伊吹有喜『雲を紡ぐ』の あちこちで立ち止まる

文=北上次郎

 ふわふわとした感触がいい。初めて羊毛に触れたときの美緒の驚きがあまりに新鮮なので、まるで自分が触っているかのように錯覚してしまう。伊吹有喜『雲を紡ぐ』(文藝春秋)だ。

 あるいは「子どもといっしょに暮らした日々は案外、短かったな」という紘治郎の述懐にも立ち止まる。家業を嫌って東京に出た息子が久々に帰省したときの紘治郎の述懐だが、それは私たちのような年配者に共通する感情でもある。おっしゃる通りだ。もう一つ、家出した娘の美緒を迎えに行った父親の広志が盛岡じゃじゃ麺発祥の店「白龍」で「ちいたん」を頼むシーンがある。「ちいたん」とは、鶏蛋湯の略で、つまりは鶏の卵のスープということだ。残った皿に生卵を割り入れ、そこに新たな味噌とねぎ、熱いスープを足すものだ。盛岡には何度も行っているのに知らなかった。とても美味しそうだ。

 ようするに、この長編のあちこちで立ち止まるのである。高校生の娘が学校でいじめにあって不登校。父親の会社は業績不振でリストラ寸前。教師の母親はSNSで叩かれ、精神がまいっている。家庭は壊れかけている。高校生の美緒が盛岡の祖父を訪ねていくのも窒息寸前だったからで、そこで彼女は、ふわふわした羊毛に出会うのである。美緒の光明はそこにある。しかし父親と母親は、そして壊れかけた家庭は大丈夫なのか──という話だが、そのストーリーにこの長編の眼目はない。

 いや、小説はストーリーではないと言い換えよう。もし小説がストーリーであるなら、ここにあるのはこれまで何度も読んできたような話にすぎない。立ち止まることもなく、感情が泡立つこともない。

 読み終えたあと、なんだかいい小説を読んだな、と思うのはそうではないものがこの長編にぎっしりとつまっているからだ。そんな気がするがどうか。

 うまいなあと思ったのが、木村椅子『ウミガメみたいに飛んでみな』(光文社)。たとえば、第一一回の小説宝石新人賞を受賞した表題作は、大学四年生の主人公が久々に実家に帰ったら父親がアイドルにはまっていた、というところから始まっていく。どういう着地点にむかってこの物語が進んでいくのかはここに書かないが、奇妙な味わいがある。七編を収録した作品集だが、共通するのはみんなが生き方に迷っていること。元ミュージシャン、高校生、中学生、新卒二年目の会社員、大学生など、次々に登場するのは、生きあぐねている人間ばかりだ。未来が見えないことの苛立ちと不安、そこから抜け出す決意までを、鮮やかに描いている。

 もう一編選べば、「おとなう」がいい。母の日記に見つけた男を訪ねていく青年を描く作品だが、ストーリー性の濃い物語のなかに、意外に器用な面がかいま見える。「気は優しくて、なさけない。モラトリアムを生きる若者たちを瑞々しく描いた傑作小説集。」と帯にあり、おお、これを紹介するだけでよかった。私があれこれ書くまでもなかったような気がする。しかしもう少しだけ書いておけば、大きく跳ねるにはあと数作必要かもしれないが、ここには磨けば光る原石があるということだ。その日を楽しみに待ちたい。

 あとは小説外を二冊。まず、郷原宏『胡堂と啄木』(双葉社)。同郷の二人の作家(年齢は野村胡堂が四つ上)を描く評伝だが、盛岡の同じ学校で学んだとは知らなかった。その後、帝大で法科を学んだ胡堂には刑罰主義への反感があり、「銭形平次捕物控」シリーズ三八三編のうち、約三〇〇編が犯人を罰することなくその罪を許してしまう結構だということも知らなかった。

 私が知っていたのは、巻末の年譜には昭和三八年、家が貧しくて学業を放棄しなければならない青少年のために野村学芸財団が設立、との記載があるが、胡堂の死後、その財団の理事長をつとめたのがソニーの井深大であることだ。胡堂の妻ハナが井深の母親と知り合いで、大が幼いころから胡堂の家に遊びにきていて、その縁でのちに盛田昭夫とつくった会社が経営難のときに胡堂が資金を提供した関係であることを、大村彦次郎『荷風 百閒 夏彦がいた』で読んでいたからだ。あとは知らないことばかりで興味深い。

 高橋一清『芥川賞直木賞秘話』(青志社)も知らないことが多いのでなかなか興味深い。小説は題材が八、九割だという著者の考えには与しないが、裏方の話はやっぱり面白いのだ。浅田次郎『鉄道員』が最初の社内選考の段階では、その担当班が「見送り」にしたこと(あの傑作を見送るのかよ)、色川武大『離婚』と津本陽『深重の海』で決まった一九七八年上半期の直木賞では、もう一編を強く推す委員がいて、五木寛之がその一編を入れて三作受賞はどうかと提案。すると水上勉がこう言ったというのだ。

「五木君ね、選考会というのは一篇を選び出すもので、どうしても甲乙つけ難い、ということでいま一篇を添える。二篇がせぜいなんだ。三篇選ぶのは選考会の体をなさない。互いの面子を潰したくないだけの会になってしまうんだよ」

 佐藤泰志が芥川賞の候補になったとき、佐藤の友人を名乗る人物が安岡章太郎に電話をかけてきて、佐藤をよろしく、と言い、それで安岡章太郎は怒ってしまい、あれは逆効果だと著者は書いている。もっと凄いのは昭和五一年前後のこと。水上勉の古い知り合いが訪ねてきて、そのとき候補になっていた夫の作品をなんとかしてほしいと懇願。そのためにはなんでもするとまで言ったというのだ。

 いやはや、なんとも。

 まだ他にも紹介したい本があるのだが、スペースがなくなったので、あとは次号だ。

(本の雑誌 2020年4月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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