二〇二〇年上半期芥川賞候補作を総まくり!

文=大塚真祐子

  • 【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬
  • 『【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬』
    高山 羽根子
    新潮社
    1,375円(税込)
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 三島由紀夫賞、山本周五郎賞は感染症拡大の影響を鑑みて、五月の選考を秋に延期したが、芥川賞、直木賞の選考は開始時刻を早めつつ、例年の日程で行われることになった。芥川賞は今回より、現時点では最年少となる平野啓一郎が選考委員に加わる。候補作としてノミネートされたのは5作、うち4名の作家が初ノミネートとなった。

 石原燃『赤い砂を蹴る』(文藝春秋一四〇〇円)は、劇作家として活躍する著者の小説デビュー作である。画家の母を亡くした千夏と、母の友人でアルコール依存の夫を亡くした芽衣子が、芽衣子の生所であるブラジルのコロニアを訪れる。異国の風景にそれぞれの抱える死の記憶と、家族という抗しがたい円環を幾重にも織りこむ中編だ。

 読むごとに主題が変化するような印象があった。この小説では父の不在が、人びとの関わりの前提としてつねに横たわる。母の恭子は父親を早くに亡くし、芽衣子は私生児で、芽衣子の夫である雅尚も母子家庭に育った過去を持つ。物語を動かすのは女たちだが、語りの向こうに父的なるものが透けて見える。

 が、父の不在にかぎらず、血縁が否応なくもたらす命の受け渡しを、もっと大きな眼差しで書こうとしているのではないかと思ったのは、津島佑子『悲しみについて 津島佑子コレクション』(人文書院二八〇〇円)所収の、石原自身による解説を読んだことがきっかけだった。

〈どんな話の流れだったか、作品を書く動機は怒りだと母に話した。悲しみは湿っぽくて好きじゃないという程度の他愛のない話だったと思う。その時、りんごをむいていた母がいたずらっぽく笑った。/なに、と聞いたら、/私も同じように答えたことあるなと思って。〉(解説「人の声、母の歌」より)

 津島佑子という作者の母の存在を、候補作から色濃く感じた。その源泉が解説に沸き立つように込められている。源泉を小説へとさらに昇華したことで、千夏と恭子だけではなく、雅尚とその母の幸子、幸子と芽衣子の関わりなど、多様な母子の姿がより重層的に迫る。

 岡本学『アウア・エイジ(our age)』(講談社一四〇〇円)は、学生時代にアルバイトをしていた名画座から届いた招待状をきっかけに、かつてともに働いていたミスミの謎を追う物語。

 ミスミは母親の遺品である写真に写った塔を探していた。写真には手書きで「our age」と記されている。カレーライスをかきこむ、コーヒーでうがいをするなど、ミスミの浮世離れしたふるまいに振り回される「私」をどこか遠い気持ちでなぞりながら、謎が解けていく後半で、いつのまにかミスミという女性に知り合いのような懐かしさを覚えている。「私」が修士論文のテーマにしていたカントール集合や、〈「知りたいなら教えてあげるけど、本当に知りたい?」〉というミスミの口癖など、くり返し登場する何気ないモチーフも心に残る。

 高山羽根子『首里の馬』(新潮社一六〇〇円)では、戦争によって歴史が途切れた沖縄という土地を背景に、出来事が想像をはるかにこえて交錯する。

 未名子は雑居ビルの「スタジオ」でPCの画面をとおして、異国の見知らぬ人にクイズを出題する仕事をしながら、民俗学を研究する順さんの資料館で、資料の整理を続けている。ある日、庭に毛の生えた生き物がうずくまっているのを見て、未名子は仰天する。それは沖縄在来の馬「宮古馬」だった。かつて沖縄には競馬場がたくさんあったという、順さんの話を思い出す...記憶と記録というテーマが沖縄のたどった歴史に重なり、浮かびあがってくる。

〈ほんの小さな、だけど気の遠くなるほどの情報が詰まった小さな骨は、記録媒体としてのマイクロSDカードに似ている、と未名子は思う。〉

 手のひらの上で歴史と土地、情報と肉体が同じ体温を持つ、そんなイメージを読後に描いた。石原作品とはまた別種の大きな眼差しが、この作品にはある。

 遠野遥『破局』(河出書房新社一四〇〇円)の語り手である大学生の陽介の世界は、終始歪んでいる。公務員試験を目指す一方で、ラグビー部のコーチ役として肉体を鍛錬し、政治家を目指す恋人を持ちながら、物語がどこまでも不穏なのは、人間が人間を思う感情がどこにも描かれていないからだ。くり返し挿入される「巡査部長の男」の性犯罪のニュースや、元恋人の性被害の告白、灯との性交の描写などが歪みを加速させる。いつかどこかで読んだことのあるような狂気にも見えるが、この容赦のない気持ち悪さは新しいかもしれない。

 三木三奈『アキちゃん』(文學界五月号)は、語り手の「わたし」が、アキちゃんにふりまわされ、アキちゃんを憎んでいた小学五年生の日々をつづる。

〈アキちゃんのクラスでの振る舞いを一言で言えば、いやらしい、ということだった。上下関係のいっさいを把握したアキちゃんは上のものには媚びへつらい、下のものには横柄にいばりたおした。〉

 このような振る舞いをする人間は珍しくない。それでもなぜ、「わたし」はこれほどまでにアキちゃんを憎むのか。この物語には単純なノスタルジーなどではない、ある転換が終盤に隠されていて、あっと思ったときには物語が閉じている。呆然としながらアキちゃんのその後に、いつしか思いを馳せる。

 受賞作は『首里の馬』と『破局』の二作に決定。

 今回の候補作はいずれも、いつにもまして読み応えがあったが、惜しくも受賞を逃した、『赤い砂を蹴る』の描きだした景色の密度は圧倒的だった。今年度必読の一作であることは間違いない。著者にとってあまりにも重要な「母」の物語にまた触れたいと思うし、「母」以外の物語の誕生も待ちたい。

(本の雑誌 2020年9月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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