佐藤究『テスカトリポカ』の圧倒的パワーを見よ!

文=北上次郎

  • ばあさんは15歳 (単行本)
  • 『ばあさんは15歳 (単行本)』
    阿川 佐和子
    中央公論新社
    1,760円(税込)
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 何なんだこれ! 私が苦手とする話であるというのに、ぐんぐん物語に引きずり込まれる。その圧倒的なパワーに、ふらふらだ。佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)だ。

 苦手な話、というのは、裏社会に生きる者たちの話だからである。こういう話、好きではない。血と暴力の小説なんて読みたくないのだ──と思っているのに、なぜ惹きつけられるのか。それは、ここに展開する血と暴力の物語が、もっと根源的なものだからだ。だから、その種のシーンが出てきても目を背けることが出来ない。

 たとえば、チャターラとマンモスとヘルメットの三人が、九五〇キロの闘牛と、自動車解体場の敷地で戦うシーンがある。三人は三日間、絶食している。「あの牛を殺して食え」とバルミロは言う。渡されたのは刃渡り二〇センチのナイフを一本ずつ。それだけで興奮剤を注射された九五〇キロの闘牛と彼らは戦わなければならない。

 降りしきる雨の中での凄絶な格闘が終わり、この項は次の文章で締めくくられる。

「やがてチャターラが笑いだす。それから残りの二人も笑う。雨粒がしだいに大きくなり、自動車解体場に積まれたスクラップの山を滝のように流れ、むきだしの土をぬかるみに変えていく。それから嵐がやってくる」

 この文章のリズムが素晴らしい。ここで三五四ページ。全体が五五三ページもある本だが、この物語は終わらないんじゃないかと思った。終わることを物語が拒否しているようにも思えた。そこにもこの物語の本質がひそんでいるような気がする。

 内容をまったく紹介していないことにいま気がついたが、ストーリーにこの物語の本質はないと思われるので許されたい。内臓ビジネスを描く暗黒小説、という外枠だけを紹介するにとどめる。むしろ、土方コシモの造形にこそ、物語を解くヒントがあると思うが、しばらくは宿題にしておく。

 次に手に取ったのが、瀬尾まいこ『その扉をたたく音』(集英社)。がらり一変の違いに驚くが、しかし面白さでは肩を並べている。こちらは内容を少しだけ紹介する。

 ミュージシャン志望の宮路は二九歳で無職。働いたことが一度もない。それは、親が生活費を仕送りしてくれるからだ。だから、努力もしていない。とりあえず三〇まではいいかと考えている。そのあとは? そのときになったら考えよう──という青年が老人ホームそよかぜ荘に通うようになって変わっていく。これはそういう物語である。

 まあ、珍しい話ではない──そう思って読み進むと驚く。まるで初めて読む小説であるかのように、はっとするほど新鮮だからだ。体の奥のほうからむくむくと力に似た何かが、涙と一緒に湧いてくるからだ。

 そよかぜ荘で働く渡部君や、宮路をこき使う水木のばあさんなど、わき役が一人ずつ絶妙に立ち上がってくるのは、瀬尾まいこの小説なのだから珍しいことではない。そよかぜ荘のレクレーションで音楽が演奏されると、じいさんばあさんたちが聞いているのかいないのか、そのあたりがわからないという光景も絶妙に描かれる。

 しかし何よりも素晴らしいのは、外側から見ているだけではわからない真実の光景が、すっくと立ち上がってくる瞬間を、ここしかないというタイミングで描きだすことだ。その呼吸が群を抜いている。瀬尾まいこは天才だ。

 阿川佐和子『ばあさんは15歳』(中央公論新社)もいい。高校入学直前の春休みに、祖母の和と東京タワーに出かけた内村菜緒が、五六年前の昭和三八年にタイムスリップする話である。いまと昔の文化や習慣の違いなどがテーマになるんだろうと思っていると、同じクラスの西原とばったり。もう何度も昭和に来ている西原は、万博の年の大阪に出たこともあったという。毎回ちょっとズレるらしい。そんときはどうやって戻ったの、との質問には「通天閣から戻った」と西原。東京なら東京タワー、大阪なら通天閣がタイムスリップの入口になっているとか(タイムスリッパーの間では常識だと西原は言う。ホントかよ)、こういうディテールが楽しい。

 今月は他にも、上田早夕里『ヘーゼルの密書』(光文社)、佐々木愛『料理なんて愛なんて』(文藝春秋)、永嶺重敏『明治の一発屋芸人たち』(勉誠出版)などが印象に残ったが、もうスペースがないので、最後はこの時代小説で締めくくる。

 砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』(講談社)だ。芦澤泰偉の気品あふれる装幀を見ていると、これが静かな小説に思えてくるが、実は激しい物語だ。

 妻を亡くし、息子を事故で亡くし、あとは老いていくしかない男が主人公の小説だから、どう考えても静かな日々といっていい。貧しい藩の下級侍であるから贅沢は出来ないが、そうやって庄左衛門は老いてゆく──いいじゃないかそういう話。私、好きなんである、そういう話が。冒頭を読むだけで、充実した読書が待っているような気がしてくる。

 しかし、どんどん回想が挿入されると、ざわざわしてくる。庄左衛門の若き日の出来事と、息子啓一郎の失意の日々が語られていくのだ。つまり、庄左衛門も息子の啓一郎も、鬱屈をかかえたために笑顔のない日々を送ってきた、という回想である。ここからどんな物語が始まるかはいっさい書かない。それまでのことが全部絡んで、激しいドラマが待っているなんてまったく想像できなかった。すごいぞ。特に、遊学先の江戸から帰ってきた「神童」がいい。この青年と庄左衛門の──おお、これ以上は書けない!

(本の雑誌 2021年4月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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