スウェーデンの歴史ミステリ『1793』を推す!

文=小財満

  • 1793
  • 『1793』
    Natt och Dag,Niklas,ナット・オ・ダーグ,ニクラス,美穂, ヘレンハルメ
    小学館
    2,200円(税込)
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  • 国語教師
  • 『国語教師』
    ユーディト・W・タシュラー,浅井 晶子
    集英社
    2,200円(税込)
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  • 緋い空の下で(上) (海外文庫)
  • 『緋い空の下で(上) (海外文庫)』
    マーク・サリヴァン,霜月 桂
    扶桑社
    1,078円(税込)
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  • 『緋い空の下で(下) (海外文庫)』
    マーク・サリヴァン,霜月 桂
    扶桑社
    1,078円(税込)
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  • 死者の国 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
  • 『死者の国 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』
    Grang´e,Jean‐Christophe,グランジェ,ジャン=クリストフ,優, 高野,規与美, 伊禮
    早川書房
    3,300円(税込)
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 スウェーデンの歴史ミステリ、『1793』ニクラス・ナット・オ・ダーグ(ヘレンハルメ美穂訳/小学館)。本作の描くストックホルムの猥雑な都市の空気感、そして当時の未完成な法制度のもとで正義を追い求める主人公の姿。この二点をもって本作を傑作と推したい。

 一七九三年の秋、ストックホルム。隻腕の退役軍人で風紀取締隊所属の男カルデルは、湖に浮かぶ無惨な死体を発見することに。それは両目を失い、四肢を切断された金髪の男の死体だった。警視総監ノルリーンの依頼でこの猟奇殺人事件の捜査にあたるのは法律家セーシル・ヴィンゲ。病に冒された体をおし、ヴィンゲはカルデルを相棒に手がかりを追う。

 時代はフランス革命から四年後、そしてスウェーデン国王グスタフ三世の暗殺の翌年。フランス王家と同盟を結ぶことで対ロシアおよびデンマークとのバルト海における力関係を保っていたスウェーデンにとって、激動の時代である。酔って喧嘩ばかりのカルデルがロシアとの海戦で負傷した傷痍軍人という点が時代を象徴している。

 四章だての構成をとっている本作において、事件の捜査を描いているのは最初と最後の章のみ。間の二章は殺人事件に至るまでの出来事、ブリックスという浅薄な若者の手紙という体裁の章と、果物売りの少女アンナ──事実と反し売春婦として訴えられたことから苦難を受ける──の物語を描く章だ。これらの一見無関係に思える物語が集約されていく構成と殺人の背景に流れる人々の物語は、美しさをも感じさせる出来だ。

 ドイツ推理作家協会賞受賞のサスペンス、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』(浅井晶子訳/集英社)は十六年ぶりに偶然連絡をとることになった五十代の男女のメールのやりとりから始まる、過去への後悔、赦し、愛といった普遍的なテーマを、語りそのものではなく、その構成──語りの技法によって表現した文芸ミステリだ。

 国語教師マティルダと、その教室で創作講座をすることになった有名作家クサヴァー。彼らは十六年前に結婚寸前までいった元婚約者だった。クサヴァーがマティルダを裏切り資産家の女性と結婚したことで二人の仲が終わったらしいことが描かれていく。再会した二人は昔のように各々の創作した物語を語り合う。クサヴァーは自らの祖父を主人公に選ばなかった選択肢への後悔を、そしてマティルダは「私」が軟禁する言語を解さない若い芸術家の物語を。

 おそらく不誠実であろう、信頼できない二人の語り手を主人公にした不穏なサスペンスであり、彼らの創る物語が、クサヴァーの過去に起こった事件──彼の一人息子の誘拐事件の真相を徐々に明らかにしていくという作者の仕掛けが見事。その過程を通して表現したもの──「もしもあの時、別の選択肢を選んでいれば」という後悔、老いた今だからこその赦し、そして愛情。ミステリという形態をとったからこそ表現しうるそれらの情念に心打たれる作品だ。

『緋い空の下で』マーク・サリヴァン(霜月桂訳/扶桑社ミステリー)はベテラン作家による第二次世界大戦下のイタリア、ミラノを舞台にした史実をもとにしたとされる大河冒険小説だ。

 ミラノに住む十七歳の青年ピノ・レッラは空爆を逃れ、弟とともにレ神父の運営するアルプス山中の自然学校に疎開する。神父の命でアルプス登山を繰り返すことになるが、それはナチスに追われるユダヤ人を山越えでスイスへ逃がす案内役としての訓練だった。切り立つ崖、視界を遮る雪、そして警戒中のドイツ兵......危険を承知でユダヤ人の逃亡を手伝うようになったピノは、軍役につくためミラノへと呼び戻されるが。

 逃亡者とともに決死の登山を繰り返すその描写は冒険小説として一級品なのだが、それは前半のクライマックス。後半はムッソリーニ失脚後、ナチスに占領されたイタリアでナチスの高官、ライヤース少将の運転手となりレジスタンスのためにスパイを行うことになる。幾度となく死線をくぐり抜け主人公は史実どおり終戦を迎えることになるのだが、終戦時の無秩序と狂乱を描く様は凄まじい。成長譚的な青春小説としても素晴らしく、実話を基にしていると思えぬほど数奇な運命に驚かされる一作だ。本作はトム・ホランド主演で映画化も決定している。

 ジャン=クリストフ・グランジェといえば映画化もなされた『クリムゾン・リバー』で一躍有名になったフランス・ミステリの巨匠だが最新作『死者の国』(高野優監訳・伊禮規与美訳/ハヤカワ・ミステリ)は期待を裏切らない、ゴヤの名画というモチーフを梃子にゴシック的な魅力を詰め込んだ多重構造のミステリだ。

 パリ警視庁の警視コルソが捜査するのはストリッパーが被害者の猟奇殺人事件。その死体は両頬を耳まで裂かれ、SMプレイの要領で緊縛されていたのだ。被害者の過去を追いBDSMの性的嗜好のアングラな世界を捜査するコルソは、死体の状態がゴヤの連作に酷似していることを指摘されマドリードの美術館へ向かう。そこで彼はストリッパーの交際相手だったらしき白いスーツとボルサリーノの帽子をかぶった男、画家ソビエスキと遭遇するが。

 ゴヤの絵をモチーフとしているように、そして主人公の妻の異常性癖を代表として、人間の闇──精神病質者的な人間と、その暗い血を巡る深い絶望を描いた問題作だ。非常に長大な作品ではあるが、真実だと思われていた光景を次々と反転させてみせる作者の豪腕をもってして、ページを繰る手が止まらない。本の厚みに怯まず、読み落としなきよう。

(本の雑誌 2019年9月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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