ベテラン作家のパーフェクトな私立探偵小説だ!

文=小財満

  • 流れは、いつか海へと (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
  • 『流れは、いつか海へと (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』
    Mosley,Walter,モズリイ,ウォルター,義進, 田村
    早川書房
    2,090円(税込)
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  • 天使は黒い翼をもつ (海外文庫)
  • 『天使は黒い翼をもつ (海外文庫)』
    エリオット・チェイズ,浜野 アキオ
    扶桑社
    1,078円(税込)
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  • 55 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『55 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    Delargy,James,デラーギー,ジェイムズ,あや子, 田畑
    早川書房
    1,276円(税込)
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  • 砂男(上) (海外文庫)
  • 『砂男(上) (海外文庫)』
    ラーシュ・ケプレル,鍋倉 僚介,瑞木 さやこ
    扶桑社
    1,100円(税込)
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  • 砂男(下) (海外文庫)
  • 『砂男(下) (海外文庫)』
    ラーシュ・ケプレル,鍋倉 僚介,瑞木 さやこ
    扶桑社
    1,100円(税込)
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 ウォルター・モズリイがまた読める日が来るとは(ほぼ二十年ぶり)そしてこれがまた探偵小説として傑作であることがただただ嬉しい。というわけで今月は二〇一九年エドガー賞最優秀長篇賞『流れは、いつか海へと』(田村義進訳/ハヤカワ・ミステリ)からご紹介。

 十数年前に冤罪でNY市警を追われ、現在は私立探偵を生業とするジョー・オリヴァーのもとに、ある依頼が舞い込む。それは警察官を射殺した罪で死刑判決を受けた黒人ジャーナリストの無実の罪を晴らしてほしいというものだった。そんなときジョーが警察を追われるきっかけとなった事件の被害者から、事件はコルテスと名乗る刑事から強制されたでっち上げだったという手紙が届く。二つの事件を捜査するうちにジョーはニューヨークと警察組織の暗部へと足を踏み入れていく。

 ハニー・トラップにひっかかって警察を辞めたという過去をもち、元娼婦の友人には弱いところを見せ、助手を買って出る娘に頭が上がらず、どこか軽口の応酬も愚痴っぽい。そんな憎めない主人公だが、その心には元警官の正義を愛する矜持が隠れている。ベテラン作家の描くキャラクターの立ち姿、ニューヨークの町並み、綺羅星のごとき登場人物たちのエピソード、すべてがパーフェクト。古き良き、だけではない現代のハードボイルド私立探偵小説だ。アフリカ系とユダヤ系という複雑なアイデンティティの作家ゆえだろう、作品に通底する高い権力の壁に立ち向かう者たちへの暖かな眼差しも嬉しい。

 M・A・コリンズ、エド・ゴーマン、ビル・プロンジーニといった巨匠たちが絶賛したという一九五三年発表の犯罪小説エリオット・チェイズ『天使は黒い翼をもつ』(浜野アキオ訳/扶桑社ミステリ)はオーソドックスなれどストーリーテリングの妙と叙情的な筆致が素晴らしい。脱獄犯の主人公が〈運命の女〉である娼婦とともに、完全犯罪のはずの強盗計画を実行し、破滅していくまでを描く、といえばノワールとしての物語の典型である。同年代の作家でいえばライオネル・ホワイト『逃走と死と』と比較したくなるが、ホワイトが冷徹で理不尽な暴力を描く類のノワールの最高峰だとすれば本作はその対極、女への愛憎のファンタジーと破滅の美しさを描くノワールのお手本のような存在だ。「いつかまたお金のなかで転げまわりたい。素っ裸になって、ひんやりする緑色の百ドル札のお風呂に入るの(中略)それも、一回も使われてない、パリッパリの新札で」そうやって笑う女との破滅への旅路。捨ててきた過去と、脱獄のときに死んだ仲間が旅のお供だ。犯罪小説愛読者は決して読み落としなきよう。

 デビュー作ながらハリウッドが映画化権(オプション)をおさえ、二十ヶ国で出版契約が結ばれていたという、キャッチーな設定が光るミステリ、『55』ジェイムズ・デラーギー(田畑あや子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。本作の何がキャッチーかといえば......まずはあらすじを読んでいただいたほうが早いだろうか。

 巡査部長チャンドラーが勤務する西オーストラリア州内陸の小さな町の警察署にゲイブリエルと名乗る男が駆け込んできた。彼はヒースという名の男に荒野にたつ小屋へ誘拐されるも、命からがら逃げてきたのだという。そしてそのヒースは五十四人もの人間を殺してきた連続殺人犯で、ゲイブリエルは五十五人目の標的だと言っていたらしい。だがその翌日、警察署に殺人鬼に誘拐されたと主張する、ヒースと名乗る男が車泥棒の疑いで連行されてくる。そして彼が主張する殺人鬼の名はゲイブリエル。だがそのときにはゲイブリエルはチャンドラーたちの前から姿を消していたのだ。

 二人の男のどちらかが殺人鬼。はたしてどちらの主張が正しいのかという興味で読者はページを繰ることになる。そして物語の幕間で挿入されるチャンドラーと、彼の幼馴染ながら対立する上司、警部補ミッチの過去の物語に読者は違和感を覚えるはずだ。この過去が現在の捜査にどう影響するのか──詳しくは述べられないが、本作で一番の驚きはミステリ作品を読んでいるはずが、作品がその姿をモダン・ホラーへと一変させるその瞬間だ。この点は作者がスティーヴン・キングからの影響を公言するだけあってお見事。

 スウェーデンの作家ラーシュ・ケプレルのヨーナ警部シリーズ第四作『砂男』(瑞木さやこ、鍋倉僚介訳/扶桑社ミステリ)は前作までとは版元を変えての邦訳だ。

 ストックホルム郊外の線路沿いで保護された若い男は十三年前にヨーナ警部が捜索にあたっていた、妹とともに行方不明となった少年ミカエルだった。彼は妹たちと長年〈砂男〉に狭いコンクリートの部屋に監禁されていたのだという。そしてこの十三年前の事件こそヨーナと、彼の生活を一変させ現在は逮捕され閉鎖病棟に隔離されている最凶のシリアルキラー、ユレック・ヴァルテルとの出会いだったのだ。果たして〈砂男〉の正体とは、そして未だ監禁されているはずのミカエルの妹フェリシアを救うことはできるのか。

 現在進行形で監禁されているフェリシアを救うタイムリミットに加え、物語上のヨーナの相棒役となる公安警察の警部サーガが中盤以降で提示される苛酷なミッション、そして終盤にかけての怒濤のアクション。本作のサスペンスフルな展開はシリーズ随一だが、加えて今までのシリーズでは薄かった伏線の妙──十三年かけて明らかになるホワイダニットが素晴らしい。本作のなかでヨーナの環境は激しく揺さぶられ、物語の終わり方からしてもシリーズ中の転機となる作品だ。次作以降の邦訳も楽しみに待ちたい。

(本の雑誌 2020年3月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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