手応えたっぷりの傑作『父を撃った12の銃弾』を読め!

文=吉野仁

  • 父を撃った12の銃弾
  • 『父を撃った12の銃弾』
    ハンナ・ティンティ,松本 剛史
    文藝春秋
    2,420円(税込)
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  • マハラジャの葬列 (ハヤカワ・ミステリ 1965)
  • 『マハラジャの葬列 (ハヤカワ・ミステリ 1965)』
    アビール・ムカジー,田村 義進
    早川書房
    2,530円(税込)
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  • 瞳の奥に (海外文庫)
  • 『瞳の奥に (海外文庫)』
    サラ・ピンバラ,佐々木 紀子
    扶桑社
    1,375円(税込)
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  • 老いた殺し屋の祈り (ハーパーBOOKS)
  • 『老いた殺し屋の祈り (ハーパーBOOKS)』
    マルコ マルターニ,飯田 亮介
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,300円(税込)
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  • もう耳は貸さない (創元推理文庫)
  • 『もう耳は貸さない (創元推理文庫)』
    ダニエル・フリードマン,野口百合子
    東京創元社
    1,144円(税込)
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 数ある世界のミステリ賞のなかでも、アメリカ探偵作家クラブによるエドガー賞最優秀長篇賞に注目している読者は多いだろう。なにせ受賞を逃したノミネート作でさえ、すべて読んでおきたい傑作ぞろいなのだ。

 ハンナ・ティンティ『父を撃った12の銃弾』(松本剛史訳/文藝春秋)は、二〇一八年エドガー賞最優秀長篇賞の最終候補となった作品ながら、なぜ受賞を逃したのかと疑問に思うほどの出来映えだ。

 十二歳の少女ルーは、海辺の町オリンパスで暮らしはじめた。それまで父とふたりで各地を転々としていたが、ルーの亡き母親リリーが生まれた土地に定住することにしたのだ。地元の学校に通いだしたルーは、さまざまな体験を通じ成長していく。一方、父の身体には多くの弾痕があった。その傷にまつわる出来事が現在の物語と交互に語られる。やがて母親の死の真相をはじめ、すべての謎が明らかになっていく。

 訳ありの父子家庭で育った気の強い少女の物語はけっしてめずらしいものではないだろう。だが、そんな話の要約では伝えることのできない魅力にあふれている。とくに若き父をめぐる十二の「銃弾」の章は緊張感あふれた展開に終始しており、密度が濃い。銃弾を身体に浴びるという経験、つまり生死にかかわる事件は細部まで深く記憶に刻まれるものだ。そうした見せ場の描き方があざやかで、断章ごとにそれぞれが独立した短編のような切れ味を帯びている。ルーの日常をめぐる章とはあまりにも対比的だ。こうした構成のとりかたが巧みである。悪さをする男たちの活劇、道行き、恋愛、復讐といった大衆娯楽もののさまざまな要素が満載でありながら、見事な語りのためか洗練された文芸作品のごとき風格が全編に漂う。これだけの手応えをもつ小説はそうそうお目にかかれない。すなわち海外小説の読み手なら必読の一冊だ。

 アビール・ムカジー『マハラジャの葬列』(田村義進訳/ハヤカワ・ミステリ)は、英国人警部ウィンダムとインド人部長刑事バネルジーによるシリーズ第二弾。デビュー作『カルカッタの殺人』は、二〇一八年のエドガー賞最優秀長篇賞の候補作に含まれていた傑作だ。一九二〇年、英国統治下インドの都カルカッタで、藩王国サンバルプールの王太子が暗殺された。ウィンダムとバネルジーは、葬儀に参列するという名目でサンバルプールへ赴き、権謀術数うずまく王宮内で事件を捜査していく。第二王子や反体制派の娘をはじめ疑わしい者はいたが決め手に欠けるなか新たな悲劇が起こった。独立の気運がたかまり、近代化の波が押しよせる変革の時代を背景としているだけに、絢爛豪華な宮廷の陰謀劇にとどまらないドラマが何層も重なっている。加えてウィンダム警部の弱点など、第一作で見せた魅力が今回もいたるところで発揮されており、楽しい読み心地をもたらす一冊だ。

 サラ・ピンバラ『瞳の奥に』(佐々木紀子訳/扶桑社ミステリ)は、表4の内容紹介に「結末は、決して誰にも明かさないでください」とあるドメスティック・スリラー。六歳のひとり息子と暮らすルイーズは、新しくボスになる精神科医のデヴィッドを見て驚いた。その前夜、バーで出会い、キスをした相手だったのだ。しかも偶然、デヴィッドの美貌の妻アデルと知り合い親しくなった。秘密を隠したまま三角関係は続いたが......。ルイーズの語りだけでなく、アデルの語りや過去の出来事がつづられる章が重なり、思わせぶりなことばや奇妙な記述が随所で出てくる物語だ。心理スリラーとしてはあまりにもご都合主義な人物の登場や展開だと思いつつ、最後で「なるほどすべてはそこへ着地させるためだったのか」と驚かされた。予想の斜め上をいくとんでもないラストに喝采をあげる人もいれば、読み終えてがっくりと脱力する人もいるだろう。話題の本ならなんでも読みたい人向けの異色問題作か。

 マルコ・マルターニ『老いた殺し屋の祈り』(飯田亮介訳/ハーパーBOOKS)は、国際犯罪組織の殺し屋だった大柄で寡黙な老人オルソが主人公をつとめる。心臓発作をおこすもなんとか一命をとりとめたことをきっかけに、オルソはかつて愛しながら生き別れた恋人と娘にもういちど会おうとイタリアへ向かう。だが旅の途中で何者かに襲われた。娘が学校でいじめられる展開をはじめ『父を撃った12の銃弾』と類似する部分があるものの、作者はもともとベテラン脚本家というだけあって、こちらは通俗性にあふれている。冒頭の列車内における活劇場面など映画などでよくあるものだ。暗黒街の殺し屋をめぐる物語として、いわゆる「お約束ごと」をいくつもおさえつつ書かれた娯楽作だ。

 今月もっとも痛快でありながら、同時に重厚さもそなえている小説が、ダニエル・フリードマン『もう耳は貸さない』(野口百合子訳/創元推理文庫)だ。ごぞんじ八九歳の元殺人課刑事バック・シャッツが活躍するシリーズ最新作。あいかわらず毒舌をはきまくるバックだがボケはすすむばかり。そんなときラジオ番組のプロデューサーから電話があり、かつてバックが逮捕した連続殺人犯の死刑執行が迫っていたものの、その男マーチはバックから無理やり自白を強要されたと言い張っているという。はたして過去になにがあったのか。章がかわって一九五五年、バックが殺人容疑でマーチを逮捕した当時の顛末が物語られていく。死刑制度の法的な面や処刑方法を含め、さまざまな問題に深く切り込んでいるが、それは真の正義を問うことにつながっているのだ。よれよれになってもへらず口をくりだすボケ老人のユーモアだけでなくシリアスな面でも読ませる。強く薦めたい。

(本の雑誌 2021年5月号掲載)

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●書評担当者● 吉野仁

1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。

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