上手すぎるほどに上手いC・J・ボックス『発火点』に快哉!

文=小財満

  • 発火点 (創元推理文庫)
  • 『発火点 (創元推理文庫)』
    C・J・ボックス,野口 百合子
    東京創元社
    1,430円(税込)
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  • 博士を殺した数式 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『博士を殺した数式 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    ノヴァ・ジェイコブス,高里 ひろ
    早川書房
    1,298円(税込)
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  • 念入りに殺された男 (ハヤカワ・ミステリ)
  • 『念入りに殺された男 (ハヤカワ・ミステリ)』
    エルザ・マルポ,加藤かおり
    早川書房
    1,870円(税込)
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  • あの本は読まれているか
  • 『あの本は読まれているか』
    ラーラ・プレスコット,吉澤 康子
    東京創元社
    1,980円(税込)
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 C・J・ボックスにハズレ無し。作者は二〇〇一年のデビュー以来ワイオミング州猟区管理官ジョー・ピケットのシリーズをほぼ一年一作ペースで書き続けており、本国では二十長篇を数える長寿シリーズである。この度邦訳となった『発火点』(野口百合子訳/創元推理文庫)は二〇一三年発表のシリーズ第十三作だ。

 二人の合衆国環境保護局特別捜査官の射殺体が発見されたのは、工務店の経営者ブッチ・ロバートソンの所有地だった。本来であればトウェルブ・スリープ郡保安官事務所の管轄であるこの事件は、突然やってきたFBIと仲間を殺された怒りに狂う環境保護局の介入によってとんでもない騒ぎへと発展する。彼らはSWATを引き連れ、ブッチが逃走していると思われる山岳地帯で人狩りを始めたのだ。家族を通じてブッチと接点のあった猟区管理官ジョー・ピケットは環境保護局と反目しながらも捜索隊に加わることに。それはSWAT部隊にブッチを殺させないためだった。はたして普通の家庭の父親だったはずのブッチを殺人に追い込んだ陰謀とは何だったのか。

 主人公が殺人犯の動機を捜す、という構造は目新しいアイデアではない(リー・チャイルド『アウトロー』など)が、とにかく冒険小説的なアクションが上手すぎるほどに上手い。ときには人間を相手に、ときには厳しい大自然を相手に。そしてこのシリーズの真価は、主人公たちが克服するべき試練をいかに与え、そしてその理不尽を、フラストレーションを「冒険」を経ていかに主人公たちに跳ねのけさせ、読者に快哉を叫ばせるかを演出する作者のその技量にある。読者の快哉はフラストレーションとして加わる力が強ければ強いほど、つまりジョー・ピケットが与えられる試練が過酷であれば過酷であるほど大きなものになるのだ。本作ではその試練は環境保護局という軍隊並みの装備と人員をもつ権力という形でやってくる。環境保護局本部長バティスタ、特別捜査官アンダーウッドという二人がいかに絶大な権力をもつ男たちとして描かれていることか。本作から版元が講談社文庫から創元推理文庫に移行したということで本作でこの作者を知ったという読者もおられると思うが、ぜひこれを機会にシリーズの読者が増えることを期待する。

 二〇一九年エドガー賞最優秀新人賞候補作ノヴァ・ジェイコブス『博士を殺した数式』(高里ひろ訳/ハカヤワ・ミステリ文庫)は主人公の自殺した祖父である天才数学者が遺した「最後の方程式」を探し求める暗号謎解きミステリだ。

 天才数学者アイザック・セヴリーが自殺した。数学者一家のセヴリー家にあって、養子であるがゆえにその才能がなかったヘイゼルは、養祖父アイザックの葬儀に参列する。祖父が彼女に宛てた遺書には、自分が"殺されて"いるだろうこと、そして彼の発明した方程式を自分の遺した手がかりから見つけ出し、ある人物に届けてほしいということが書いてあった。最後の「方程式」の正体とは果たして。

 殺人が起こり、犯人も見つかり、動機も明かされる。そういう意味では確かにミステリの様式には従っているが、あくまで本作の主眼は「方程式」を探すこと。すなわち数学の世界を舞台にした「宝探し」である。作者は大学で映画の脚本を学んでいたということだが、それも納得。宝探しをテーマにした作品、たとえばスピルバーグの映画「レディ・プレイヤー1」を思い出していただければ本作の魅力はそれに近い。宝探しの過程で主人公やセヴリー家の人々のコンプレックスやわだかまりが解消されていき、宝物の発見と同時に自分の人生において本当に大事なものを発見する。作者が用意した偉大すぎる祖父の最後の贈り物の形はすこぶるチャーミングだ。

 フレンチ・ミステリの心理サスペンス、といえばアルレーの『わらの女』かジャプリゾ『シンデレラの罠』が代表だが、『念入りに殺された男』(エルザ・マルポ/加藤かおり訳/ハヤカワ・ミステリ)もそれらに連なるといえるだろう、強烈なケレン味をもつサスペンス作品だ。ゴンクール賞作家にレイプされそうになった作家志望の女性がはずみで作家を殺してしまう、という冒頭だけを言えばありきたりかもしれないが、問題はその先。その女性は作家がまだ生きているように、そして自分が作家の新しい助手であるように装い、最も作家を殺した犯人として罪をなすりつけやすい相手を作家の家族や友人たちの中から選ぶべく彼らに接触し始めるのだ。すでに死んでいる作家──天才だが下衆極まる嫌味な男の姿が、作家の知人たちの口からあらためて語られていくのだが、その作家の姿が作中で語られるジキルとハイドのように、いつしか偽りつづける女性の姿と同化しはじめる瞬間がこの作品の真骨頂だ。

 四月刊行の作品だが先月紹介しそこねた二〇二〇年エドガー賞最優秀新人賞候補作『あの本は読まれているか』(ラーラ・プレスコット/吉澤康子訳/東京創元社)をあらためて紹介しておきたい。冷戦下のソ連において発禁処分となった詩人ボリス・パステルナークのノーベル賞受賞作『ドクトル・ジバゴ』を東側の圧政の証としてCIAがソ連国内で流通させようとしたという実話からとられたエスピオナージ作品だ。一冊の小説が体制を揺るがす武器になると信じる人々へのロマンもさることながら(そのプロパガンダという目的はどうあれ......)、CIAの中では下に見られがちなタイピストたちやパステルナークの愛人など女性たちを主人公に、冷戦という女性やマイノリティといった被差別者が抑圧されやすい状況下において、彼女たちがいかに戦い、生きたかが克明に描かれている。

(本の雑誌 2020年9月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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