孤独を感じた時に読む『掃除婦のための手引き書』
文=林さかな
ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』(岸本佐知子訳/講談社)は人生で孤独を感じた時に読みたくなる短篇集。最小単位の家族からはじまり、誰かしらが近くにいたとしても、最後はひとりで死んでいく。年齢を重ねるにつれ、孤独は身近になってくる。
ルシア・ベルリンは自身の体験を下敷きに作品を書いてきた。三回の結婚と離婚、子どもは四人授かった。シングルマザーで高校教師、掃除婦、電話交換手、看護師など、様々な職に就いて子どもを育てた。アルコール依存症にも苦しんだという。
「あとちょっとだけ」は姉妹の話。メキシコに住む妹のサリーが癌で余命いくばくもないとわかり、姉に連絡する。姉はすぐさまサリーの所に向かい、側でずっと看病する。ふたりの間に流れる時間を表現する言葉から、死がサリーにじわじわ近づいてくるのがわかる。
「人が死の病を宣告されると、はじめは電話や手紙や見舞客が洪水のように押し寄せる。(中略)だんだん状況が悪くなるにしたがい、誰も訪ねて来なくなる。病が力を得、時間がスローダウンし、けたたましく存在を主張しはじめるのはこのころだ。」
空気や部屋に流れる音が立体的に描かれ、サリーの病床に一緒に寄り添う感覚を味わう。そして、死は近づいて生を飲み込んで離れていく。話はそこで終わらない。
ルシア・ベルリンの作品ならば、どの作品のどの箇所からでも無限に引用しつづけられると、「アメリカ小説界の静かな巨人」といわれる作家リディア・デイヴィスはいう。読み終わると、同じような気持ちになった。
「すでに息子たちの人生の中にわたしはいないのだとわかる。」「あとちょっとだけ」でのその後の姉の時間が語られるこの一文があまりによくわかり、何度も読み返した。
キム・エラン『外は夏』(古川綾子訳/亜紀書房)も短篇集。
収められた七つの作品は、ほぼ二〇一四年四月に起きた「セウォル号沈没事故」以降に書かれたもの。
「ノ・チャンソンとエヴァン」は、少年と犬の話。チャンソンは二年前に交通事故で父親を亡くし、祖母と暮らしている。父親を亡くして一か月ほどたったころ、老犬と出合う。エヴァンと名付けるも祖母は生活が苦しいなか、犬を飼うことは手間も食い扶持も増えると難色を示す。チャンソンは生まれて初めて「責任」という言葉を用いて祖母を説得した。
犬の時間は人間より早くすすむ。どんどん老いていくエヴァンとの時を少しでも長くするために、チャンソンは努力する。お金も稼ぐ。しかしその稼ぐことが、チャンソンに違う世界を見せ始める。
貧困生活の中で、エヴァンがいることで得られる安らぎ、それを守るためにチャンソンが行動したことの波紋はかなりシビアだった。満足な生活が得られないなか、少しのお金がもたらす心象の大きな変化は私にも経験がある。
祖母は仕事を終えた夕刻、「主よ、我を赦し給え......」と言う。チャンソンは「赦し」とはどういうことかと考える。私も読み終えてからずっと考えている。
ポルトガルの作家、フェルナンド・ペソア短篇集『アナーキストの銀行家』(近藤紀子訳/彩流社)は、ペソアの死後、トランクいっぱいに見つかった原稿の中から選ばれたもの。七つの短篇それぞれに味わいが異なり、何通りものおもしろさがある。
「独創的な晩餐」は謎めいた展開で最後は絶句させられ、「夫たち」では裁判で判事に対し妻の言い分が切々と語られる。
ひとつひとつコクのある展開に、ペソアのトランクの他の中身も知りたくなった。
『ある一生』(ローベルト・ゼーターラー/浅井晶子訳/新潮社)は、アンドレアス・エッガーというひとりの男性の一生を描いた物語。大きなことを成し遂げるなど歴史に名を残した人物ではなく、二十世紀初頭、アルプスの山で、つつましく暮らし、時を重ねて旅立っていく静かな話だ。
子どもの頃の折檻で足に障がいを残したが、逞しく育ち、青年になってからは不平不満をこぼすことなく、よく働いた。結婚したが、不慮の事故が起きる。戦争も起きた。ロシアで長く捕虜の生活をおくった。
人の一生というのは、単調をあまり認めてくれない。心がゆさぶられることも、時をとめたいときも、前触れもなく自分の前にやってくる。そして最後はなにごとも自分ひとりで引き受けなくてはならない。孤独と折り合いをつけ、生を受け入れる。エッガーの八十年の一生もまた、生を引き受け全うした普遍的な人生の物語として差し出されている。
『七つの殺人に関する簡潔な記録』(マーロン・ジェイムズ/旦敬介訳/早川書房)は史上初のジャマイカ出身作家によるブッカー賞受賞作。巷で鈍器とよばれる厚みをもつ長篇小説(二段組七百頁!)だ。
ジャマイカのレゲエ・スターである「歌手」が一九七六年十二月三日に襲撃されるが、暗殺は未遂に終わる。襲撃の前日、当日、三年後、九年後、十五年後のそれぞれの年の一日が、七十人以上の声で語られる。
ひとりの人間の目でみえる範囲は広くない。だが、己の目で見たこと、考えたことを深く語ることはできる。語り手にはギャング、CIA、ジャーナリストから、死者までもがいる。語られる一日はめっぽう長く暴力に満ちている。ジャマイカの「歌手」の周りでは、人があっという間に消されていく。暴力の連鎖を伝える多声に圧倒させられ、それぞれ、ひとりの声の切実さにも心がゆさぶられる。
(本の雑誌 2019年9月号掲載)
- ●書評担当者● 林さかな
一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」
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