破滅へと疾走する恋愛小説金原ひとみ『アタラクシア』

文=大塚真祐子

  • ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)
  • 『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集 (福音館創作童話シリーズ)』
    斉藤 倫,高野 文子
    福音館書店
    1,320円(税込)
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 人間は愚かで、こんなにもどうしようもない生き物なのに、なぜ「誰か」を必要とするときにはこんなにも清らかで、愛しく見えてしまうのだろう。金原ひとみ『アタラクシア』(集英社)を読みながら、何度も天を仰いだ。

 章ごとに語り手が変わる。フランスから帰国しモデルの仕事をあきらめた由依と、シェフとして店を経営する瑛人との逢瀬から物語ははじまる。彼が仕上げるフランス料理と、互いの存在だけで完結する恋人同士の濃密な空間を描いたあと、物語は瑛人の店でパティシエに就く英美の視点に移る。英美は瑛人にこう言い放つ。

〈「自分たちのこと、何か特別だと思ってるんでしょ」〉
〈「そういう奴らの恋愛ってほんと腹立つ」〉

 めったに帰宅しない夫と、思いどおりにならない子育て、同居する実母との諍いを抱える英美の述懐によって、由依がじつは既婚者であるとわかるが、それを問いつめる英美に、瑛人はそうだよと答えるのみだ。

 タイトルの「アタラクシア」とは"苦痛のない平静な状態"を意味するというが、このあと語られる由依の夫で作家の桂も、由依の友人で編集者の真奈美も、由依の妹の枝里も、アタラクシアからはほど遠い。東日本大震災という共通の記憶が、彼らの不穏に輪をかける。あてのない「大丈夫」を繰り返しながら、彼らは実体があるのかないのかわからない幸福を希求する。

〈誰も見上げたくない唯一無二の特別な存在でありたい。〉
〈誰かに猛烈に愛されたい。殺されるくらい愛されたい。熱烈に愛されて愛の言葉を囁かれその瞬間に殺されたい。〉
〈確かなものが欲しくて言葉や温もりや思考を積み重ねても一瞬で爆発して放射線状に散り散りになってしまう。〉

 それぞれがゆるやかな破滅へと疾走する、こんなにもまっすぐな恋愛小説に久々に出会ったと思っていたが、愛と暴力を描いたデビュー作『蛇とピアス』から、もしかすると作者は一貫して同じ景色を見ているのかもしれない。正義や正論をまるで自分があつらえた武器のように、過剰にふりかざすことが常態となった時代に、不義と過ちだらけのこの物語が響くのはなぜだろう。彼らのアタラクシアとはどこにあるのだろう。

 柴崎友香『待ち遠しい』(毎日新聞出版)は、大阪郊外で一人暮らしをする春子を中心に、亡くなった大家の娘で、春子が住む家の母屋に越してきたゆかり、ゆかりの甥の結婚相手で、裏の家に住む沙希、この三人の女性の関わりを描く。

 二階建ての離れに暮らす春子の一人暮らし歴は十年、沿線の制作会社に正社員として勤務しながら、休日は「消しゴムはんこ」を彫ったりこぎん刺しをしたり、子育て中の友人と会う。そんな春子の生活にゆかりと沙希が現れたことで、わずかに波風が立ちはじめる。

 性別や年齢、育ってきた環境の違いがときにもたらす、日常的に起こりうる小さな隔たりとどう向き合うか。読みすすむうちにいつしか、春子の目になって考えている自分がいる。大家の葬式でひとり号泣するゆかりを、とっさに苦手なタイプと感じたのはなぜか。三十九歳で一人暮らしをつづける春子に、変わってますねと言い放つ二十五歳の沙希の人生とはどのようなものか。揺れうごく思考を春子とともに受けとめながら、あらがいながら、気がつけば自分のなかに生まれた隔たりも、物語がときほぐしていた。

〈年をとることは悪いことじゃない、楽しいこともおもしろいこともいっぱいある、ってもっと力強く、断言できたらいいのに、と話しながら春子は思っていた。これから先が待ち遠しくなるようなことを、言えるようになりたい。〉

 植本一子『台風一過』(河出書房新社)は、前著『降伏の記録』の後に休筆宣言をした著者が、夫でラッパーのECD(石田さん)を亡くしてからの日々を、ふたたび言葉と向きあい記した一冊だ。

 恋愛の変遷と夫の闘病がはからずも鮮烈に刻まれた『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』の三冊を、はじめから手紙だったのかもしれないと思っていた。植本さんから母親へ、植本さんから「石田さん」への。

 新刊で植本さんは何度か、未来の自分に思いをはせている。先のことなどわからないというだれにとっても過酷な現実を、植本さんはほのかに明るい指でなぞりはじめている。そこには母への葛藤も、石田さんへのわだかまりも変わらず存在するが、そうでない場所から生まれるものもたくさんある。

 植本さんにはいま共に暮らすパートナーがいる。そのことを嫌悪したり、批判する人がまた現れるだろうことは想像に難くない。どちらが正しくて間違っているということではなく、幸福とは自分が決める心のことで、他人が相対化することはできない。思えばここまでに紹介した三作とも、現実にもがきながら他ならぬ自分の内に、絶対的な何かを見出そうとする人ばかりが生きている。今回の新刊を読んではじめて、生身の植本一子という人に出会った気がした。

 斉藤倫/高野文子画『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』(福音館書店)は、言葉に少しでも関わりがあるなら手もとに置いておきたい一冊。「ぼく」は「ぼく」を訪ねてやって来る友人の息子の少年と、他愛のない会話をかわしながら、さまざまな詩を少年に手わたす。

〈「詩も、ことばと、ことばのあいだに、あるのかな? 読んでたら、すきまに、おっこちちゃう感じがした」〉

 二十篇の詩が紹介されている。日常の景色から生まれる何気ない問いに、詩はこんなふうに答えになりうるのだと教えてくれる、驚くほど実用的な本だ。

(本の雑誌 2019年7月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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