできない。だから二人は言葉で近づく。ディヴィスはブログに文学作品の引用を用い、そこに自分の気持ちを文章で補足する。

「人生について学んだことは、三語で要約することができる。It goes on.(それは続く)」(ロバート・フロースト)

 続いていく人生の一部を、アーザとディヴィスからみせてもらった。

 最後に紹介するのはショーン・タンの絵本『セミ』(岸本佐知子訳/河出書房新社)。描かれているのは擬人化されたセミだ。

 セミは本来土の中で暮らす十七年を、地上で会社員として過ごしている。灰色の壁に囲まれた会社、いわば土の中にいるかのような場所で人間にこき使われながら黙々と働いて過ごす。十七年間はグレーの世界一色だ。ようやく定年退職したとき、セミが向かった世界をショーン・タンは言葉なくして鮮やかに描く。セミの見事さにあっけにとられた。

 トゥク トゥク トゥク。

(本の雑誌 2019年7月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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