上空数千メートルのタイムリミット・サスペンスだ!

文=小財満

  • 座席ナンバー7Aの恐怖
  • 『座席ナンバー7Aの恐怖』
    Fitzek,Sebastian,フィツェック,セバスチャン,進一, 酒寄
    文藝春秋
    2,475円(税込)
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  • 地下道の少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『地下道の少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    アンデシュ ルースルンド,ベリエ ヘルストレム,ヘレンハルメ美穂
    早川書房
    1,276円(税込)
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  • ついには誰もがすべてを忘れる (ハーパーBOOKS)
  • 『ついには誰もがすべてを忘れる (ハーパーBOOKS)』
    フェリシア ヤップ,山北 めぐみ
    ハーパーコリンズ・ ジャパン
    1,284円(税込)
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 昨年、豪華客船を舞台にした『乗客ナンバー23の消失』で六年ぶりの邦訳となったドイツ人ミステリ作家セバスチャン・フィツェックが今年も帰ってきた。デビュー作『治療島』からはじまり仕掛け満載のサイコサスペンスで読者の度肝を抜いてきた作者の今回の舞台は地上数千メートル、六百二十六人を乗せた旅客機の中。題して『座席ナンバー7Aの恐怖』(酒寄進一訳/文藝春秋)。乗客と娘の命を賭けて脅迫犯に立ち向かい、着陸までの十三時間で謎を解くジェットコースター・タイムリミット・サスペンスだ。

 出産間近の娘ネレに会いにアルゼンチンからドイツへの旅客機に乗り込んだ精神科医マッツ・クリューガーのもとに、一本の電話が入った。指示に従わなければ娘は死ぬ。拘束されたネレの写真を送ってきた誘拐犯は、なんと彼に自分の乗っている飛行機を落とせとのたまった。同機のチーフパーサーであり、マッツの元患者であるカーヤの精神を崩壊させ彼女の殺人衝動を引き出すことで飛行機を墜落させろというのだが......。

 拉致されたネレ、飛行機の上のマッツ、マッツの元恋人でネレの救出を頼まれた精神科医フェリの三人の視点で物語は進む。ネレを誘拐した犯人を捜すこの物語の鍵が、カーヤの過去にあることが読者に示されていくのだ。彼女には高校生のときにクラスメイトによる無差別銃撃事件に巻き込まれ、マッツのもとで治療を受けた経緯があった。と、語れるのはさすがにこの程度までだろう。本作の物語序盤から助走なしでアクセルを踏みきったかのようなジェットコースターぶりは、できれば予備知識なしで挑んでほしい。作者ならではの二度読みしたくなる伏線の妙も、もちろん健在だ。昨年に引き続き今年の海外ミステリ・シーンの話題の種になるだろう必読の一作だ。

 エーヴェルト・グレーンス警部を主人公に、強制売春や死刑制度などのテーマでスウェーデンの衝撃的な現代社会の暗部を描いた社会派犯罪小説のシリーズの第四作、アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム『地下道の少女』(ヘレンハルメ美穂訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)が邦訳となった。『死刑囚』と『三秒間の死角』の間を埋め、ルースルンドとヘルストレムの共著は全て訳されたことになる。

 薄い赤色のバスは真冬のストックホルムにやってきた。警察本部の近くに置き去りにされたその乗客たちは、ルーマニアから捨てられるために運ばれてきた四十三名のストリート・チルドレンの子どもたちだった。一方、病院の地下通路で顔の肉をえぐり取られた女性の刺殺死体が発見される。そのストックホルムの地下に縦横無尽に張り巡らされた地下通路こそ、人々にも忘れられ社会福祉局にも認められない存在──ホームレス生活者の寝床なのだ。そしてこの二つの事件を捜査するグレーンス警部には、植物人間状態の妻をめぐり私的な危機も迫っていた。

 フィクションながら、社会の病理──ある意味での現実を描いてきたシリーズのなかで、作者は本作でストリート・チルドレンという暗部を読者の面前に突きつけてくる。それぞれの理由で家庭を追われ、透明な存在となった子どもたち。現実に起きたストリート・チルドレンの事件がノンフィクション的に織り交ぜられた本作では解決によるカタルシスもなく、事件の陰では弱者が死に追われ、事態が事件前よりもよくなることはない。作者の抱く、社会への静かな絶望感を伝えてくるかのように。本作の結末は物語に正義や断罪を求める読者には認められないものだろうが、社会の暗部を見つめる勇気のある読者にのみ物語の本質を語りかけてくる。

 マレーシア出身ロンドン在住で生化学や戦争史に通じた多才な作家フェリシア・ヤップのデビュー作『ついには誰もがすべてを忘れる』(山北めぐみ訳/ハーパーBOOKS)は大人になると遺伝子の働きにより一日、二日で人々の記憶がリセットされるようになるSF的世界での殺人事件を描いたミステリだ。

 ある朝、有名作家マーク・エヴァンズの妻クレアのもとを訪れたのはソフィアという女性の溺死事件を捜査している主任警部ハンスだった。ソフィアの日記にはマークの愛人であるらしいことが綴られていたのだが、当のマークはそれを女性の妄想だと一蹴する。確かにソフィアは十七年もの間、精神病棟に幽閉されていたらしいのだが。

 記憶のリセットというSF的設定を梃子に、誰が真実を語っているかわからないという状況が巧みに作り上げられている。多少の冗長さは感じるが、物語の真相が明らかになるにつれ、記憶がなくなる世界であっても人は他人を愛することができるのか、愛するために記憶が必要かという本作のテーマがあらわになる様は非常に美しい。

 スウェーデンのミステリ作家ホーカン・ネッセル『悪意』(久山葉子訳/東京創元社)はハリウッドでの映画化予定の作品を集めた短篇集。ずっと昔に死んだはずの義理の息子トムからの電話を受けた女性ユーディットの困惑(「トム」)。久しく連絡をとっていなかった子ども時代の女友達から交換殺人を持ちかけられた女性アグネスの謀計とは(「親愛なるアグネスへ」)。どの作品も一見どこにでもいる中産階級的な人々の個人的な悪意、邪な考えが暴走して過去から復讐される──という筋の物語が多く収録されている。ある意味ではダールやコリアなど〈奇妙な味〉に通じる作風だろうか。作者はスウェーデン推理作家アカデミー賞最優秀長篇賞を三回も受賞した大ベテラン。邦訳には同賞受賞作でフェーテレン刑事部長シリーズの『終止符』がある。

(本の雑誌 2019年5月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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