失われつつあった言語で生み出された小説
文=林さかな
『アコーディオン弾きの息子』(ベルナルド・アチャガ/金子奈美訳/新潮社)は、バスクの農村部と思われる架空の土地オババを舞台に、そこで育ったダビとヨシェバを中心とした枠物語になっている。
作家として成功していたヨシェバは、祖国を離れたダビがバスク語で回想録を遺していたことを知る。ダビの妻から手渡され、それを読んだヨシェバは、自らも加筆、編集し、二人にとっての故郷を紡ぎ出す。
バスクの歴史には詳しくなく、語られる背景の理解については訳者による巻末の解説に大いに頼った。しかし、事前知識なくとも、ただ読み始めるだけでいい。バスク解放運動が過激化し、ダビがヨシェバらと共に政治組織に深く関わっていく熱量を、彼らの言葉が示し、伝えてくれる。
「自分の記憶の不穏な海に漂う残骸を集めて、一冊の本の中に永遠に納めてしまいたい。」
アメリカ人の妻や娘たちには読んでもらえないバスク語で書くことは、ダビにとって必然だった。その母語でしか残せなかったものを、ヨシェバが削り肉付けし、多くの人に読めるようにしたのだ。
彼ら自身の話だけでなく、語られる他の人物たちも強い印象を残す。中でも、ドン・ペドロの話は枠物語だからこその仕掛けがある。回想録でのペドロは狭い部屋で隠れていた。リンゴと人参で飢えを凌ぎ、手帳に食べた数を書く。その数字を記録することが彼を生かし、隠し部屋から出られるまでの気力を継続させた。これが枠の中の物語。枠の外の物語は、予想外の非情さが突き刺さる。
バスク語は歴史的に教育の場から長く排除されていたが、後の文化復興運動により息を吹き返した。失われつつあった言語で生み出された小説は極めてやわらかく、強靱で、ひたすらすばらしかった。
『影を呑んだ少女』(フランシス・ハーディング/児玉敦子訳/東京創元社)は、十七世紀の英国が舞台の作品。メイクピースは特別な体質をもつ少女。母が亡くなり、いままで会ったこともない父方の一族に引き取られる。一族はメイクピースのもっている特異さを利用しようとして引き取ったのだ。それは亡くなった者の霊を自分の身体に入れることができるというもので、一族はその能力をもってして、イギリスの内乱(ピューリタン革命)の中で優位に立とうと画策しつづける。
こちらも歴史的背景を知っていたらより楽しめるものの、次々とメイクピースを襲う波瀾万丈のできごとについていくだけで、物語の流れにのることができる。この時代は疫病も流行し、コロナ禍のいま読むと、その切実さに唸らされた。
幾多もの困難を乗りこえるメイクピースの強い生命力がすばらしく、ページターナー度抜群の歴史ファンタジー。
『わたしはフリーダ・カーロ 絵でたどるその人生』(マリア・ヘッセ/宇野和美訳/花伝社)は、スペインのグラフィックノベル。
フリーダ・カーロの有名な自画像を目にした人はいても、その人となりは知らないという方には、おすすめの一冊。
画家を絵で語るというのもおもしろく、作者ヘッセは、フリーダの絵をアレンジし人生をたどらせている。
フリーダ・カーロの四十七年の人生は身体の痛みが常にあった。幼少期の右脚の発育不全により、ひとりで歩けるようになるまで長い時間がかかった。思春期には大きな事故にあい、一年以上入院することにもなった。退院後も自宅で長いこと寝たきりの生活が続き、その時に父親から絵の具をプレゼントされ、自画像を描くようになる。
痛みとともに絵を描くことで自分自身を表現し「フリーダ・カーロ」の魅力を多くの人に知らしめた。ヘッセの描くフリーダはひたすらチャーミングで、それだけでなく、強さと繊細さもしっかり伝えている。
『あれから─ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(ジョナサン・トーゴヴニク/竹内万里子訳/赤々舎)はクラウド・ファンディングで刊行された写真集。
一九九四年に起こった、ルワンダでのジェノサイド(集団殺害)。訳者あとがきによると、百日間でおよそ八十万人もの人びとが虐殺されたという人類史上最悪の悲劇で、性暴力から二万人もの子どもたちが生まれた。写真家トーゴヴニクが自らインタビューを行い、親子の写真を撮影したのが前作『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(二〇一〇年刊行)だ。
続編である本書は、再び家族のもとを訪れ、前作に登場した三十組のうち十六組の親子にあらためてインタビューし撮影したものである。十二年前も今も母と子がまっすぐカメラを見つめている。
前作との違いは、母親だけでなく子どもにもインタビューしたことにある。自分がどのようにして生を授かったのかを聞いて傷つかなかった子どもはいない。それぞれの十二年間はどれもがとても重たいものだ。
厳しい内容だが、ぜひ手にとってみてほしい。
『万物創生をはじめよう 私的VR事始』(ジャロン・ラニアー/谷垣暁美訳/みすず書房)は、ファンキーな雰囲気の表紙に惹かれて手にとった。
第一次VRブームの立役者である著者ラニアーによるVR事始を語ったノンフィクション。
目次からして本の内容が理解しやすいよう視覚的にも工夫され、興味を引く。六〇年代からのコンピュータ界隈をテンポよく語り、新しいテクノロジーづくりを著者本人が一番楽しんでいるのが伝わってきて、読んでいてもワクワクした。最後のラニアーの言葉はこれ。
「創造を愛しましょう」
(本の雑誌 2020年9月号掲載)
- ●書評担当者● 林さかな
一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」
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