日本アルプス大縦断415キロを駆け抜けた男達
文=仲野徹
「トランスジャパンアルプスレース」をご存じだろうか。富山湾からスタートして、北・中央・南アルプスを縦断し、駿河湾にいたる415キロメートルを走破するレースである。
累積標高差は2万7千メートルというから、富士山を7回上り下りしたのとほぼ同じ。その間、山小屋泊不可で、持って走るテントやツェルトでのみが許される。制限時間は8日間という超過酷なレースだ。
賞金・賞品は一切なし。参加条件は非常に厳しくて、体力や経験だけでなく、リスクマネージメントの能力まで問われる。当然といえば当然だ。一歩間違えば、文字通り命取りになる。
28歳から58歳の参加選手30名をNHKの取材班が追った。その過程を詳細に記録したのが『激走! 日本アルプス大縦断 2018終わりなき戦い』(齊藤倫雄、NHK取材班/集英社)である。
BSプレミアムで放送された番組は視た。もちろん映像の力は偉大だ。しかし、選手達の心理や背景を十分に描き込むことはできない。この本の方が圧倒的な情報量である。
ほとんど全員が幻覚を見る状態にまで追い込まれる。お互いがライバルであると同時に、同志である。それが、このレースを信じられないほど面白いものにしている。
それぞれの男にそれぞれのドラマがあった。陳腐な言いようと思われるかもしれないが、そうとしか紹介のしようがない。そして、すべての男達がこのレースで何かを得た。
「そこには、うそがないから」筆者であるNHKプロデューサー・齊藤は、このレースの何が参加者を引きつけるかについてそう結論づける。この本は、うそのない非日常というものがどういうものであるかを凡人たちに知らしめてくれる。
つぎは非日常というかなんというか、『人喰い』(カール・ホフマン、古屋美登里訳、奥野克巳監修/亜紀書房)を紹介したい。
比喩的な意味での人喰いではない、リアルな人喰いだ。1961年、世界でも有数の大金持ち、ロックフェラー家の御曹司で、ニューヨーク州知事を父に持つ23歳のマイケル・ロックフェラーがニューギニアで行方不明になった。
マイケルは、父親が設立する「プリミティブアート」の美術館のために「美術品」を蒐集していた。ロックフェラー一族にとっては単なる美術品かもしれないが、現地のアスマットの人たちにとっては、聖なる儀式に使われる品々であった。
ボートエンジンが故障し、マイケルは陸地へ向けて泳ぎだした。疲労困憊しながらも上陸。しかし、そこに待っていたのはアスマットの男達。そして...
ネタバレではないかと思われるかもしれないが、マイケルが喰われたことは、この本の冒頭で書かれている。はっきりいって、いきなり怖い。
超有力者の息子だ。大規模な捜査がおこなわれた。しかし、手がかりは見つからなかった。ニューギニア、そこを統治するオランダ、そして、ロックフェラー家、それぞれの思惑が一致し、海難事故と結論づけられた。
当時から、喰われたとの噂があった。もしそう公表されていたら、三者ともに大きなダメージを被ったはずだ。
しかし、半世紀たって、「ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー」の編集者であるホフマンが、その謎解きに赴く。どうしてマイケルは食べられたのか。いや、食べられなければならなかったのか。
内容を思い出しながら書いているだけで、息が苦しくなってきましたわ。ということで、三冊目はうってかわってほっこり系の本『しょぼい喫茶店の本』(百万年書房)を。
就活がうまくいかず、かといってニートになることもできない著者の池田達也。ふと、喫茶店を始めようと思いつく。きっかけは『しょぼい起業で生きていく』(イースト・プレス)の「えらいてんちょう」だ。
えらいてんちょうが取り持ってくれるのを期待して「仮想通貨で稼ぎまくった人、税金対策で100万くらい僕にください。しょぼい喫茶店やります。」とツイートする。そうしたら、本当に100万円もらえた。こんな話がホンマにあるんか、と思えてしまうが、実話である。
そこから、しょぼい喫茶店がどのように実現していったか。必ずしも順風満帆ではなかったけれど、なんか、ほんまにほのぼのとしたええお話です。
えらいてんちょうとか、しょぼい喫茶店の池田さんとかはきっと機嫌のええ人なんやろうなぁと思う。そう、人間、怒ったり不機嫌になったりしてたらあかんのです。で、つぎは『医師のためのアンガーマネージメント』(日本医事新報社)を。
医療現場は怒りが渦巻く場所である。そんな現場でどのようにして怒りを抑えるか。原則は、衝動、思考、行動を変えればいい、とシンプルだ。
でも、なかなかうまくいかんのよねぇ。ということで、各論では68人のドクターがそれぞれの極意を述べる。うちひとりは私ですけど...。医師以外にも役立つヒントがいっぱいです。
『知ってはいけない薬のカラクリ』(谷本哲也/小学館新書)は、医師と製薬企業の関係をクールに問題視する好著だ。こういう本はえてして主観的でセンセーショナルになりがちである。しかし、この本は違う。確固たるエビデンスに基づいているし、書きすぎていないので、説得力が抜群だ。
最後の一冊は、『カラー版 虫や鳥が見ている世界──紫外線写真が明かす生存戦略』(浅間茂/中公新書)。生き物によって物の見え方がこんなに違うんや。言われてみたら当然なのだが、目からウロコの一冊でした。
(本の雑誌 2019年8月号掲載)
- ●書評担当者● 仲野徹
1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業、3年間の内科医として勤務の後、基礎研究の道へ。本庶佑教授の研究室などを経て、大阪大学医学部教授に。専門は「いろいろな細胞はどのようにできてくるのかだろうか」学。『本の雑誌』を卒業し、讀賣新聞の読書委員に出世(?)しました。趣味は、僻地旅行、ノンフィクション読書、義太夫語り。
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