新鋭・砥上裕將の水墨画小説『線は、僕を描く』に拍手!

文=北上次郎

 この小説の美点をどう紹介すれば読者に伝わるのか、いまそれを考えている。ずっと考えている。砥上裕將『線は、僕を描く』(講談社)だ。

 水墨画小説である。水墨画など一度も描いたことのない霜介が、バイト先の展覧会場で水墨画の巨匠篠田湖山と出会い、その場で内弟子にされてしまうのがこの物語の発端だ。湖山が内弟子を取るのはきわめて珍しい。だから、湖山の孫娘千瑛は反発する。そこで翌年の「湖山賞」はどちらが取るかという勝負が始まるのである。

 水墨画対決というのは珍しいが、しかしここまでの展開なら驚くほど新鮮なプロットでもない。よくある話、といってもかまわない。しかしここから先が、ただごとではない。私たちが考えているような話にはならないのだ。

 では、ここからどういう話が始まるのか。水墨画とは何か、という話が始まるのである。

 湖山は言う。「水墨というのはね、森羅万象を描く絵画だ」。なおも言う。「森羅万象というのは、宇宙のことだ。宇宙とは確かに現象のことだ。現象とは、いまあるこの世界のありのままの現実ということだ」「現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に宇宙はないのか?」。最後にこう言う。「自分の心の内側を見ろ」

 まるで禅問答のようだが、こういうくだりが頻出する。その間を縫うように、湖山を始め高弟たちが水墨画を描くシーンが随所に挿入される。そうすると不思議なことに、絵が行間からすっくと立ち上がってくる。きわめて特異な才能といっていい。

 考えてみれば地味な話だ。水墨画対決とはいっても、千瑛は霜介に水墨画を教えるし(この二人は対決相手というよりも、ともに水墨画を究めんとする仲間であるかのようだ)、それほど起伏あるドラマが展開するわけではない。にもかかわらず、どんどんページをめくるのである。それは私たちもまた、水墨画とは何か、ということを知りたくなるからだ。霜介や千瑛と一緒になってそれを希求していくからだ。

 ラスト近くに、霜介と千瑛が誰も住んでいない霜介の実家を訪れるくだりがある。そこで不覚にも目頭が熱くなった。表面的にはさほどのことが起きているわけでもないのに、霜介の感情が体の奥のほうからこみ上げてきて、それが読み手にも伝わってくるからだろう。砥上裕將とは、そういう作家でもある。

 第59回のメフィスト賞受賞作である。この賞がミステリー専門の賞だと誤解している人はもういないと思うけれど、すごい作家を生み出したものだと感服。これからが楽しみな作家の誕生に拍手したい。

 加藤正人『凪待ち』(キノブックス)は、「俺はどうしようもないろくでなしです」との帯コピーで手に取った。ダメ男小説ならぜひ読みたいとの気持ちだったが、その期待は裏切られない。

 この主人公、郁男は競輪中毒である。川崎の印刷屋をやめてからも競輪をやめられず、石巻に帰る亜弓に、酒とギャンブルをやめないのなら別れようと言われ、酒断ちギャンブル断ちを決意する。しかし中毒はそんなに簡単にやめられるものではない。石巻にいってもクズはクズのままだ。救いは、不登校の亜弓の娘・美波が郁男になついていること。しかし亜弓の父勝美は郁男を睨んで心を許さない。

 そのうちに大きな出来事がこの一家を襲って──という展開になっていくが、この物語にどんどん引き込まれていくのは、物語に力が漲っているからだろう。映画関係にうといので失礼ながら存じあげなかったが、著者は著名な脚本家で、本書が初の小説とのこと。映画界、テレビ界にはホント、才人が多い。

 映画界からはもう一作、荻上直子『川っぺりムコリッタ』(講談社)が出ている。これもまた穏やかな気持ちでは読めない小説だ。

 こちらの主人公は、刑務所を出てきたばかりの山田。大きな川がある地方で働きたいとの希望が認められて、イカの塩辛を作る北陸の工場にやってくる。この地で知り合うさまざまな人たちとの、さまざまな小さなドラマが描かれていく小説だ。

 親の愛を知らずに育った山田青年の、ご飯を炊いて塩辛をおかずに食べる光景がまぶしい。彼は一人で暮らすのも、温かなご飯を食べるのも、初めてなのだ。その幸せな感情がゆらゆらと立ちのぼってくる夕食のシーンがいい。柔らかな文章が心地よい小説だ。そうだ、隣室の島田という男のキャラがいい。

 今月の最後は、梶よう子『とむらい屋颯太』(徳間書店)。時代小説にはもともと「職業小説」の趣があり、たとえば山本一力の第一長編『損料屋喜八郎始末控え』は、鍋釜などを貸し出す職業を描いたもので、つまりは「お仕事小説」だった。こういう作品が時代小説には多い。公事宿を舞台にした澤田ふじ子のシリーズを始め、枚挙にいとまがない。

 この文脈で考えると、提灯、灯籠、乗物、棺桶など、弔いに使用する葬具を一揃い扱う葬具屋颯太を主人公にするこの連作長編も、そういう「お仕事小説」に受け取られるかもしれない。そういう要素はたしかにある。しかしそれだけではない。

 圧巻は、最終五話「火屋の華」。そこまで、医師の重三郎、坊主の道俊、棺桶職人の勝蔵、そして颯太を手伝う寛次郎とおちえ──さまざまなドラマを描きながら、彼らの事情を丁寧に描いていくのだが、最後に噴出するのは颯太の場合だ。

 彼がなぜ「とむらい屋」を営んでいるのか、そのルーツと事情がここで明らかになるのだが、その濃密なドラマに圧倒される。死に翻弄される人間と、それに負けまいとする心──その営みを静かに、そして熱く描きだすのである。傑作だ。

(本の雑誌 2019年8月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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