宇佐美まことの大きな物語『夜の声を聴く』がいいぞ!

文=北上次郎

  • 夜の声を聴く (朝日文庫)
  • 『夜の声を聴く (朝日文庫)』
    宇佐美まこと
    朝日新聞出版
    814円(税込)
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 やっぱりいいなあ宇佐美まこと。新作『夜の声を聴く』(朝日文庫)の終わり間近に、「隆太、ちょっとそこで待ってろ。いいもんを見せてやるから」と大吾が言うシーンがある。待っていると「いくぞ。隆太」と声が降ってくる。見上げると倉庫の軒下の細い窓から大吾の顔が見えた。そこは大吾の部屋がある場所だ。

 途端に、「月世界」の看板が輝きだす。けばけばしいイルミネーションだ。チカチカ点滅する赤やピンクや緑が看板を縁どっている。そのイルミネーションを隆太は見上げる。倉庫の上には暗い空がひろがり、冬の大三角と呼ばれる三つの明るい星が輝いている。ゴールデンレトリーバーの血を引く雑種犬ヨサクが、「ワオン」と吠える。

 大吾が降りてきて、隆太の横に並ぶ。「あれ、いいだろ? ダンスホールだった時の名残り。俺の部屋で操作できるんだ」

 その夜のことをずいぶんあとで隆太は思い出す。あのとき、大吾は何を考えていたんだろう、と。何気ないシーンだが、こういう印象深い「絵」が、宇佐美まことはうまい。

「月世界」はダンスホールだった場所を、店名と同様にそのままリサイクルショップとして使っているが、大吾はその倉庫の屋根裏部屋に住み込んで、そこで働いている。隆太と大吾は、定時制高校の同級生だ。

 リサイクルショップ「月世界」は便利屋でもあるので、さまざまな相談が持ち込まれる。カブト虫の幼虫が全滅したのは何故か。息子に化けて庭にやってくるタヌキは何を言いたいのか。別れて暮らしている母と妹はなぜ長姉と会おうとしないのか──その一つずつを彼らは解いていくので、連作ミステリーの趣があるが、やがてその底にもっと大きな謎が潜んでいるという構造が明らかになって、物語はぐんぐん大きくなっていく。隆太と大吾は訳あって定時制高校に通っているのだが、その事情は本書を読まれたい。それらのドラマが、あの「月世界」のイルミネーションを見上げるシーンの背景にあるから、胸に残るのだと書いておく。エピローグもすごくいい。

 奥行きのある物語だ。豊穣な物語だ。読み終えると、その後の隆太と大吾の人生に、思いが馳せていくのである。

 伊与原新『八月の銀の雪』(新潮社)もいい。前作『月まで三キロ』もそうだったが、今回もまた刺激的で、新鮮な作品集となっている。

 大正の終わりごろから一九五〇年代まで、日本の新聞社や通信社は急ぎの記事の送稿に伝書鳩を使っていて、特に毎日新聞の「毎日353号」は、エリザベス女王の戴冠式に出席するために横浜港を出発した皇太子の船上の写真を六〇〇キロ離れた地点から千葉沖まで飛び、大スクープとなって一躍スターになったという。住民の鳩の世話をすることになった不動産会社の男を描く「アルノーと檸檬」に出てくる豆知識だが、鳩が持つ帰巣本能の「圧倒的な力」に、主人公の人生を重ね、空を飛ぶイメージを描きだすのがうまい。

 西條奈加『心淋し川』(集英社)は、根津権現の裏手の窪地にある長屋を舞台にした人情小説集。長屋の差配である茂十を狂言回しにした連作集のおもむきもあり、巻末の一編「灰の男」(それまでの短編の主人公がここに総登場して、その後の人生が描かれる)ではその茂十のドラマも語られて興味深い。個人的には、裁縫がなかなか上達しないヒロインの恋を描く表題作が好み。

 今月の最後は、山本文緒『自転しながら公転する』(新潮社)。こちらは、なんといっても構成が秀逸だ。

 プロローグがベトナムの結婚式なのである。日本人女性であるヒロインの一人称で語られるが、「市場と屋台のざわめき。明るい笑顔の日に焼けた人々。色彩の強い花々と果実、アルミの食器がたてる音。/私はそこに飛び込むのだ」というところでプロローグは終わり、本文が始まっていく。

 牛久大仏が見える町のショッピングモールで働く三二歳の都が主人公の物語だ。親の介護のために故郷に戻ったヒロインの仕事と恋の日々が、巧みな人物造形を積み重ね、リアルに描かれていく。モール内にある回転寿司で働く貫一と知り合い、初めてのデートでベトナム料理屋にいくと、そこで知り合うのがベトナム人のニャン君。その店はお兄さんが経営する店で、彼はその仕事を手伝っているようだ。プロローグが、ベトナムにおける結婚式であったことをここで思い出す。ということは、都はこのニャン君と結婚するということか。

 貫一は中卒で、元ヤンで、働いていた回転寿司店が閉店になったりする。悪い仲間と悪いことを平気でしたりもするとチクッてくるやつもいる。対してニャン君は国に帰れば金持ち一族の一員だ。ヒロインが都で、友達からは「おみや」と呼ばれていることをここに並べれば(つまり、貫一とお宮だ)、これが現代の金色夜叉であることも見えてくる。いや、そういうふうに誘導するムキもあるということだ。ご丁寧に、貫一と都が熱海に行って、富豪に嫁いだお宮を、貫一が蹴る有名な像を見るくだりもあったりする。

 途中にいろんなことがあって、それがまた実にうまいから、プロローグをつい忘れてしまいがちになるが、時折ふっと思い出す。どうするんだ都。地球は激しく自転しながら激しく公転している。何も起きないように見える私たちの生活も、そういうふうにもともと激しいのだ。それこそが真実であり、都が貫一と結婚しようとニャン君と結婚しようと、どちらでもかまわない。そんなことが私たちの本質ではない。しかし、どっちなんだ? というわけで、エピローグに突入していくのである。うまいなあ山本文緒。

(本の雑誌 2020年12月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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